関東三大梅林といえば“偕楽園(かいらくえん)”(茨城県水戸市)、“越生(おごせ)梅林”(埼玉県入間郡越生町)、そして“曽我(そが)梅林”(神奈川県小田原市)が挙げられますが、久しぶりにぽっかりと晴れた空晴れに誘われて、曽我梅林を訪ねました。

 

 ・・・が、着いてみると3万5千本が咲き誇るといわれる梅林のほとんどがすっかり花の盛りを過ぎていて、あら大変あせる。埼玉の自宅近くは今がちょうど満開なのでそのつもりでいたら、やはり小田原はかなり温かいのですね~。

 

 それでも超遅咲き種なのかはてなマークまだほんの幾本か花をつけているのがあり、その貴重な花々の愛しいことラブラブ

 

 嫋(たお)やかな枝垂れ梅。

 

 百花に先駆けて咲く梅花はやはり格別ですねラブラブ

 

 小さな川の土手を歩き、 

 

 パンフレットに載っている“富士見スポットカメラ”へ。でも、電線と電柱がちょっと邪魔・・・。素人目には最初に撮った写真の場所のほうがいい気がするんだけどなぁ。

 

 梅が満開だとこんな素敵な写真が撮れるそうですラブラブ。写真は“小田原梅まつり”のホームページよりお借りしました。

 

 曽我梅林は見どころの多い“神奈川の景勝50選”にも選ばれているそうで、富士山をのぞむとてもいい場所に、その記念の石碑もありました。

 

 売店のほうに行ってみます。

 

 梅見客で賑わう売店や食堂の横にとても立派な鳥居があるのですが、なんと鳥居とお社の間に、というか鳥居をくぐった目の前に、まるで遮るように「総合案内所」の建物が建っているのにびっくり仰天!!。ここから先は御神域なんだけどなぁ~(心の声・笑)。

 

 そして総合案内所や売店、食堂のテラス席など雑踏の真ん中にぽつんと“八幡社”と記された石碑のような社号標と小さなお社があります。でも考えてみれば地元の氏神さまですから、ひとびと集う場所にあるのが一番いいのかもしれませんねニコニコ。賽銭箱も何もないので、お賽銭の代わりに売店で買い物をし、そっと手を合わせました。

 

 ほとんどの梅は咲き終わっていたけれど、

 

 青空に映える富士山富士山と梅林のコラボレーションを楽しめる曽我梅林、空気が澄んで、とてもいいところでした。

 

 さて、梅林で一日過ごす予定が思いのほか早く済んでしまったので、車で30分ほどの小田原早川漁港でランチをいただくことにします。駐車場に車を停めると、目の前がもうキラキラ輝く小田原の海波。思わず「海だ~~っビックリマーク」と叫んで駆け出したくなります。

 

 港周辺の“おさかな通り”には、早川漁港で水揚げされたばかりの新鮮な魚介をつかった食事処や海産物の店がいくつかあり、こちらの一番海に近くてお祭り会場みたいな飾りつけの“小田原早川漁村”さんに入りました。

 

 一階は海鮮バーベキューの80分食べ放題のお店でじーばーコンビには不向きなので、二階の海鮮丼専門店“海舟”のほうにします。

 

 ここは早川漁港直送の地魚をつかったメニューが豊富で、その日の水揚げにより「本日の地魚三種」が決まるそうです。この日の地魚三種はマグロ、ブリ、ボラで、わたしは地魚三種の刺身に本日の地魚揚げたてフライ(カマス、メジナ、カレイ)のついた御膳、

 

 夫は地魚三種にサーモンののった海鮮丼をいただきました。いやもうどちらもボリューム満点、新鮮さ、お味は言うに及ばず、小田原の海の幸でお腹いっぱいになりましたニコニコ

 

 さて午後はどうしようキョロキョロはてなマーク。いつもながら予定なしの行き当たりばったりなのでランチしながらGoogleマップを眺め、目に留まった“皆春荘(かいしゅんそう)”へ行ってみることにしました。

 

 鄙(ひな)びた味わいの山門をくぐると、 

 

 玄関までのアプローチは自然石をつかったゆるい石段。

 

