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リーンのガラパゴスサロン~趣味や娯楽の広場

「リーンのガラパゴス批評」の兄弟ブログです。趣味に関する記事はこちらでどうぞ。

 

 福島県は、浜通り、中通り、会津、と三つの地域に分類されるのだそうだ。震災を機にニュースでこの区域分けを耳にするようになって、なんと典雅なひびきだろう、とすこし憧れるおもいがした。わたしが住む長野県は江戸時代からの国名から信州とよぶのが今でも残っているが、地域の分け方は、北信、中信、東信、南信、四つに分けている。なんともお役所仕事の典型のような無機質な呼び方をする。どうせなら、例えば松本を中心とした中信地方は北アルプス地方とでも呼べば誰にでもイメージがふくらむだろうに。


“郡山県”から“いわき県”に来たと思えばいいんですね


 山下達郎さんは福島県でコンサートをするときは必ず郡山市民文化センターを使用していた。しかし震災の影響で使用不能(コンサートの日程が決まったあと、センターは使用を再開したと達郎さんは言っていた)になったため、今回のコンサートツアーはいわき市で行うことになった。いわきの前日、4月10日は山形県民会館で演奏を行い、終了後にバスで郡山に移動、そしてコンサート当日にバスでいわきに入る強行スケジュールをこなしている。達郎さんがコンサートの中で言ったことばには、移動の距離だけでなく、地政学的な意味も込められている。ひと山超えてやって来てくれた、達郎さんがはるばるいわき市にやってきてくれた、観客の人はこのひとことを嬉しく思ったでしょうね。達郎さん、曲作りで詩を書くことが一番苦手、といいながらちょっとした表現に味がある。ずるいもんです。


 達郎さんが西から超えてお国入りしたのとは方向が違い、私は南側から常磐線に乗っていわきにはいった。日立市を後にした頃から山が線路に迫ってくる。その合間から太平洋がみえる。浜通り、といいながらも見える風景は正反対のものだ。福島県のイメージは中通りを通ったときの平らな土地、というものが支配していたが、浜通りは見える風景からしてまったく違うところらしい。


 12時過ぎ、いわき駅に到着。


 浜、見えず。


 まっすぐな道。


 どこにでもあるようなビル街。


 雨と風、強し。


 正直、街に愛着を感じられなかった。それに悪天候もあって散索を断念した。震災の現状を見るのは明日に勝負をかけることにする。駅の近くの図書館で時間をつぶし、チェックインの時間を待って、予約した旅館に入る。そして、宿の前を流れる川向かいにあるコンサート会場に出かけた。


 いわき芸術文化交流館アリオス、大ホール。


長い名前で覚えられないんですよ


 達郎さんもMCでそういっていたが、私も舌が噛んでしまいそうだ。真ん中の漢字の語句は別に要らないだろう。はずしたほうが“いわき”のひらがなの地名が強調されてすっきりするだろうに。


 会場時間の18時より早く到着した。ホールの北に広がる茶けた芝生を歩いている人はいなかった。すでにお客をロビーに入れてグッズの販売もはじまっていたが、拍子抜けするほどすぐに買えた。買ったのは卓上カレンダーと開催地の名前が入ったアルミプレート。


 席は3階の2列目。軽い高所恐怖症気味のわたしにとってあまり居心地はよくない。席は小さめで、座っている人の前を通ると自分の足がひざに当たることを気にしなければならないほど狭い。


それにしても面白いホールですね。ここは5階(達郎さんの勘違いで4階が最上階)まであるんですね。でも1700人しか入らない。だったら2階席(の客席のつくり)にすればいいじゃないですか


 最初のMCのタイミングですぐに達郎さんが言うほどこのホールの設計は特徴的だ。どうやらオペラホールを模して設計しているようだが、富山市のオーバードホールも似たような会場で、両方とも好きになれない。同じくらいのキャパシティなら1階席だけでゆったりとくつろげる仙台のイズミティ21のほうが私は好きだ。毒舌ついでにいえば、私がいった中で好きなホールは、旧大阪フェスティバルホールと静岡市民文化会館です。今回のツアーではあと2回いく予定ですがどちらもいったことがないので楽しみです。


 開演5分前になっても下を見ると空席が目につく。雨のせいで客の出足が鈍い。見渡すと明らかにわたしよりお年を召した方が多い。来年には還暦を迎える達郎さんのコンサートだから年齢層は高いのですが、今回はわたしが見た中ではもっとも平均年齢が高そうだ。音楽の趣味は演歌です、といっても驚かれない方がいたるところにいらっしゃる。


