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2019年母がうっ血性心不全で亡くなり
関西から関東の我が家で同居3年の父93歳
2022年10月、ショートステイ中
転倒して大腿骨頸部骨折で入院したが
誤嚥性肺炎に続きコロナ陽性で
1ヶ月後にやっと人工関節の手術
要介護5、3ヶ月のリハビリ入院後、
2023年3月介護付き有料老人ホームに入居
6月に肺炎で救急搬送&入院
病名は左胸膜炎、膿胸、左肺炎
8月に退院して元の老人ホームへ戻ったものの
退院6日目で旅立ちました
父の妹である叔母①から
私宛にお歳暮が届いた😅
今までは父宛に届いていたのだけど
お花料(香典)受け取らなかったからかな?
叔母①にお礼の電話をし、
“父がいないのにありがとうございます“
と言うと
“あんたに送ったんよ。
ホンマ兄ちゃんのことありがとう“
と、またもや労ってくれたよ
父の兄の娘である従姉妹からの電話で、
四国の親戚について聞かれたけど
分からないから叔母①に聞いてくれるように
言った話をしたら、
父や叔母①の両親である
祖父母一家の四国時代の昔話となった。
祖父は二男だったため、
早くから四国から大阪に出て働き、
大阪で家庭を持ち
父や叔母達子供も大阪で生まれている。
しかし、戦中の強制疎開で四国に移住。
戦後しばらく四国で過ごし、
既に就職していた長男の伯父以外、
一家で大阪に戻ったらしい。
父は中学から高校を四国で過ごし、
奨学金で行った大学時代は大阪、
隣県に就職していたが、
一緒に大阪に戻ったと思う。
祖父は二男だったけど、
長男が曽祖父母より先に亡くなり、
長男の妻は子供がいる関東に移住したので、
祖父が家も墓も継いだそうだ。
そういえば、祖父母の墓は
代々の墓ですごく立派だったわ。
その家が、昔庄屋だったから
ものすごく広くて大きかったそうだが、
(家だけで他に土地は無かったみたい)
大阪に住んでいた祖父は
地元に住んでいた祖父の妹の子供が
若くして夫を亡くし困っていたから
譲ってしまったそうだ
叔母①は笑いながら
“ど田舎の安い土地やけど
おじいさん男前やろ“
と言っていたよ
うん、おじいちゃん太っ腹やん
ただ、祖父も口より手が出るタイプだったらしく、
行儀が悪かったら叩かれたそうで、
叔母①は祖父の事を憎らしく思っていたが、
祖父の晩年を叔母達3人で面倒を見たことに
「女の子がいて面倒見てくれてありがたい」
と感謝を述べてくれて
憎らしく無くなったそうだ
私の祖父母のイメージは
大阪の長屋の小さな家に住み
慎ましく静かに暮らしていて、
孫達が集まると嬉しそうに微笑んで
ちょんと座っている
叔母①に、
“兄ちゃんも気が短くて手が出たから
あんたも憎らしかったやろ“
と言われたが、
確かに子供の頃はガチ殴りされたり
引きずって外に放り出されたが、
父は定年退職後、かなり穏やかになり
穏やかになった父との時間の方が長いのと、
晩年は「守るべき存在」になってしまったので、
「クソジジイ!」
と言ったことはあるけど
憎んでいることはなかったなと思う
祖父母も父母も
戦前、戦中、戦後の昭和を
一生懸命、慎ましく生きて、
祖父母は平成まで、
父母は令和まで長生きして
最後は娘達に面倒見てもらい
幸せだったんだなと思ったよ