 入口にあった案内板によると、こちらの“皆春荘(かいしゅんそう)”は第23代内閣総理大臣の清浦奎吾(きようらけいご)が明治40年頃に建てた別荘で、その後南側に隣接する明治の元勲、山縣有朋(やまがたありとも)の別邸“古稀庵(こきあん)”に編入されたそうです。

 

 向きも形もとても凝ったつくりの玄関から入らせていただきます。

 

 式台(しきだい)には愛らしい雛飾りも。

 

 玄関の間には山縣有朋ご本人の手になる『皆春荘』の額装が掲げられています。帰宅後調べると、“含雪(がんせつ)”は有朋の号の一つだそうです。

 

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 玄関を入って左手の奥につづく廊下は立入禁止になっていて、ここから先はプライベートスペースのようです。

 

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 そこから右手に分かれる廊下は中庭に面していて、突き当りの和室まで続いています。

 

 その廊下と並行して玄関側にもう一本畳廊下があり、途中には明治時代の建物の装飾としてはちょっとモダンすぎるはてなマーク展示物がいろいろと・・・。

 

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 それもそのはず、この日は邸内全体を使ってアート作品の展示会が行われていました。

 

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 開催されていたのは『えび久・海老原久夫のアート展』で、作家さんご本人がいらっしゃり、熱心に一つ一つの作品の説明をしてくださるので、ひと通り拝見します。

 

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 二間つづきの座敷の前は庭園に面した広い縁側で、硝子戸を通して陽の光晴れが燦燦と降りそそいでいます。

 

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 ところで案内板によると、この皆春荘は山縣有朋が譲り受けたあと、しばらく時を置いて、友子夫人亡き後、有朋の身の回りの世話をしていた吉田貞子さんという女性に贈られたそうです。案内板の文面からは、貞子さんは一般的にいうお妾さんではなく、献身的に寄り添い有朋の最期も看取られた方で、事実上後添いの夫人でいらしたように感じられます。

 

 縁側の隅から奥の和室を見ると、ちょうど数名の団体さんが入られ、アート作品の解説が始まったところだったので、

 

 先に日本庭園へ行ってみます。

 

 一度玄関を出て、庭園入口から庭に出ます。

 

 庭園に入るとすぐに、今は水がありませんが、築庭造園に造詣の深かった山縣有朋ゆかりの庭園には必ずあるという水の流れの痕跡が目に飛び込んできます。

 

 アート作家海老原氏のお話しによると、山縣有朋がデザインしたこの日本庭園は当時はもっと広く、南側の“古稀庵(こきあん)”という有朋の別邸と一体化していたそうです。

 

 主屋を左手に見ながら、水の流れのもとを辿って庭園の奥へ行ってみると、

 

 深い植え込みの奥におそらくここが水源と思われる石組みがありました。同じく海老原氏のお話しによると、せっかくのこの流れに再び水を通すために、皆春荘は今年(2024)の3月で一度クローズし、庭園の改修工事を行う予定だそうです。

 

 主屋から一段奥まったところには床の間つきの八畳の和室があり、

 

 炉(ろ)は切ってありませんが、位置や設(しつら)えからみて、この部屋は風炉釜(ふろがま)を置けば茶室としても使えるようにつくられています。

 

 庭園越しに見る借景の山々。

 

 皆春荘の全景です。

 

 皆春荘を後にして、坂を少し下ったところにあるこちらが山縣有朋の小田原の別邸“古稀庵(こきあん)”です。現在ここはあいおいニッセイ同和損保の研修所になっていて、有朋の別邸だった洋館は栃木県矢板市の“山縣有朋記念館”に移築されているそうですが、有朋所有の目白椿山荘(ちんざんそう)、京都無鄰菴(むりんあん)の庭園とともに近代日本庭園の傑作とされる古稀庵の庭園は、毎週日曜日のみ見学ができるそうです。

 

 古稀庵の前にある案内看板を見ると、この一帯は小田原市板橋という地名らしく、山縣有朋だけでなく近代日本の礎を築いた偉人たちの住居や別邸などが集まっていたところだそうです。東京からも近く、気候は温暖、風光明媚で閑静なところが好まれたのかもしれません。

 案内看板に誘われて、歩いてすぐの“松永記念館”へ行ってみたくなりました。老欅荘(ろうきょそう)、葉雨庵(よううあん)、その妙なる名前を見ただけでもワクワク期待が高まりますラブラブ

 

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