山下達郎は音楽の力を信じない。リーンの福島紀行総集編その1(12.4.25記) | リーンのガラパゴスサロン~趣味や娯楽の広場

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 達郎さんは今頃(12年4月25日)岩手県民会館でコンサートをしていますね。2009年の1月に行きましたが、ロビーから上に延びる赤い階段が印象的なホールでした。2階から下の観客の様子を眺めながら聴いた「ずっと一緒さ」、語りかけるような歌声にしびれたことを思い出します。今日は太平洋沿岸の方も見に行っておられるのでしょうか。どうぞ楽しんでください。

 昨年から始まったコンサートツアーも今日で58本目です。ほぼ全県を回るツアーも残り6本となりました。今年はライブハウスツアーを予定していたのですが、震災のことがあってできるだけ多くの会場でお客様を迎えようとして全64本のホールツアーを開催するはこびになったのでしょう。東北はすべてを網羅していることに、達郎さんの今回のコンサートにかける思いが透けて見えます。


 ところで、山下達郎さんに持っているイメージはどんなものでしょうか。


 テレビにでない。


 かっこいい音楽を演っている。


 奥様が美人。


 気難しい。


 「クリスマス・イブ」は聴いたことがある。


 オタク。


 動いている姿が想像できない。


 顔が……


 まあ、この辺にしておきましょう。私にとって音楽が日常に占める割合はほとんどありません。達郎さんさえ聴ければ満足できますし、コンサートツアー期間中はその偏愛度がさらに増しており、かけるCDは達郎さんのみになります。そんな私がもつイメージは、


 達郎さんの音楽が売れない時代があったなんて信じられない


 です。1980年に発売された「RIDE ON TIME」がベストテンヒットを飛ばし、達郎さんはようやく世間に認知されました。


 ♪ あおいー すーいへいせんをーおーっ


 最初の歌いだしから広がりのあるサウンドと映える歌声に魅了されました。この曲の記憶が耳に残って、やがてファンクラブに入りコンサートにも通うようになりました。達郎さんの音楽が売れないなんて信じられないことですが、1970年代はミュージシャンとして生き残りをかける苦闘を続けていたようです。コンサートでは必ずその時代の話をしますが、これほどの音楽を認めないなんて日本人の音楽趣味もたかが知れていますね。達郎さんはいずれはプロデューサーなどの裏方になると思っていたらしく、来年還暦を迎える年齢までアルバムをつくりコンサートをするとは夢にも思わなかったようだ。奥様の作品が御自分より売れることにたいしてはむしろ喜びを感じるところがあったのではないか。


 自分の作品が日本の感覚で「売れる」曲だなんて一度も思ったことなし。本音です。デビュー時には「売れる曲」などという発想はもちろん皆無でした。欧米のヒット・ソングを聞いて育ったので、デビューから現在(2007年)まで日本のヒット・パターンとの違和感を常に感じながら生きてきました。


                        (『TATSURO MANIA』 no.61


 演っている音楽が日本語を乗せた洋楽なので、自分の音楽が日本人に受け入れられるなんて思えないということなんですかね。


 4月11日のいわき芸術文化交流館アリオス大ホールで行われたコンサートは、徹底して音楽を伝え歌声を響かせることにこだわったものだった。コンサートでやってきた作法だけでなく、音楽だけを伝えることに徹することも含めてガラパゴス(最近達郎さんが好んで使う言葉。固有のやり方にこだわる意味を込めている)に特化したコンサートだった。


 達郎さんのイメージを


“芸能人”


 と思う人もいるかもしれない。震災の援助を義捐金をおくったり、現地に入って局所的に音楽を聞かせるやり方を達郎さんならできるとおもったひともいるかもしれません。私も達郎さんの歴史を知らない人間だったら、そのネームバリューを使って支援できると思っただろう。


 しかし山下達郎は人の耳目に触れるようなことはいっさいしない。『TATSURO MANIA』での発言にあるように自分の音楽が受け入れられない疎外感と戦っている人は、けっして人の目に映ることは絶対にやらない。福島でコンサートをすることを知っている人は意外に多くないかもしれないし、仮設住宅に住む人の年代すべてに山下達郎が受け入れられるとはおもえない。いわきのコンサートで


 今は音楽を聴けないという人がいるかもしれませんが


 と、むしろ趣味に耽溺できないほど傷ついた人によりそう気持ちが強い。だから音楽の力を誇示しようとしないし、山下達郎の名前を使って義捐を行うことを露骨に嫌がっている。


 音楽は被災した人を癒すことはできない。


 きっと達郎さんはそんな風に冷静に考えている。


 けれど、1月15日の仙台でも、4月11日のいわきでも、そして本日4月25日の盛岡でも、客席を埋め尽くす観客が集っている。震災の影響を逃れ得ない日常と向き合うひとが時間を割いて東北各県の会場にあつまった。その人のためだけに音楽を伝え声を届かせることに徹した、それが今回の東北でのコンサート隠し味だった。4月11日に聞いた達郎サウンドは熱を帯びた音がしていた。喋りよりも音楽が雄弁に観客のこころに励ましと癒しをつたえた。いつものやり方でさりげなく。


 音楽を演ってきたのだから、自分のやり方についてくる人に精一杯伝えたい。


 と思ってたんじゃないかなあ。


 私はあと2回、4月30日の大宮ソニックシティと5月6日のホクト文化ホール(長野県民会館)に聴きに行きます。どちらも始めていく会場、とても楽しみです。被災各県を回った達郎さんがツアー最終盤でどんなパフォーマンスを見せてくれるのかじっくり聴くつもりです。ホクトで栄村のことをすこしでも触れてもらえれば幸いですけどね。