リーンのガラパゴスサロン~趣味や娯楽の広場 -3ページ目

リーンのガラパゴスサロン~趣味や娯楽の広場

「リーンのガラパゴス批評」の兄弟ブログです。趣味に関する記事はこちらでどうぞ。

 

 日本時間2月11日、北海道銀行フォルティウスあらため日本女子カーリング代表のソチ五輪での戦いが始まった。


 だが、試合の前日にセカンドを務める小野寺佳歩がインフルエンザに罹患し、チームから離れて治療するとの報道がなされた。ドイツ・ヒュッセンで行われた五輪最終予選で大活躍したホープの突然の離脱はチーム力のダウンが予想される。陸上の七種競技で鍛えた身体から繰り出すパワー、そのスイープ能力が使えないとなれば、スキップの小笠原歩は前途多難を思っていたに違いない。トリノ五輪以来8年ぶりの大舞台に感傷に浸る暇はない。他のメンバーも眠れぬ夜を他のメンバーは過ごしただろう。


 はたして、チームオーダーはこうなった。


 リード  苫米地美智子


 セカンド 吉田知那美


 サード  船山弓枝


 スキップ 小笠原歩


 フィフスの吉田がセカンドに入った。相手のストーンをテイクアウトするだけの強いウェイトが求められるポジションをリードを務めてきた吉田がこなせるのだろうか?やはりいきなりのなれないポジションでのプレーはつらかったのだろうか、第4エンドではガードストーンをテイクアウトできずにスルー、第5エンドではテイクアウトできてもウェイトが足りないのか自分のストーンがステイし、韓国にガードとして利用される結果になってピンチを招いていた。小笠原はドローショットをスルーさせる印象が強いためが批判の対象になることがネット上で見受けられるが、このゲームではむしろチームを救うショットを放っていた。だが、苫米地選手が緊張からかガードに置くはずのショットをスルーさせるなど予想外のショットが連発する中では、最後に力尽きたというほかない。


 スコアは


 7-12。


 日本は厳しい敗戦からのスタートになった。小野寺の復帰を待ちわびながら、不安な思いを抱えたままの予選リーグは続く。

 この“漢(おとこ)”が引退したら、もう野球は見ないだろうな。


 日本時間の12月28日、元タンパベイ・レイズの松井秀喜が「野球人生の区切り」として現役引退を表明した。場所は7年間選手生活を過ごし、賞賛と辛酸を味わったニューヨークで行われた。松井は涙を流すことはなかったものの、目の奥に光るものが見えた。万感胸に迫るものがあっただろう。


「ふたりで素振りをしていた時間が、僕にとって一番印象に残っています」


 プロでの思い出に残る出来事を聞かれ、試合での栄光の瞬間よりも長嶋茂雄・巨人終身名誉監督との濃密な練習を挙げた。松井にとっては師匠と積み重ねた濃厚な時間が何よりも大事だったのだろう。


 松井秀喜を見ていてうらやましいのは、この人は出会いに恵まれているということだ。星稜高校では山下智茂監督(現・総監督)に愛情を持って厳しく育てられ、巨人では前出の長嶋氏に1000日計画と銘打たれた、4番としての技術と心構えを徹底してたたきこまれた。

 アメリカにわたっても、ヤンキースではジョー・トーレに愛され、そして同い年のデレック・ジーターに「トシヨリ」と呼び合う親友を得た。また、通訳でもある広岡勲氏に支えてもらい、記者とは年末に草野球をするほどの仕事を超えた交友関係も作り上げた。ジョークも下ネタも好きでありながら人柄の厚みを感じさせる松井の周りにはいつも大人物がこぞって彼を盛り立ててきた。本当に幸せな“漢(おとこ)”だ。


 正直なところ、最近のメジャーリーグではイチローのマルチヒットよりも松井の1本の本塁打を楽しみに鑑賞していた。ふたりが日本に在籍していた時代は、なんとなくアンチ巨人であったのでイチローに親近感を持っていた。ところがメジャーに行ってからは松井のことをずっと応援していた。イチローがどこか斜に構えた印象がぬぐえないのに対し、松井はどんな人間でも同じように接する懐の深さに感銘を受けたからだ。私は高校野球でもプロ野球でも、そしてメジャーでも好きなチームを持っていない。だから、好きな選手が在籍しているチームが応援するチームになる。松井がエンゼルス、アスレチックス、そしてレイズと移籍するたびに好きなチームが変わった。今、松井が引退してしまったら、好きなチームがこの地球上から消えた。


