イ・ビョンホンさん主演の韓国映画『KCIA 南山(ナムサン)の部長たち』を見ました。

写真はシネマート新宿に飾られていたポスターです。

 

 ポスターにも大きく書かれていますが、この映画は1979年10月26日の夜、韓国で実際に起きたパク・チョンヒ(朴正熙)大統領暗殺事件の顛末を描くもので、冒頭で“日韓両国でベストセラーになった原作小説『実録KCIA―「南山と呼ばれた男たち」』を基にしたフィクションです”との但し書きは流れるものの、当の暗殺者となったKCIA部長キム・ジェギュ(※映画ではキム・ギュピョン)を主人公に、おそらく限りなく史実に近いのではないかと思われるほどの真実味をもって、彼がなぜそのような凶行に至ったかという謎に肉迫してゆきます。

KCIA部長キム・ギュピョンに扮するイ・ビョンホンさんの内から絞り出すような繊細な心理描写にはほんとうに胸を打たれます。写真はすべて『KCIA 南山の部長たち』公式サイトよりお借りしました。

 

 大韓民国中央情報部、通称KCIA(Korean Central Intelligence Agency)は、1961年の5.16軍事クーデターの後に設置された大統領直属の情報機関で、北朝鮮工作員の摘発や反政府運動の取り締まりなどを行うと同時に国民生活を監視し、パク・チョンヒ大統領の独裁に反対するひとたちを誘拐して拷問することなどで知られ、強大な権力を持ち、泣く子も黙ると恐れられていた組織です。南山(ナムサン)はソウルのシンボル、Nソウルタワーのある人気の観光スポットですが、そのすぐ近くにKCIAの本部があったために、軍事政権下の大統領に次ぐ権力を握るといわれたKCIAのトップはその所在地から、代々“南山(ナムサン)の部長”と呼ばれたのだそうです。

 

 プロローグのあと、物語は大統領暗殺の40日前、アメリカ議会下院の聴聞会において、KCIAの前部長だったパク・ヨンガク(クァク・ドウォン)がパク・チョンヒ大統領(イ・ソンミン)の横暴な独裁政治やその腐敗ぶりを告発するところからはじまります。どうしていきなりアメリカ議会ではてなマークと疑問に思いながらも、話の展開は早いし、登場人物の役職と名前、そしてせりふを同時に字幕で読み取るのに苦労して考える暇がなかったのですが、その後韓国人女性のロビイスト、デボラ・シム(キム・ソジン)の登場で、確か同時代の“コリア・ゲート事件”が思い出されて、なるほどとやっと合点がいったのでした。

コリア・ゲート事件の真相究明のために設けられた調査委員会が開いた聴聞会の席上でパク・チョンヒ大統領を糾弾するパク・ヨンガク。クァク・ドウォンさんは、ギルペンにとっては映画『無頼漢』でギルさんの先輩刑事役を演じられたときの憎たらしさが忘れられません~

 

 アメリカ議会で暴露しただけではなく、さらにパク・ヨンガクが在任中の回顧録まで認(したた)めていることに激怒した大統領は、現KCIA部長のキム・ギュピョン(イ・ビョンホン)に事態の収拾を命じます。こうしてキム・ギュピョンはパク・ヨンガクに会いにアメリカへ行くのですが、話の様子からふたりはただの部長職の前任後任ではなく、腹を割って話し合える友人であることがわかります。歴史に“たられば”はないのですが、振り返ればこのアメリカでのパク・ヨンガクとの再会とそのときに語り合ったことが、のちの暗殺実行への大きなきっかけでありカウントダウンのはじまりだったのだと思うと、もしこのときにふたりが再会しなかったら、その後の歴史はどう変わっていただろうかと考えずにはいられません。

 

 そしてこのときは一応所期の目的を果たして帰国したキム・ギュピョンでしたが、その後パク・ヨンガクの裏切りにあったり、青瓦台(チョンワデ・韓国の大統領府)に盗聴器が仕掛けられたことで罵倒されたりと彼の身辺でさまざまな出来事が起きるなかで、忠誠を誓ったはずのパク・チョンヒ大統領との間に距離を感じるようになり、側近たちのなかでも孤立することが多くなります。そしてその隙に割り込もうとするのが、何でも武力で解決しようとしたがるクァク・サンチョン警護室長(イ・ヒジュン)で、大統領までもが腰巾着のようにふるまうクァク室長の意見を重用するような素振りを見せはじめ、クァク室長との確執に苦しむキム・ギュピョンはますます焦燥感を募らせてゆきます。

まるでやくざ上がりかと思うほどの傍若無人な物言いで、すべて力で捻じ伏せようとするクァク警備室長。イ・ヒジュンさんはわたしは今回初めて拝見したのですが、イ・ビョンホンさんにもイ・ソンミンさんにもまったく引けを取らない堂々たる悪者ぶりでした。

 

 ふつう現在上映中の映画について書くときは、なるべくネタバレをしないように気をつけなければなりませんが、この映画は逆に見る前から皆が結末を知っているので、そのラストへ向けて話が展開してゆくなかに人間ドラマが凝縮されているところが醍醐味であろうと思います。そういう意味でも俳優陣の演技の卓越ぶりは圧巻で、歴史上の事件のひとつとしての認識しかなかったわたしでさえも、ぐいぐい引き込まれていく感覚を抑えることができないままにキム・ギュピョンと同化し、ラストへ向かって突っ走っていった気がします。本作で百想芸術大賞主演男優賞を受賞されたイ・ビョンホンさんは言うに及ばず、パク・チョンヒ大統領そのひとになりきって演じられたイ・ソンミンさんも必見です。

「君のそばには私がいるじゃないか。自分の思うとおりにやったらいい。」・・・独裁者のこの囁きに踊らされたひとたちがどれだけいたことか・・・。

 

 映画のラストシーンで実際のキム・ジェギュの裁判の様子が映像で流れ、そのなかで彼の肉声を聞くことができるのですが、じぶんは弁解も命乞いもするつもりはないと落ち着いて話すことばに嘘偽りはないように感じられて、そのときになってはじめて、わたしはあふれる涙を堪えることができませんでした。己の意思とは裏腹に、自身の人間性を壊されてゆくことへの恐怖は堪えがたいものであったろうと思うからです。

 

http://klockworx-asia.com/kcia/左矢印『KCIA 南山の部長たち』公式サイト

 

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