人生の半ばにして人生の使命や自分が生れてきた目的を知る
---王陽明の五溺と自分を見出す術
自分の人生の使命や生まれてきた目的を知るには、時間がかかるものだと思う。
昨日たまたま、ジャンヌダルクの映画を見たのだが、彼女のように十代で使命がわかる人もいるかもしれないが、彼女は、自分でわかっていたようだが、19歳の若さで亡くなってしまった。
たいていは、自分の人生の使命や目的は、人生の半ば頃になって、わかってくるものなのではないだろうか。
王陽明は、「五溺」と言って、任侠、騎射、文学、道教、仏教に溺れてきた、と回顧している。
「はじめは任侠の習に溺れ、二つめは騎射の習に溺れ、三つめは辞章の習に溺れ、四つめは神仙の習に溺れ、五つめ目は仏氏の習に溺れ、そののち、初めて正しく聖賢の学に帰す。」と言う内容の言葉が残っている。
しかし、これは、王陽明ご自身の人生に、そういう過程が必要だったということだと思う。
聖賢の学にたどり着くために、その準備段階として、そういう紆余曲折というか、過程が王陽明には、必要だったのだと思うのだ。もちろん、最初から、聖賢の学にたどりつく人は、いるのかもしれない。
しかし、王陽明は、そうでは無かった。大器晩成。「山中の属を破るは易し。心中の賊を破るは難し。」と、名言を残し、「大学者でありながら、「大将軍」でもあった王陽明。知行合一」を旨とし、その通り生きた大器は、晩成し、死後500年近く経っても、歴史に不朽の名を連ねている。
美しい名峰の富士山は、土台が末広がりのように広がっている。ビルや建物も高くそびえるためには、基礎や土台がしっかりしていないと、大地震などには耐えられない。
大器の人物も、基礎や土台がしっかりしているということだろう。無用の用という言葉の通り、今の自分に直接役に立っていると思われないことであっても、めぐりめぐって役に立っているものだ。
違う道を行ったから、それは、自分にとって違う道だった、とわかるのだ。そして、道教や仏教の勉強は、朱子学も学んだ王陽明の陽明学の思想の基礎や見えないバックボーンにもなっていると私は思うし確信する。
人生の使命や自分が生れてきた目的を知るには、そして、本来の自分と折り合って生きられる様になるには、人生の半分以上を費やすことが多いのではないかと思う。
孔子は、「四十にして迷わず」、「五十にして天命を知る」と言っているが、人によって差こそあるだろうが、これは真理だと思う。
なかなか、思ったように道が開けていかなくても、志や夢、目標を持って、うまずたゆまず
、地道に努力を続けていれば、必ず道は開けるし、理想の自分になっていけるのだと思う。
---王陽明の五溺と自分を見出す術
自分の人生の使命や生まれてきた目的を知るには、時間がかかるものだと思う。
昨日たまたま、ジャンヌダルクの映画を見たのだが、彼女のように十代で使命がわかる人もいるかもしれないが、彼女は、自分でわかっていたようだが、19歳の若さで亡くなってしまった。
たいていは、自分の人生の使命や目的は、人生の半ば頃になって、わかってくるものなのではないだろうか。
王陽明は、「五溺」と言って、任侠、騎射、文学、道教、仏教に溺れてきた、と回顧している。
「はじめは任侠の習に溺れ、二つめは騎射の習に溺れ、三つめは辞章の習に溺れ、四つめは神仙の習に溺れ、五つめ目は仏氏の習に溺れ、そののち、初めて正しく聖賢の学に帰す。」と言う内容の言葉が残っている。
しかし、これは、王陽明ご自身の人生に、そういう過程が必要だったということだと思う。
聖賢の学にたどり着くために、その準備段階として、そういう紆余曲折というか、過程が王陽明には、必要だったのだと思うのだ。もちろん、最初から、聖賢の学にたどりつく人は、いるのかもしれない。
しかし、王陽明は、そうでは無かった。大器晩成。「山中の属を破るは易し。心中の賊を破るは難し。」と、名言を残し、「大学者でありながら、「大将軍」でもあった王陽明。知行合一」を旨とし、その通り生きた大器は、晩成し、死後500年近く経っても、歴史に不朽の名を連ねている。
美しい名峰の富士山は、土台が末広がりのように広がっている。ビルや建物も高くそびえるためには、基礎や土台がしっかりしていないと、大地震などには耐えられない。
大器の人物も、基礎や土台がしっかりしているということだろう。無用の用という言葉の通り、今の自分に直接役に立っていると思われないことであっても、めぐりめぐって役に立っているものだ。
違う道を行ったから、それは、自分にとって違う道だった、とわかるのだ。そして、道教や仏教の勉強は、朱子学も学んだ王陽明の陽明学の思想の基礎や見えないバックボーンにもなっていると私は思うし確信する。
人生の使命や自分が生れてきた目的を知るには、そして、本来の自分と折り合って生きられる様になるには、人生の半分以上を費やすことが多いのではないかと思う。
孔子は、「四十にして迷わず」、「五十にして天命を知る」と言っているが、人によって差こそあるだろうが、これは真理だと思う。
なかなか、思ったように道が開けていかなくても、志や夢、目標を持って、うまずたゆまず
、地道に努力を続けていれば、必ず道は開けるし、理想の自分になっていけるのだと思う。