福島の蒼氓は達郎の“ガラパゴス”を待っていた。山下達郎コンサートいわき観客編(12.4.14記) | リーンのガラパゴスサロン~趣味や娯楽の広場

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 福島県は、浜通り、中通り、会津、と三つの地域に分類されるのだそうだ。震災を機にニュースでこの区域分けを耳にするようになって、なんと典雅なひびきだろう、とすこし憧れるおもいがした。わたしが住む長野県は江戸時代からの国名から信州とよぶのが今でも残っているが、地域の分け方は、北信、中信、東信、南信、四つに分けている。なんともお役所仕事の典型のような無機質な呼び方をする。どうせなら、例えば松本を中心とした中信地方は北アルプス地方とでも呼べば誰にでもイメージがふくらむだろうに。


“郡山県”から“いわき県”に来たと思えばいいんですね


 山下達郎さんは福島県でコンサートをするときは必ず郡山市民文化センターを使用していた。しかし震災の影響で使用不能(コンサートの日程が決まったあと、センターは使用を再開したと達郎さんは言っていた)になったため、今回のコンサートツアーはいわき市で行うことになった。いわきの前日、4月10日は山形県民会館で演奏を行い、終了後にバスで郡山に移動、そしてコンサート当日にバスでいわきに入る強行スケジュールをこなしている。達郎さんがコンサートの中で言ったことばには、移動の距離だけでなく、地政学的な意味も込められている。ひと山超えてやって来てくれた、達郎さんがはるばるいわき市にやってきてくれた、観客の人はこのひとことを嬉しく思ったでしょうね。達郎さん、曲作りで詩を書くことが一番苦手、といいながらちょっとした表現に味がある。ずるいもんです。


 達郎さんが西から超えてお国入りしたのとは方向が違い、私は南側から常磐線に乗っていわきにはいった。日立市を後にした頃から山が線路に迫ってくる。その合間から太平洋がみえる。浜通り、といいながらも見える風景は正反対のものだ。福島県のイメージは中通りを通ったときの平らな土地、というものが支配していたが、浜通りは見える風景からしてまったく違うところらしい。


 12時過ぎ、いわき駅に到着。


 浜、見えず。


 まっすぐな道。


 どこにでもあるようなビル街。


 雨と風、強し。


 正直、街に愛着を感じられなかった。それに悪天候もあって散索を断念した。震災の現状を見るのは明日に勝負をかけることにする。駅の近くの図書館で時間をつぶし、チェックインの時間を待って、予約した旅館に入る。そして、宿の前を流れる川向かいにあるコンサート会場に出かけた。


 いわき芸術文化交流館アリオス、大ホール。


長い名前で覚えられないんですよ


 達郎さんもMCでそういっていたが、私も舌が噛んでしまいそうだ。真ん中の漢字の語句は別に要らないだろう。はずしたほうが“いわき”のひらがなの地名が強調されてすっきりするだろうに。


 会場時間の18時より早く到着した。ホールの北に広がる茶けた芝生を歩いている人はいなかった。すでにお客をロビーに入れてグッズの販売もはじまっていたが、拍子抜けするほどすぐに買えた。買ったのは卓上カレンダーと開催地の名前が入ったアルミプレート。


 席は3階の2列目。軽い高所恐怖症気味のわたしにとってあまり居心地はよくない。席は小さめで、座っている人の前を通ると自分の足がひざに当たることを気にしなければならないほど狭い。


それにしても面白いホールですね。ここは5階(達郎さんの勘違いで4階が最上階)まであるんですね。でも1700人しか入らない。だったら2階席(の客席のつくり)にすればいいじゃないですか


 最初のMCのタイミングですぐに達郎さんが言うほどこのホールの設計は特徴的だ。どうやらオペラホールを模して設計しているようだが、富山市のオーバードホールも似たような会場で、両方とも好きになれない。同じくらいのキャパシティなら1階席だけでゆったりとくつろげる仙台のイズミティ21のほうが私は好きだ。毒舌ついでにいえば、私がいった中で好きなホールは、旧大阪フェスティバルホールと静岡市民文化会館です。今回のツアーではあと2回いく予定ですがどちらもいったことがないので楽しみです。


 開演5分前になっても下を見ると空席が目につく。雨のせいで客の出足が鈍い。見渡すと明らかにわたしよりお年を召した方が多い。来年には還暦を迎える達郎さんのコンサートだから年齢層は高いのですが、今回はわたしが見た中ではもっとも平均年齢が高そうだ。音楽の趣味は演歌です、といっても驚かれない方がいたるところにいらっしゃる。


 でも、人生に疲れている空気が漂ってこない。


 笑顔が似合う人ばかりだ。ここが一年一ヶ月前に大災害にあったなんて微塵も感じなかった。身に受けた苦境をこのときばかりは忘れようとしているという切迫感とも違う。すべてを受け入れて日常を生きている人が当たり前に達郎さんの歌と音楽を聞こうと集まった人々ばかりだった。

 

 コンサートが始まっても会場の雰囲気は和やかなものだ。


タツローさあーん!!」


 曲が終わるたびにステージに声援も送られていた。


野太い声ですねえ


 また曲が終わって声援がとぶ。たぶん同じ方でしょうね。



タツローさあーんん!!!」


うるさいなあ(笑。と、喜んで毒を吐くわけで)。たまには、黄色い声援がないですかねえ


 ……。


たつろうさぁーんドキドキ


 達郎さんの呼びかけに勇気をもって応えた女性がいました。


こーこーせぇーっ!」


 身分を明かすとは、なかなかやりますね。


エッ 高校生!? ありがとう、あとでなんかあげましょう


 達郎さんからプレゼントがもらえる!? そうなったら女性は現金なものだ。


タツロ-サーン!」


タツローサアーン!!」


 他の女性が盛んに声をかける。まったく女性は福島でも強いらしい。


後出しはダメですよ(笑)。しかし、モノをあげるってなんか“エンコー”みたいだな。……。なんか言葉の表現がよくないな……」


 援助交際ねえ。達郎さんもすっかりそんな言葉が似合う御年になりました。じじいだねえ。


 でもこんな際どい話をしても会場の雰囲気は和やかなもの。きっとあの高校生の方も悪い気分にはならなかったでしょう。


今日は大人の雰囲気でいいですね


 と達郎さんもいっていたように、福島の方は音楽としゃべるを楽しむ余裕がある。けっして達郎さんのしゃべりを遮らないし、一見さんも多いこともあってか聴きたい曲が演奏されたときも感嘆の声や拍手も反応が素直にでる。広島はお客さんがおとなしめで若干居心地がわるかった。仙台はなかなか雰囲気がよかった。場慣れした人が多くて都会的だった。それに比べて福島は達郎体験が少ない人がつくった素直な喜びがコンサートを上々のものにしていた。被災地2県のお客様はどちらも楽しむ空気に満ちていた。このお客様のなかで達郎体験をできたのは嬉しいものです。


 さて、時系列が脱線しました。時間を戻して、次回はコンサートの模様をお送りします。


 4月11日18時35分。


 照明が落ちました。バンドのメンバーが、そして達郎さんがステージに立つ。いよいよ、開演。