2001年核開発に反対する物理学者の会通信;槌田敦 今こそ一読の値あり! | 脱原発の日のブログ

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12月8日は1995年、もんじゅが事故を起こして止まった日。この時、核燃料サイクルと全ての原発を白紙から見直すべきだった。そんな想いでつながる市民の情報共有ブログです。内部被ばくを最低限に抑え原発のない未来をつくろう。(脱原発の日実行委員会 Since 2010年10月)

 

核開発に反対する
物理研究者の会通信
38号2001年9月

放射能は科学技術を超える劇毒
管理不可能な地下に捨てるな
名城大学槌田敦

 国は、再処理で生ずるガラス固化体など『高レベル放射能の地下処分』を実行するための行動を開始した。昨2000年には、そのための法律を制定し、科技庁主催のPRシンポジウムを全国で23回も開催した。機構改革で科技庁は消滅したので、今年はエネ庁がこれを引き受け、全国で9カ所開催することになった。
 その中の名古屋シンポ(01年9月8日)になぜか私が指名された。このシンポでは、壇上に推進の専門家が5人並 び、一般市民が賛否1人づつ、それに反対から私が1人というきわめて不公正な人員構成であった。そこで、この5人全員を相手にして、何度も手を挙げて、 『独演会』をさせていただくことになった。
 このシンポでの発言をもとに『高レベル放射能の地下処分』の問題点を指摘する。

総論  原発は野蛮な発電。放射能の処理を考える前に、まず原発を廃止せよ

【放射能は科学技術の能力を超える劇毒】

 放射能は、人類の安全を脅かしている。放射能は、遺伝子を破壊し、がんの原因となり、人類全体に欠陥遺伝子を累積させ、子孫に負担を強いることになる。壌れた遺伝子の修復には、人工淘汰(選別)以外に方法はない。しかし、これは不幸なことである。
 原発は、「いずれ科学技術により放射能は消滅する」との約束で、見切り発車した。しかし、放射能消滅(無毒化) の約束は、空手形であった。この消滅研究は、50年間続けられた。その方法は、特定の放射性元素を分別して、これに中性子を当てる。そうすると、たとえば 半減期30年のセシウム137は、質量数がひとつ増えて、セシウム138となり、半減期30分で安定元素になる。しかし、この中性子吸収の反応は遅く、こ の放射能の消滅作業に125年もかかるだけでなく、中性子の発生は原子炉の運転で得ることになるから、より以上に放射能を作り出すことになってしまう。結 局大失敗だったのである。
 科学技術にも不可能なことがある、という当然の結果である。放射能を消滅するとの約束を果たせなかった以上、原発は、当然、廃止すべきである。
 現在、国は、放射能を地下に廃棄しようとしている。しかし、科学技術による劇毒処理の方法は、「無毒化して、その後に廃棄」、が原則である。科学技術によっても無毒化が困難な場合は、PCBのように、「発生も廃棄も禁止」、として政治的に解決するしかない。しかし、放射能では、「無毒化せず廃棄」、が提案されている。これは、科学技術を無視した野蛮極まりない行為である。

【そもそも、原発はウソをついて推進した】

 1960年代に「石油はあと30年で枯渇する」、とウソで脅して、原発を推進した。この可採年数の30年はとっくに過ぎたのに、現在ではかえって増えて、43年(1999年)である。
 ここで、可採年数とは、原油の確認埋蔵量を年間使用量で割った数値のことである。この確認埋蔵量は、現在の技術、現在の価格で採油可能な量と定義されて いる。この定義から、技術が向上すれば、この確認埋蔵量はまだまだ増えることが分かる。石油を使ったのに、可採年数が増えた理由は、この採掘技術が向上し たからである。
 ところで、この現在の価格で採油可能な量というもうひとつの定義により、石油の供給が減って、価格が上昇すると、ふたをしていた井戸からまた石油が出てきて、需要を満たすことになる。このような事情で、石油(天然ガス)は、当分枯渇しない。
 「石油30年枯渇」は大ウソだった。これに関連して、原油の価格が実に140年間にわたって、ほとんどの場合、1990年実質価格でリットル20円以下であったことは注目に値する。原油価格が上昇し始めるのもまだまだ先の話であろう。
 しかも、「原発は石油の代替」、とウソをついて原発を推進した。原発建設やウラン燃料加工に、石油が大量に必要である。したがって、石油枯渇なら、原発 もほどなく発電を停止する。原発が石油代替とはまっ赤なウソだった。ウソで始めた行為は不正である。不正行為は無効である。この点でも、原発廃止は当然で ある。

【放射能の発生は子孫に対する犯罪】

 まず、原発は運転を中止しなければならない。放射能を発生し続ける原発の運転は子孫に対する犯罪である。すでに発生してしまった放射能をどうするかは、 原発中止の後に考えることである。この点では、ドイツを見習うべきであろう。ドイツは、少なくとも原発の廃止計画を発表した。
 原発・再処理関係者は、すべて子孫に対する犯罪者である。『劇毒犯罪取り締まり法』を作り、これら原子力犯罪者を裁判にかけるべきである。

