あいまいな文章の推察回路について | Market Cafe Revival (Since 1998)

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四つの単語でできた言葉の中で、最も高くつくものは「今度ばかりは違う」である(This time is different.)。

☆ 少し前に話題になっていたが,ひらがな書きの文章で,文中のことばの文字の並び順や大きさをわざと変えても,最初と最後の文字が正しく表示されていたら「正しい文章として読めてしまう」という「発見」があった。


☆ この話題を「あいまいな日本の私」という題で講演したことがあるノーベル賞作家氏に伝えたくて仕方ないのだが(爆),これは日本文字の特徴を象徴的に表している「発見」だといえそうだ。なぜなら,この「発見」のような話は,純粋な表音文字で文章が構成されている言語(例:英語など)ではあり得ないことだと思うからだ。


☆ アルファベットで綴られた単語でスペル(綴り)を変えれば,発音の異なる別の単語になるか,発音が同じ別の単語になるか,綴り間違いになるかだ。これは全てひらがな書きの文章であっても同じ理屈であるはず。しかし,ワープロソフトの「誤変換」例を見るまでもなく,通常そのような「曖昧さ」は「漢字かな交じり文」で容易に回避される。反面,単純な「かな書き文」では,その「曖昧さ」が「誤認」もしくは「反射的・直感的な推定」によって見逃されてしまう。この「発見」の興味深いところは,そこだろうと思う。


☆ 本来的な表意文字である「漢字」と,その漢字の部首から「音」を抜き出して作った表音文字である「かな」が併存するところに,日本語の「文字」としての特徴がある。だから,我々が「かな書き文」を見た時,反射的に頭の中で「漢字かな交じり文」に変換して「読んで」いる。その「反射」には多分に「曖昧さ」を孕んでおり,やはり「あいまいな日本」の「私達の言語」なのであろう。


PS.曖昧というか,いい加減な日本語の例もたくさんある。デトロイト・スリーの2社を襲おうとしている事態は誰が言い始めたのか「連邦破産法第11条」と表記されることが多いが,あれはアーティクル(article=「条」に相当する法律用語)ではなくチャプター(chapter=「章」に相当する)なので,正しくは「連邦破産法(これも「破産ではなく倒産」なのだろう)第11章」になる(先日紹介した中空氏の本はちゃんと「第11章」で統一していた)。