 でも、人生に疲れている空気が漂ってこない。


 笑顔が似合う人ばかりだ。ここが一年一ヶ月前に大災害にあったなんて微塵も感じなかった。身に受けた苦境をこのときばかりは忘れようとしているという切迫感とも違う。すべてを受け入れて日常を生きている人が当たり前に達郎さんの歌と音楽を聞こうと集まった人々ばかりだった。

 

 コンサートが始まっても会場の雰囲気は和やかなものだ。


タツローさあーん!!」


 曲が終わるたびにステージに声援も送られていた。


野太い声ですねえ


 また曲が終わって声援がとぶ。たぶん同じ方でしょうね。



タツローさあーんん!!!」


うるさいなあ(笑。と、喜んで毒を吐くわけで)。たまには、黄色い声援がないですかねえ


 ……。


たつろうさぁーんドキドキ


 達郎さんの呼びかけに勇気をもって応えた女性がいました。


こーこーせぇーっ!」


 身分を明かすとは、なかなかやりますね。


エッ 高校生!? ありがとう、あとでなんかあげましょう


 達郎さんからプレゼントがもらえる!? そうなったら女性は現金なものだ。


タツロ-サーン!」


タツローサアーン!!」


 他の女性が盛んに声をかける。まったく女性は福島でも強いらしい。


後出しはダメですよ(笑)。しかし、モノをあげるってなんか“エンコー”みたいだな。……。なんか言葉の表現がよくないな……」


 援助交際ねえ。達郎さんもすっかりそんな言葉が似合う御年になりました。じじいだねえ。


 でもこんな際どい話をしても会場の雰囲気は和やかなもの。きっとあの高校生の方も悪い気分にはならなかったでしょう。


今日は大人の雰囲気でいいですね


 と達郎さんもいっていたように、福島の方は音楽としゃべるを楽しむ余裕がある。けっして達郎さんのしゃべりを遮らないし、一見さんも多いこともあってか聴きたい曲が演奏されたときも感嘆の声や拍手も反応が素直にでる。広島はお客さんがおとなしめで若干居心地がわるかった。仙台はなかなか雰囲気がよかった。場慣れした人が多くて都会的だった。それに比べて福島は達郎体験が少ない人がつくった素直な喜びがコンサートを上々のものにしていた。被災地2県のお客様はどちらも楽しむ空気に満ちていた。このお客様のなかで達郎体験をできたのは嬉しいものです。


 さて、時系列が脱線しました。時間を戻して、次回はコンサートの模様をお送りします。


 4月11日18時35分。


 照明が落ちました。バンドのメンバーが、そして達郎さんがステージに立つ。いよいよ、開演。

  My One & Only Love(Doris Day)



  蒼氓 03.サンデーソングブック 10th Live Version(山下達郎)



  希望という名の光 12.Acoustic Version(山下達郎)





 山下達郎がお送りしておりますサンデーソングブック、本日は東日本大震災1周年、追悼と復興祈念のプログラム、と題してお届けしております。



 今日ここまでお聴きをいただいた曲は、えー、まず前半は洋楽作品から、えー、今日は普段わたくし自身の心の平安に大いに役立っている歌を何曲か選んでお聴きをいただきました。



 えー、まず最初はソロモン・バーク、2002年のアルバム『Don`t Give Up On Me』からタイトルソング「Don`t Give Up On Me」、



 僕に何か足りなくても


 僕が合格点じゃなくても


 君の期待に今日は応えられなくても


 いつだって明日はある


 じゃなきゃ明日の夜がある


 だからこらえておくれ


 遅かれ早かれ僕はちゃんとするから



 希望に満ち溢れた曲であります。



 えー、その次が、わたくしの生涯のヒーリングミュージックでありますカーティス・メイフィールドの1975年のアルバム『There`s No Place A Like America Today』から「Blue Monday People」



 えー、重い一曲であります。



 続きましてはR.ケリー、2010年『Love Letter』というアルバムからボーナストラック、隠しトラックになっております、もともとはマイケルジャクソンのたいへん有名な一曲であります1995年のプラチナシングル「You Are Not Alone」これの作者、R.ケリーによるセルフカバーでございます。


 君はひとりじゃない


 僕は君といっしょにいる


 君が遠くに行っても僕はここに残っている


 君はひとりじゃない


 僕たちが離れ離れになっても


 君はいつも僕の心の中にいる


 という、いい歌でございます。


 そして、ドリス・デイ。1961年のアルバム、アンドレ・プレヴィンとの競演でございます『Duet』というアルバムでございます、「My One & Only Love」。ええ、昨年の“静かな棚つか”のときにジョニー・マティスのバージョンでお聴きをいただきました。もともとはフランク・シナトラが世に広めた曲ですが、今回はドリス・デイ、この、いい歌でございます。曲がいいことはもちろんですけれども、歌の素晴らしさ、「My One & Only Love」。