 もう野球のことをあまり気にすることがなくなる。野球中継も見なくなる。本当に松井秀喜のユニホーム姿が見られないのは寂しい。これからの人生に幸多かれと願うばかりである。本当にありがとう。

 最初にお詫びとお断りから申し上げます。


 当ブログは震災関連のニュースを取り扱う時事批評を記事にしておりますが、今回取り上げるのは、本日千穐楽を迎える山下達郎さんのコンサート「山下達郎 Performance 2011-2012」のセットリストに関するものです。アメブロの中からお越しの方、特に最近お越しの方には何のことやら訳のわからない記事になってしまう記事になりますが、リーンの趣味が高じた気まぐれと思って読んでやってくださいませ。5月6日のホクト文化ホール(長野県民文化会館)のコンサートの記事を今後数回に分けてアップしていく予定ですが、はたして何回書くことになるのか予測できません。達郎さんの記事はコンサートツアーが今日で終わるので打ち止めです。今回書けるだけ書いて冬眠します。私はブログの更新を一日ひとつと決めておりますので、山下達郎関連の記事を書いた日は当然のことながら震災関連の記事はアップしません。しかし気になるニュースがあったらそちらを書きます。批評あってのブログ、もちろん震災のことを書くのがこのブログの存在理由ですから。



 もしよろしければ、今後達郎さんの記事を読んで来年のコンサートツアーを見たいと思っていただければこれほど嬉しいことはありません。他の歌い手では得られない感動を体験できることをお約束します。


 よろしく、御理解のほどを。



 それでは……。


 ちょうど今(2012年5月12日20時24分現在)、今回のツアーの千穐楽、沖縄公演2日目が行われています。達郎さんはコンサート時にはひとつのお願いをします。


このあと見るお客さんのために、ネタバレの節は御配慮のほどヨロシク


 セットリスト(コンサートの曲目)や舞台セットなどの内容に関することはブログでは書かないでほしいとお願いしてきました。私の記事では達郎さんのMCを中心に、地元のネタを書くことで成り立たせてきました。そこから脱線して全公演で共通して話すMCも書いてしまいましたが、少々やりすぎかもしれません。ですがやっと千穐楽、ネタバレ解禁といきましょう。なお、今回公開するセットリストは私が鑑賞した公演限定です。


 12月13日(火) 広島ALSOKホール(広島県広島市)

 12月14日(水)    同上

  1月15日(日) イズミティ21 大ホール(宮城県仙台市)

  4月11日(水) いわき芸術文化交流館アリオス 大ホール(福島県いわき市)

  5月 6日(日) ホクト文化ホール(長野県民文化会館。長野県長野市)


 以上5公演です。それでは公開しましょう。

 

 

 JACCS PRESENTS 山下達郎 Performance 2011-2012 SET LIST


1、 THE THEME FROM BIG WAVE

2、 SPARKLE

3、 DONUT SONG

4、 素敵な午後は

5、 僕らの夏の夢

6、 プロポーズ

7、 SOLID SLIDER

8、 俺の空

9、 雨は手のひらにいっぱい

+、 バラ色の人生~ラヴィアンローズ~ (いわき長野

10、DON`T ASK ME TO BE LONELY

11、おやすみロージー~Angel Babyへのオマージュ~

12、Have Yourself A merry Little Christmas (広島2公演)

   WHEN YOU WISH UPON A STAR ~星に願いを~ (仙台いわき長野

13、クリスマス・イブ

14、希望という名の光 ―― 〔挿入歌。THIS LAND IS YOUR LAND、友よ、蒼氓〕

15、さよなら夏の日

16、今日はなんだか (広島2公演、仙台長野

   BOMBER (いわき

17、LET`S DANCE BABY ― 〔挿入歌。命くれない,津軽海峡冬景色、など“吉岡治メドレー”…etc〕

18、高気圧ガール

19、アトムの子 ――――― 〔挿入歌。ドラえもん(数小節のみ)〕


ENCORE


20、街物語(まちものがたり)

