名古屋発渓流釣行記〜53才になりました -34ページ目
会津若松城から車で10分
白虎隊が自害した場所に行ってきました。
結構な階段が続きます😅
画像の右側は昇り用のエスカレーター。
ひとり150円。ケチって階段登りましたよ。
しんどいけど、せっかくなので自分の足で
歩きたいのです🚶
登りました🙂
戊辰戦争(会津戦争)で会津藩が16から17歳で
組織された少年兵部隊が白虎隊です。
戸の口の戦いで敗れて、ここ飯盛山で自害を
決意した悲しい歴史です。
白虎隊自刃の際に唯一生き残られた飯沼貞雄翁
のお墓です。当時のことは余り多く語ることは
なかったそうです。僕が思うに語ることが出来
ないのかと。簡単に言葉にできるものではない
のかと思います。
落城しそうに状況の鶴ヶ城(会津若松城)を
見ている白虎隊兵士の像。鶴ヶ城から上がる
煙を見て、仲間のいる城に戻るのか?
敵陣に突撃するのか?隊で激論した結果、
「誤って敵に捕らえられ屈辱を受けるような
ことがあれば、君主に対して大変申し訳な
く先祖に対しても申し訳ない。この場は潔
ぎよく自刃し、武士の本文をあきらかにす
べし」
16、17歳の若者が決断できることではない
ですね。本当に悲しい歴史です。
自刃されて命を落とした若き19名のお墓です。
前にも書きましたが、これが明治時代になる
ほんの少し前の出来事だと思うと本当に悲しい
気持ちになります。
猪苗代湖西湖の戸の口から会津盆地まで
水を引く用水堰で全長31キロにもなる。
戊辰戦争で戸の口で戦って敗れた白虎隊20名
が潜った同穴です。
戦国時代の戦いはお互いの領土のために戦う
「国取り合戦」のイメージがありますが、
幕府末の旧幕府軍、新政府軍は互いが日本を
良くしようという思いで争った様に思います。
今の日本があるのも、この頃の人達のおかげ
かもしれませんね。
今の生活に文句なんて言ってたら、バチが
当たるかもですね。
いろいろな感情を抱きながら、このあと
新撰組組長、近藤勇のお墓に行ってみます。
(続く)
8時半開門入場料520円
御城印も購入500円で「鶴ヶ城」と
「会津若松城」の2種類がセットでした♪
天気も良くなってきました♪
入場してすぐに当時の石垣が温度調節せれて
展示されていました。
鶴ヶ城歴代の主な城主です。
蒲生家や伊達家・上杉家、最後は松平家です。
戊辰戦争の終戦まで旧幕府軍の主格として
藩を率いて抵抗した松平容保。400年も前の
戦国時代と違って明治時代の出来事なので
リアリティを感じます。
南走長屋も見学できました。
NHK大河ドラマ「八重の桜」で実際に使われた
衣装も展示されていました。
綾瀬はるかさん演じた山本八重と
綾野剛さん演じた松平容保の衣装です。
西島秀俊さんの出ていましたね。
天守閣と長屋を観終わって、外に出ます。
入場券で茶室「麟閣」も見学出来ました。
豊臣秀吉に命じられて自害した茶人千利休の
息子(少庵)を蒲生氏が会津でかくまい、
そのお礼に造られた茶室だそうです。

戊辰戦争の後に城下へ移築されたのですが、
近年になって当初あったこの場所に再移築
されたそうです。
園内で抹茶を頂くこともできましたが、今回は
パスしました🍵
園内からの会津城。
日本唯一の赤瓦が美しいです♪
👍
赤べことオヤジと会津城
結局朝7時半から11時まで滞在していました。
いい時間を過ごせました♪
朝7時起床。今日も天気は悪くはなさそう。
今思えば、東北に来た初日の午前中だけ雪
だったけど以降は恵まれていたと思います。
東北に来て毎日が楽しみで朝早く起きてし
まいます😅
天守閣開門は8時半からでしたが、それまでに
天守閣周辺を散策していました📷
テンション上がりますね〜❗️
1593年蒲生氏郷が東日本で初の本格的な
天守閣を建てて「鶴ヶ城」と命名しました。
後に寒さに強い赤瓦になり、現在では日本
唯一の赤瓦のお城です。
そしてあの戊辰戦争では新政府軍の1ヶ月
に及ぶ猛攻に耐え、難攻不落の名城として
知られるようになりました。
櫓から他の櫓へ効率よく移動できるように
設計された「武者走り」🏃
城内にある鶴ヶ城稲荷神社。鶴ヶ城初期から
ある神社です⛩️
明治7年までに天守閣をはじめとするすべての
建物が取り壊されましたが昭和40年に天守閣
が再建されました。
取り壊される前の明治5年の姿です。
戊辰戦争では新政府軍からの大砲が多い日で
2500発撃たれたそうです。
開門前で人も少なく写真が撮りやすい♪
少し雲が多いかな☁️
開門時間が近づいてきたのでいったん駐車場
に戻ります。旅行中スマホの充電が追いつか
ないので車で充電中なんです。
(天守閣開門に続く) 🏯