 以上の洋楽作品に続きまして、後半はわたくし山下達郎の作品から。


 まずはわたくしにとっても重要な作品のひとつであります1988年の「蒼氓」。本日は2003年のサンデーソングブック10周年記念のアコースティックライブのソースからお聴きをいただきました。


 そしてただいまお聴きをいただきましたのは、本日のプログラムのために先日録音をしてまいりました「希望という名の光」のアコースティックバージョンでした。一部メディアに生歌との表記がありましたが、本日はわたくし大分でライブの当日でありますため生演奏不可能でしたので、スタジオで一発録音での演奏にコーラスをダビングしたものを使用しました。



 さて、まもなく午後2時46分となります。


 今日は政府主催の追悼行事をはじめ全国の津々浦々で追悼の催しが開かれていることとおもいます。あれから1年、あの大震災で失われた多くの命を悼み、多くの財産、家、畑、工場、鉄道、車、船、家畜、それらの失われたものの大きさに想いをはせ、この先けっして容易ではありませんが、それでも未来へむかって引き続きさまざまなかたちでの復興へむけた努力が一日も早く実を結ぶことを祈りつつ、そのためにこの国に生きるすべてのひとびとが助け合い、こころをひとつにできることを願いながら、ただいまから1分間の黙祷をささげたいとおもいます。


 みなさま、御準備ください。


 それではみなさま、黙祷いたしましょう。


 ……、黙祷。


 ベル ベル ベル


 お送りいたしてまいりました『山下達郎サンデーソングブック』、東日本大震災1周年、追悼と復興祈念のプログラム。冒頭にも申し上げましたように、ええ、音楽番組にはたいへん荷の重い役割でありました。至らぬところ多々あったと存じます。なにとぞお許しください。番組にメッセージをくださったみなさまに重ねて心より御礼申し上げます。本日は竹内まりやの「いのちの歌」をお聴きいただきながらお別れしたいとおもいます。ええ、こうした音楽番組は厄災や争いのない平穏な世の中でなければ続けられません。ええ、日本だけでなく、世界中の災害と、いまもどこかで続いている騒乱がひとつでもすこしでも穏やかに収まることを祈念しつつ『山下達郎サンデーソングブック』セイムタイム、セイムチャンネルでお逢いしましょう。サヨナラ。



  いのちの歌 ピアノ&ボーカルバージョン(竹内」まりや)


 

 リーン というわけで、『山下達郎がおくる「東日本大震災1周年追悼と復興祈念プログラム」』、今回で完結です。


 今は国情は不穏な情勢がつづいております。個人的にもままならぬ日々に苛立ちもつのる毎日を過ごしやり切れない気分です。2月、3月は実生活の転換をテーマにして過ごしましたができたこと、できないこと、様々でありました。なんとかしたいです。


 さて、4月はまた、達郎さんのコンサートにも出かけるつもりです。きっと歌も演奏もグレードアップしているでしょうね。なにせ、達郎さんは後半になるほど出来がよくなりますからね。ともかく、ここに書いた達郎さんの言葉、そこに隠された真摯なおもいが伝わることを祈念して終わりたいとおもいます。


 御静読ありがとうございました。

  You Are Not Alone(R.Kelly)



 青森県八戸市○○○○さんからのお便りです。


「先日2月11日に、仙台市にて義理の妹が結婚披露宴を開催しました。ちょうど1年前の3月11日に彼女の実家のある青森市にて結納を終えた直後に地震が起こりました。携帯のワンセグ放送で仙台の惨状を知り、いてもたってもいられなくなり、嫁ぎ先の御家族とともに翌日にはタクシーにて仙台に帰省していきました。仙台に戻ってからは、嫁ぎ先の御家族とともに住居の片付けに追われ、灯油、ガソリン、食糧や水が手に入らない中、手に手をとりあってつらい日々を乗り切ったそうです。


 本来であれば6月に挙式し、平穏な生活を送っていたはずですが、若いふたりにとっては大きな試練となったことでしょう。久しぶりに会った義理の妹は一回りも二回りも成長しており、嫁ぎ先の御家族にとても大事にされて幸せそうでした。そんな新郎新婦を祝福する大勢の方に出席していただき、本当によい披露宴となりました。披露宴のメインイベントであるメインキャンドルへの点火のときに、「Forever Mine」が流れたのは、わたしにとってサプライズでした。感動のあまりビデオを撮る手が震えてしまいました。披露宴で使われた曲のなかで1番よかったです。あとで聞いたのですが、私が達郎さんの大ファンだときいてふたりで全部のアルバムを聴いて選んだとのことです。彼女たちだけではなく、同じような境遇のカップルにもおめでとうを伝えたいと思います」