21、DIDE ON TIME

22、恋のブギ・ウギ・トレイン

23、YOUR EYES



 今回のセットリストはライブで映える曲が満載です。2010年のツアー時とリストが一部ダブっていますが、はじめて達郎さんのコンサートを見る人のために選曲したのかもしれません。昨年発売されたニューアルバム『Ray Of Hope(および初回特典『JOY1.5』)』、ライブアルバム『JOY』から中心に選曲され、パフォーマンスを最大に発揮できる曲を演奏したということでしょうか。達郎さんがライブで演奏する曲は、金太郎飴のようなもので、何回聴いても色褪せないところが最大の魅力です。もちろん、どうしても聴きたかった曲はあるんですけどね。ちなみに、私が今回聴くことができて嬉しかったのは「雨は手のひらにいっぱい」。


 さあ、時刻は21時48分、沖縄もお開きですかね。この記事も終わりましょう。次回はホクト文化ホールのことなど書いてみます。                      

 達郎さんは今頃(12年4月25日)岩手県民会館でコンサートをしていますね。2009年の1月に行きましたが、ロビーから上に延びる赤い階段が印象的なホールでした。2階から下の観客の様子を眺めながら聴いた「ずっと一緒さ」、語りかけるような歌声にしびれたことを思い出します。今日は太平洋沿岸の方も見に行っておられるのでしょうか。どうぞ楽しんでください。

 昨年から始まったコンサートツアーも今日で58本目です。ほぼ全県を回るツアーも残り6本となりました。今年はライブハウスツアーを予定していたのですが、震災のことがあってできるだけ多くの会場でお客様を迎えようとして全64本のホールツアーを開催するはこびになったのでしょう。東北はすべてを網羅していることに、達郎さんの今回のコンサートにかける思いが透けて見えます。


 ところで、山下達郎さんに持っているイメージはどんなものでしょうか。


 テレビにでない。


 かっこいい音楽を演っている。


 奥様が美人。


 気難しい。


 「クリスマス・イブ」は聴いたことがある。


 オタク。


 動いている姿が想像できない。


 顔が……


 まあ、この辺にしておきましょう。私にとって音楽が日常に占める割合はほとんどありません。達郎さんさえ聴ければ満足できますし、コンサートツアー期間中はその偏愛度がさらに増しており、かけるCDは達郎さんのみになります。そんな私がもつイメージは、


 達郎さんの音楽が売れない時代があったなんて信じられない


 です。1980年に発売された「RIDE ON TIME」がベストテンヒットを飛ばし、達郎さんはようやく世間に認知されました。


 ♪ あおいー すーいへいせんをーおーっ


 最初の歌いだしから広がりのあるサウンドと映える歌声に魅了されました。この曲の記憶が耳に残って、やがてファンクラブに入りコンサートにも通うようになりました。達郎さんの音楽が売れないなんて信じられないことですが、1970年代はミュージシャンとして生き残りをかける苦闘を続けていたようです。コンサートでは必ずその時代の話をしますが、これほどの音楽を認めないなんて日本人の音楽趣味もたかが知れていますね。達郎さんはいずれはプロデューサーなどの裏方になると思っていたらしく、来年還暦を迎える年齢までアルバムをつくりコンサートをするとは夢にも思わなかったようだ。奥様の作品が御自分より売れることにたいしてはむしろ喜びを感じるところがあったのではないか。


 自分の作品が日本の感覚で「売れる」曲だなんて一度も思ったことなし。本音です。デビュー時には「売れる曲」などという発想はもちろん皆無でした。欧米のヒット・ソングを聞いて育ったので、デビューから現在(2007年)まで日本のヒット・パターンとの違和感を常に感じながら生きてきました。


                        (『TATSURO MANIA』 no.61


 演っている音楽が日本語を乗せた洋楽なので、自分の音楽が日本人に受け入れられるなんて思えないということなんですかね。


 4月11日のいわき芸術文化交流館アリオス大ホールで行われたコンサートは、徹底して音楽を伝え歌声を響かせることにこだわったものだった。コンサートでやってきた作法だけでなく、音楽だけを伝えることに徹することも含めてガラパゴス(最近達郎さんが好んで使う言葉。固有のやり方にこだわる意味を込めている)に特化したコンサートだった。


 達郎さんのイメージを


“芸能人”


 と思う人もいるかもしれない。震災の援助を義捐金をおくったり、現地に入って局所的に音楽を聞かせるやり方を達郎さんならできるとおもったひともいるかもしれません。私も達郎さんの歴史を知らない人間だったら、そのネームバリューを使って支援できると思っただろう。


