「平成維新!」
大前研一さんの「平成維新」は、日本という国家を良くしよう、語弊を恐れずに例えて言えば、「日本株式会社」の業績を「日本株式会社」のコンサルタントという視点から日本を良くして行こう、という発想で書かれた本だったので、大変興味をもったし、応援したかった。
本に大変共感していたので、後日設立された、「平成維新の会」にも、入会金1万円で、誰でも入会できるということもあって、迷わずすぐに入会したものだった。
あとから、平成維新の会の会員証カードが送られてきた記憶が残る。
ちょうど、平成維新が出版された頃だったと思うが、「平成の改新」という本も出版されていた。吉田和男さんという人の著作だった。題名に魅かれて購入したのだが、読んでみて、こちらにもびっくりというか、大変勉強になったものだ。
吉田和男さんは、大蔵省のキャリア組だったこともあって、内部情報にも詳しかった。今から思えば、1990年初頭の段階で大蔵省の官僚がああいう内容のことを書けたということも驚きではある。ちょうどバブルがはじけて、大蔵省も自信を失っている時だったのかもしれない。
ただ、吉田和男さんは、大蔵省のキャリア組の中での(特殊な?)カテゴリーの中では、少し変わっていたのかもしれない。国民・生活者からすれば、最も、まっとうだったとしても・・・である。
その後、大阪大学を経て大蔵省を退官し、京都大学教授になられている。一昨年、京都大学を定年退官し、現在は京都産業大学教授をされている。
吉田和男さんには、大蔵省退官後の著作として、陽明学関係の本が3冊くらいあるのだ。うち1冊は読ませていただいたが、素晴らしいものだった。こういうたとえはご本人には迷惑かもしれないが、民のことを真剣に考え、飢饉のときでも、幕府の米を配布しようとした、大塩平八郎を思わせるようだ。
当時、日曜日の午前中に放送されていた、田原総一郎さんの「サンデー・プロジェクト」でも、大蔵省の中堅官僚が、生放送によく出演していた。
日銀総裁の政策や国会承認などを必要としない、大蔵省局長の裁量で通達可能な総量規制の通達、自由主義経済下における大蔵省の官僚の経済コントロールの問題点、マスコミの問題点なども含めて、バブルがはじけた原因についても、様々なところで議論されていたとは思う。
ただ、その後失われた20年と言われてしまった現状には、大変残念な結果と言わざるを得ないが・・・。
「平成維新」の数年あとに出版されていた「新・大前研一レポート」で具体的に提案した80以上の法律案は、ひとつも法律になっていないという。
この国は、変わっていないのだ。でも問題点を内包したまま、ずるずる時が過ぎていると言っていい現状だ。
根本的解決を後回しにすればするほど、子や孫のつけは増えていってしまう。
大前研一さんの近著を読ませていただいたが、やはり、戦後から1970年代くらいまでは、有効に機能していた現在の硬直した官僚制にも問題がありそうだ。
国家公務員として国家的スケールの視点を持って、なおかつ自国のエゴだけでなく、地球時代にふさわしいグローバルな視点からの国の運営ができる本当に文字通りの国家公務員が求められているはずだ。
新人のころには、それほど念頭になかったはずの、天下り先確保とか、渡りとか、国益ならぬ省益で動くようになってしまっていれば、それは、もはや国家公務員とは言えないだろう。
そして、スペシャリストは必要だとしても、省の中のみの異動で、国家の全体像が見えない人材でもまずいだろうと思う。それぞれの省の事務次官会議というものもあるらしいが、部分の総和は、必ず全体未満になってしまうという法則もあるのだ。本来は、政治家がその任を担うべきでもあるが、国家公務員にもそういう人材が必要だ。
省が終身雇用してしまうしくみを、きとんと日本国が雇用するしくみにして、現在の民間企業で行われている程度の実力主義と、年次だけに縛られない昇進のしくみ、そして、天下りも自分が関係していた業種には、行かないなどのけじめ、コンプライアンスなどの縛りも必要になってくるはずだ。
そのうえで、省庁をまたいだ日本国、それも地球時代のグローバルな視点を持った人材がたくさん出て欲しいものだ。
多分、10年、厳しく言えば20年以上、改革が遅れてしまっているのが現状だろうと思う。
アベノミクスにも、陰りが出てきてしまっている昨今、長期的視野を持って真剣に、本腰を入れて、改革をしていくところはしていかないと大変な事態になってしまうのではないかと非常に心配だ。
子供や孫たちに夢と希望のある国を残したいと切に願う。
「地球に日本という国があって良かった」と他の国から思われるような日本、そして子供や孫、子孫たちが、「こういう日本に生まれてきて良かった」と思えるような、素晴らしい日本になれるように、「平成維新」、平成の改革・改新が進むことを切に願う。