 いいお便りです。ありがとう。


 

 世田谷区の○○○○さん、この方も超常連のかたですが、


「先週、東京赤坂アクトシアターまでキャラメルボックスという劇団の『とりつかれ男』というお芝居を見に行って来ました。やっぱり、ライブはいいですね。キャラメルボックスのひとたちも省エネライトを開発して被災地にお芝居をやりに行ったりしているのですが、彼らが言うには、


『被災地の方々、仮設住宅で暮らす人たちは、ものすごく元気。悲しみやつらさを乗り越えるための元気に満ち溢れている。それに比べて東京のみなさんに元気がない。直接被災したわけではない東京が震災前の元気を取り戻していないように思える。これから末永く東日本沿岸の方々を支えていくために、ともかく東京が元気にならないと。東京のみなさんにとくに元気になってほしい』


 と力説されていたのが印象的でした」


 これ、なかなか面白いお便りなので紹介しました。自分の場でできることをする、志があせない、落ちないよう努力する、そういうことなのでしょうが、私も東京の人間として気持ちを新たにしなければいけないと思います。


 どうも、ありがとう。



 リーン 今日は達郎さんの事柄から離れます。


 はたして震災前は東京は元気だったでしょうか?


 それは違う。


 元気を出すのはかまわない。しかし、今まで使っていた電気はどこでつくられたのか思い出してほしい。


 今、被災地や仮設住宅に住む人は元気か?


 それも違う。


 非日常の空間に元気を振り絞り、そして日常にもどったときに何が心によみがえるのか。


 わたしはそれをおもうととてもこわい。



『ETV特集 生き残った日本人へ~高村薫 復興を問う』を視聴して感じるのは、高村氏がいう


 地震はそれまであった状態を顕在化する


 は的を得ているのではないかということ。失われた10年を過ごした日本が震災前に元気だったとはどうしても思えない。今、東京が元気がないというのは、結局震災前から希望を失い、震災によってそれが如実に現れたのではないか。


 無理に元気をだしてもすぐにしぼむ。わたしも、東京も、堕ちるだけ堕ちたほうがいい。


 少々、書きすぎました。

  Blue Monday People(Curtis Mayfield)



 大田区の○○○○さんからのお便です。


「わたくしの実家は会津にあります。交付金はなく、米の風評被害によって地産地消の酒、醤油、味噌や各種お菓子類の生産品に与える影響が大きくなってきました。そして、県民の中でも小さく微妙な意識の差が生じつつある現実です。そんな悲しくて怒りを感じる毎日ですが、ここに現場の尽力で“希望という名の光”をいただいています。


 福島県浪江町、警戒区域内の牛をはじめ動物たちには避難民と同じく命を脅かされる日々が続いていますが、中でも東京新聞に掲載された、孤児の牛フクちゃんが脊髄損傷という重症を負っていたにもかかわらず……(筆者注。この部分、判読できず)奇跡をおこしてくれました」


 東京新聞の記事のあれ(切り抜き、もしくはコピー)が乗っかっております。


「まさに“希望という名の光”を感じた私です。まだまだ復興の果たせない情けない日本の姿、でもこうして小さな希望の光を支えににして心ある人たちが手を上げて少しの望みを見出していきたいですね。


 達郎さんもたくさんの愛あふれた作品をとおして私たちの折れてしまいそうな小さな力に勇気を与えてください。お体に気をつけていつまでも御活躍をお祈りしています。それがわたしたちの“希望という名の光”になります」


 どうもありがとうございます。



 宮城県七ヶ浜町の○○○○さんからのお便りです。


「達郎さんこんにちわ。


 私は宮城県七ヶ浜町に住んでいます。漁業が盛んな小さな街です。震災前の2月27日に自転車でこの町を一周しました。子どものころ遊んだり通学で通った道や景色を見て昔話を懐かしみました。それが見納めになるとは思いもよりませんでした。そのとき撮った写真を添付します。海がきれいなことが伝われば、と思います。この景色が津波で一変してしまいました。


 わたくしの彼女は、両親、妹夫婦とその子どもの5人を亡くしてしまいました。今、妹夫婦の子どもひとりをひきとり、里親として生活しています。子どもがいない彼女にとって今はたいへん苦労しています。私は会社が津波にのまれ、そのあと会社の倒産に怯える日々でしたが、今は会社が再開してたいへん忙しくしています。“サンソン”は録音して聴いています。とりとめもなく書いてしまいましたが、1年経っても、震災の影響があります。すこしづつ踏み越えていきたいと思います」