 しかし山下達郎は人の耳目に触れるようなことはいっさいしない。『TATSURO MANIA』での発言にあるように自分の音楽が受け入れられない疎外感と戦っている人は、けっして人の目に映ることは絶対にやらない。福島でコンサートをすることを知っている人は意外に多くないかもしれないし、仮設住宅に住む人の年代すべてに山下達郎が受け入れられるとはおもえない。いわきのコンサートで


 今は音楽を聴けないという人がいるかもしれませんが


 と、むしろ趣味に耽溺できないほど傷ついた人によりそう気持ちが強い。だから音楽の力を誇示しようとしないし、山下達郎の名前を使って義捐を行うことを露骨に嫌がっている。


 音楽は被災した人を癒すことはできない。


 きっと達郎さんはそんな風に冷静に考えている。


 けれど、1月15日の仙台でも、4月11日のいわきでも、そして本日4月25日の盛岡でも、客席を埋め尽くす観客が集っている。震災の影響を逃れ得ない日常と向き合うひとが時間を割いて東北各県の会場にあつまった。その人のためだけに音楽を伝え声を届かせることに徹した、それが今回の東北でのコンサート隠し味だった。4月11日に聞いた達郎サウンドは熱を帯びた音がしていた。喋りよりも音楽が雄弁に観客のこころに励ましと癒しをつたえた。いつものやり方でさりげなく。


 音楽を演ってきたのだから、自分のやり方についてくる人に精一杯伝えたい。


 と思ってたんじゃないかなあ。


 私はあと2回、4月30日の大宮ソニックシティと5月6日のホクト文化ホール(長野県民会館)に聴きに行きます。どちらも始めていく会場、とても楽しみです。被災各県を回った達郎さんがツアー最終盤でどんなパフォーマンスを見せてくれるのかじっくり聴くつもりです。ホクトで栄村のことをすこしでも触れてもらえれば幸いですけどね。

「早い!!」


 1曲目の出だしからリズムが早い。コンサートの最初の曲はだいたいアップテンポのものが選ばれるがそれにしても刻むペースがいつもよりスピード感がある。


 ステージの音に触発されるように手拍子が客席からおこる。


 2曲目で達郎さんは客席をゆっくり見渡す。1階、2階、3階、4階。首をゆっくり回し目線を上下させる。心に宿る感慨をかみ締めている。あの大阪フェスティバルホール建替えによる閉館のときのような意味ありげな表情が見てとれる。


 そして、演奏に乗って達郎さんのMC。


こんばんわ! いわき!!


 拍手、また、拍手。


1年7ヶ月ぶりの福島です。いろいろ、お悔やみを申し上げるところでしょうが、私は音楽をやっている人間ですので、音楽で癒しを与えられるようにと思ってやってきました。うちのミュージシャン、照明、PA、トラックドライバー、すべてのスタッフがいいコンサートにしようと思いを込めてやってきました。今日は1年7ヶ月前の郡山(2010年8月25日、郡山市民文化センターでのコンサート)を超えるように、頑張ってやっていくんで、どうぞ、ヨロシク!!


 やっぱり達郎さん、気合が入っているなあ。ステージ上でバンドメンバー以外のスタッフを読み上げるときはだいたい千穐楽なんですが、まだ12公演残っている時点で裏方の職種を言ってくるのは、やっぱりいわき公演に期するところがあったのでしょう。


 演奏は出来がいい、というより、気合が音に宿って熱い響きがする。お悔やみを言葉にすることよりも、もっと雄弁な励ましの音がアリオスに響きこだまする。丹精で完成度の高さが際立った仙台のときとは、また一味違う熱い音がする。最初のMCで語った決意が音に、歌声に乗り移っている。達郎さんのコンサートを見るのは通算15公演目だが、明確に観客に勇気と元気を与えようとした音は今回のいわきだけだ。いや、こちらが格好つけて聞いているせいでこんなことを考えるのだろうか?


 でも還暦前のオジサマが披露するコンサートの流れはいつもと変わらない。


トイレから戻ってきましたねえ。こういうのイジるの大好きなんですよ


そんなに笑ってくれて嬉しいですよ。大角膜痛いでしょ。たまにはいい運動ですよ、ウ、フ、フ……」


 今日のオジサマは絶好調ですね。達郎さんが「今日は大人のお客様ですね」、といったいたように、場内が落ち着いた雰囲気を醸していたが、話を遮る無駄な掛け声がいっさいかからないのでとにかくしゃべりやすいみたいだ。


 ステージのリズム感も最高、MCも矢継ぎ早にとばす。音楽と話のペースが一緒で乱れない、こんな日のコンサートは、当たり、です。そして、達郎さん途中のお約束コーナーの1曲目でもまた観客をぐるりと見渡した。


(自分の声、客席に届くかなあ?)