大前研一さんの「平成維新」は、日本という国家を良くしよう、語弊を恐れずに例えて言えば、「日本株式会社」の業績を「日本株式会社」のコンサルタントという視点から日本を良くして行こう、という発想で書かれた本だったので、大変興味をもったし、応援したかった。
本に大変共感していたので、後日設立された、「平成維新の会」にも、入会金1万円で、誰でも入会できるということもあって、迷わずすぐに入会したものだった。
あとから、平成維新の会の会員証カードが送られてきた記憶が残る。
ちょうど、平成維新が出版された頃だったと思うが、「平成の改新」という本も出版されていた。吉田和男さんという人の著作だった。題名に魅かれて購入したのだが、読んでみて、こちらにもびっくりというか、大変勉強になったものだ。
吉田和男さんは、大蔵省のキャリア組だったこともあって、内部情報にも詳しかった。今から思えば、1990年初頭の段階で大蔵省の官僚がああいう内容のことを書けたということも驚きではある。ちょうどバブルがはじけて、大蔵省も自信を失っている時だったのかもしれない。
ただ、吉田和男さんは、大蔵省のキャリア組の中での(特殊な?)カテゴリーの中では、少し変わっていたのかもしれない。国民・生活者からすれば、最も、まっとうだったとしても・・・である。
その後、大阪大学を経て大蔵省を退官し、京都大学教授になられている。一昨年、京都大学を定年退官し、現在は京都産業大学教授をされている。
吉田和男さんには、大蔵省退官後の著作として、陽明学関係の本が3冊くらいあるのだ。うち1冊は読ませていただいたが、素晴らしいものだった。こういうたとえはご本人には迷惑かもしれないが、民のことを真剣に考え、飢饉のときでも、幕府の米を配布しようとした、大塩平八郎を思わせるようだ。
当時、日曜日の午前中に放送されていた、田原総一郎さんの「サンデー・プロジェクト」でも、大蔵省の中堅官僚が、生放送によく出演していた。
日銀総裁の政策や国会承認などを必要としない、大蔵省局長の裁量で通達可能な総量規制の通達、自由主義経済下における大蔵省の官僚の経済コントロールの問題点、マスコミの問題点なども含めて、バブルがはじけた原因についても、様々なところで議論されていたとは思う。
ただ、その後失われた20年と言われてしまった現状には、大変残念な結果と言わざるを得ないが・・・。
「平成維新」の数年あとに出版されていた「新・大前研一レポート」で具体的に提案した80以上の法律案は、ひとつも法律になっていないという。
この国は、変わっていないのだ。でも問題点を内包したまま、ずるずる時が過ぎていると言っていい現状だ。
根本的解決を後回しにすればするほど、子や孫のつけは増えていってしまう。
大前研一さんの近著を読ませていただいたが、やはり、戦後から1970年代くらいまでは、有効に機能していた現在の硬直した官僚制にも問題がありそうだ。
国家公務員として国家的スケールの視点を持って、なおかつ自国のエゴだけでなく、地球時代にふさわしいグローバルな視点からの国の運営ができる本当に文字通りの国家公務員が求められているはずだ。
新人のころには、それほど念頭になかったはずの、天下り先確保とか、渡りとか、国益ならぬ省益で動くようになってしまっていれば、それは、もはや国家公務員とは言えないだろう。
そして、スペシャリストは必要だとしても、省の中のみの異動で、国家の全体像が見えない人材でもまずいだろうと思う。それぞれの省の事務次官会議というものもあるらしいが、部分の総和は、必ず全体未満になってしまうという法則もあるのだ。本来は、政治家がその任を担うべきでもあるが、国家公務員にもそういう人材が必要だ。
省が終身雇用してしまうしくみを、きとんと日本国が雇用するしくみにして、現在の民間企業で行われている程度の実力主義と、年次だけに縛られない昇進のしくみ、そして、天下りも自分が関係していた業種には、行かないなどのけじめ、コンプライアンスなどの縛りも必要になってくるはずだ。
そのうえで、省庁をまたいだ日本国、それも地球時代のグローバルな視点を持った人材がたくさん出て欲しいものだ。
多分、10年、厳しく言えば20年以上、改革が遅れてしまっているのが現状だろうと思う。
アベノミクスにも、陰りが出てきてしまっている昨今、長期的視野を持って真剣に、本腰を入れて、改革をしていくところはしていかないと大変な事態になってしまうのではないかと非常に心配だ。
子供や孫たちに夢と希望のある国を残したいと切に願う。
「地球に日本という国があって良かった」と他の国から思われるような日本、そして子供や孫、子孫たちが、「こういう日本に生まれてきて良かった」と思えるような、素晴らしい日本になれるように、「平成維新」、平成の改革・改新が進むことを切に願う。