 この方、超常連の方です。がんばってください。



 リーン 超常連という言葉がこの番組では頻繁に使われます。『サンデーソングブック』を御存知ない方のために申し添えますと、毎週のようにリクエスト葉書を送ってくるヘビーリスナーのことを達郎さんが尊敬と軽い皮肉を込めてこう呼んでいます。皮肉、と書くとしつこさが漂いますが、コンサートでMCを聴いたりこのラジオのリスナーにはお解かりいただけるはずですが、達郎さんの悪口とも取れるきついことばや皮肉は嬉しさを素直に言えない江戸っ子の照れ隠しみたいなものです。


 「洒落ですよ、洒落」


 達郎さんはよく言いますが、ここで皮肉、と書いても洒落ですよ、って洒落になっていないか!?


 最近は丸くなった達郎さんですが、2008年のツアーで大阪フェスティバルホールの建て替えによる閉館の際には


 「フザケンじゃねー、この野郎


 とホールを愛するがあまりに激怒していました。あのときは背筋が凍る思いがしました。普段の達郎さんはすっかり丸くなっていますが、その達郎さんが今回のプログラムではリスナーの怒りや憤りを一身に受け止めている。照れや皮肉がないときの達郎さんはそれだけ真剣な思いが漂います。そこを味わっていただければ幸いです。


 最後にもうひとつ。この番組は未だにメールでリクエストを受け付けておらず、さらにラジオネームでの投稿も御遠慮してほしいとのことです。もはや化石のような番組です。ちなみに私は怖くてこの番組に葉書きを送れません。めったにない名前で所在がばれるのが嫌なので。

  Don’t Up On Me(Solomon Burke)



 岩手県大船渡市の○○○○さんからのお便りです。


「達郎さんこんにちわ。初めてお便りします。


 達郎さんのラジオは『サタデーソングブック』からのリスナーであり、毎週録音しております。難聴地域ではないのに“サンソン”をよい音で聴きたいがために外部アンテナを建てるほどの徹底ぶりでした。


 被災するまでは。


 わたくしは岩手県の大船渡市に住んでいます。昨年の3月11日に被災にあいました。まさか私の自宅にまで津波が押し寄せるとは思ってもみませんでした。当時私を含めた家族3人が自宅におり、津波が押し寄せあっという間に自宅を襲いました。私は自力で這い上がり生き延びましたが、両親は帰らぬ人となってしまいました。たぶん両親が


『おまえだけは生きろ』


 と助けてくれたのではないかと思います。当時はずぶぬれの状態で救出され、低体温症と全身打撲で入院を余儀なくされ、激しい余震の続く中ベットの上で両親のことが心配で一睡もできなかったことを思い出します。その二日後に避難所へ移され、4ヵ月にも及ぶ避難所生活を過ごしました。いろいろな葛藤の中、両親が死んだのはすべて私のせいではないかと自分を責める毎日でした。


 そんななか、東京の友人が某インターネットの放送で達郎さんの「希望という名の光」を何度も何度もかけながら


『あいつは必ず生きてる。必ず帰ってくる』


 と信じ、放送していてくれたことを知り、すぐさま弟の携帯電話を借り生存を知らせました。他の友人も私が生きていたことを知るとたくさんのメッセージを送ってくれました。ホントに友人には感謝しています。


 今でも大船渡は復興の兆しが見えていません。ですが、私は両親の分まで生きなければならない。がんばると言われても、何をがんばればいいのか正直わかりません。ですが、私は達郎さんの「希望という名の光」に助けられました。この先どうなるのかまったく予想ができません。でも、つらくなったとき悲しいときはこの曲を聴いて明日への希望を胸に生きています。仮設住宅は何かと不便で、“サンソン”もノイズが多い中毎週聴いています。今後とも“サンソン”を楽しみにしていますので長く続けられることを期待しています。


 ありがとうございました。


 追伸


 震災で達郎さんのファンクラブ限定のCDを流されてしまったので買い戻しました。CDといっしょに


 震災に負けないでください


 との温かいメッセージが入っておりました。スマイルカンパニーのスタッフさんにお礼を申し上げます」



 どうもありがとう。



 リーン とにかく御一読ください。被災された方の生の声そして凄絶な運命が伝わってきます。なお、番組では達郎さんの番組上のルールに従って御本名を読み上げていますが、このブログでは伏せさせていただきます。