 福島のお客様をとことん気遣っているように見える。いつにもまして音楽を届けることに徹しようとしている。それが“ガラパゴス”という気がする。達郎さんがステージで言い放つ“ガラパゴス”は、ずっとステージでワンパターンを恐れずやり続けてきた作法といったことでしょう。“ガラパゴス化する”といえば、いかに他のミュージシャンと差別化して激変する音楽業界に生き残るか、という自覚を言い表したもの。でも頑ななほどに自分のやり方にこだわってホールツアーをしこしこ回ること自体“ガラパゴス”って呼んであげたい。絶対、他のコンサートでは味わえない“ガラパゴス”が繰り広げられているのだから。


 で、お約束コーナーの2曲目。声、3階にも届きましたよ。客席の拍手、やっぱり盛大でしたねえ。


 そして賑やかしコーナー前のMC。


今度は福島ではどこで演るかわかりません。いわきかもしれないし、郡山に戻るかもしれない。なんなら、いっそ南相馬で演ったっていい。どこえでもいきますから。電力事情が悪いならアカペラ(この場合は無伴奏ということか)で歌ってもいい。ステージに暗幕を下ろしただけ(の舞台セット)でもできますから。


 いずれにしても、福島には、必ず、また来ます!!」


 嬉しかったでしょうね、福島に住んでいる方にこの言葉は。


 今回、達郎さんが


 “原発”


 とか


 “放射線”


 といった言葉を使ったのか記憶が曖昧だ。それに、ことさら深刻な空気を醸してお悔やみを述べることは達郎さんは一切しなかった。してもおかしくないのにしなかった。ここで書いた達郎さんがいった励ましの言葉も、まるで音楽の一部のように聞こえてくる。平易なことばで、励ましの音の一部として観客の心に染みてくる。頑ななほどに音楽を届けようとした男から零れ落ちたいたわりのことばが胸に届いてくる。


 達郎さんは、御自分をスターじゃない、とおっしゃることがある。千年に一度の大災害に、他の有名人なら目に見えるかたちで支援やボランティアをする人が大勢いた。でも、この音楽職人は意固地なほどに、目立つことを拒むようにいつものようにホールを回るコンサートツアーを開いた。いつものようにしゃべり、ギターを弾き、そして大声で歌った。いわきに集まった1700人のファンのためだけに歌を届けることに頑固なほどこだわった。名誉はいらない、と虚飾をすてて、福島の蒼氓のためにいつものコンサートを繰り広げた。でも零れ落ちる被災地への労わりと励ましの音。それに呼応したバンドの響き(この日のMVPはドラムの小笠原さんとサックスの宮里さん。前者のソロは白熱の度合いが半端なものでなく、後者の音像は心地いいほど高らかだった)。


 あとは怒涛の賑やかし。ここから達郎さんの声が一段と響いてくる。そしてアンコールは、やっぱり2曲目のノリとお約束が最高だったし、3曲目はリズムがとんでもなく早い。もしかしたら、嬉し涙を流している人もいただろうな。


 22時5分、終演。公演時間3時間30分。外はまだ雨。いわきの交通事情と宿泊事情を考えれば限界ギリギリまでコンサートをしてくれた。徹底して自己流にこだわったいわき公演は終わった。観客のみなさまは堪能したといった表情をして帰宅の途についた。言葉よりも雄弁な音楽、励ましよりも染みる歌声、山下達郎の“ガラパゴス”をいわきでじっくり味わった。ちょっと、忘れられないものになりそうだ。


 最後に、達郎さんがコンサートの最後に話した言葉を書いて終わりにします。ここは福島のみなさまのみに読んでいただければ幸いです。もし、これからコンサートに行かれる方はお読みいただいたらお忘れいただければありがたいです。


 いつもはここで、通りいっぺんのことを申し上げているのですが、


 ここ(福島)では、なんと言っていいのか解りません。


 今、日本は大変な状況です。


 でも、僕たちは、それでも生きていかなきゃいけません。


 子どもたちの未来のために、生きていかなきゃいけません。


 だから、好きな言葉じゃないけどこの言葉しかありません。


 みんなで、頑張っていきましょう!!