各論 高レベル放射能の地下処分は野蛮の極み、原子力犯罪の追加

【地下処分にあせる原子力委員会、そして追認する安全「宣言」委員会】

 核燃料サイクル機構(核燃〉は、1999年に、『我が国における高レベル放射性廃棄物地層処分の技術的信頼性 (第2次取りまとめ)』と題する分厚い報告書を作成した。この報告書を、原子力委員会は手放しで評価している。これで、地下処分の技術的基盤は整備された とし、次の作業は場所選定・事業化と判断したのである。例によって、原子力安全委員会は、この報告をそのまま了承し、地下処分の「安全」を宣言した。
 核燃とは、昔の名前を動力炉核燃料開発事業団(動燃)という。この組織は、『もんじゅ』事故、『再処理工場』事故などでウソ発表を繰り返し、また岡山県の『人形峠鉱山』のウラン鉱石残渣を鳥取県に廃棄して、処理・撤去を約束しながらそのままにしている組織である。そこで名前を変えて、経歴隠しをしたという訳である。
 ところで、旧動燃は高レベル放射能の廃棄研究とともに、その処分もする事業体であった。しかし、廃棄事業を実行するには信頼性にまったく欠ける。そこで、処分事業は別組織の原子力発電環境整備機構(原環機構)という意味不明の名前を持つ実体のない団体が受け持つことになり、核燃は処分に関する『研究』だけをすることとなった。
 核燃は、その研究の結果を上記の報告書にまとめ、日本でも「天然バリヤ」と「人工バリヤ」を組合わせれば「適地は有り得る」と断定したのである。
 その内容は、1000年後には人工バリヤは地下水などで腐食して放射能を隔離できないかも知れないが、その後は天然バリヤで人間環境への漏れだしを少なくして、被曝は許容水準以下にできるという。
 これを受けて、原子力委員会と安全委員会は、上記のように、日本での高レベルの地下処分の安全性を保証した。しかし、これでは日本にも「適地が有り得 る」といっただけで、どこがその安全な適地かが示されていない。処分を実行する原環機構には、この方面の技術がまるでなく、核燃が公開した文書などを検討 しているだけなので、この団体には処分に適する土地を探す能力はない。
 そこで、核燃が、岐阜県東濃のウラン鉱山跡地付近で適地探しの『研究』もすることになった。これについては後に詳しく述べることにする。

【天然バリヤは、まったくのウソ】

 ところで、核燃がこの報告書でいう「日本の天然バリヤの安全性」はウソである。日本の地下はうごめいている。日本各地の水平移動遠度は1万年で500メートルから1キロにも達する。この地殻変動により地震が各地で発生している。
 原子力推進派は「地震は活断層により発生するから、活断層を避ければ処分地は安全である」という。しかし、2000年10月に発生した鳥取西部地震は、活断層のない所で発生した(図1)。活断層があったけど見つからなかったのか、それとも活断層のない所で発生したのかさえ不明である。
 処分地計画のあるこの岐阜県東濃には活断層が見つかっていない。しかし、この地から静岡県御前崎にかけての地殻移動に最近異常変化のあったことが報道されている。
 また、地震によって日本の地下岩石はひびだらけである。北欧には長い坑道でひびのまったくない所もあるというが、日本にはそのような場所は存在しない。そして、日本の地下のひびには、深層地下水(鉱泉)がいっぱいで、その流れは不安定である。各地の

1 西日本の活断層地図(○印は鳥取西部地震、◎印は東濃)



トンネル工事で温泉、冷泉が噴出し、難工事の歴史がある。JR北陸線の北陸トンネルでは、温泉水脈とぶつかった。このトンネルを列車が通過する時、窓の外側が曇ることで現在も温泉が湧いていることが分かる。この温泉水は敦賀で「トンネル温泉」として利用されている。
 要するに、地下は科学技術の能力を超えている。その証拠に地震さえ予知できない。地下は、宇宙よりも理解困難、というのが常識であろう。

【人工バリヤは、誇大広告】

 また、核燃のいう人工バリヤは誇大広告である。古代ガラスは美しい形を今なお維持している。このことをもって、放射能を包む固化ガラスは安全であると推進側は主張する。しかし強力な放射能により、ガラスの安全性は保てない。
 ガラスは、物理的には非結晶質で、固まった液体といってもよい。液体だから放射能を包むことができる。しかし、べータ線やガンマ線でガラスは化学変化し て結晶化し、放射能の異物を結晶の外にはじき出してしまう。また、アルファ線で生ずるヘリウムガスがガラス内に蓄積して、ガラスにひび割れさせる。これ は、各地の原発PR館に展示されているウラン鉱石の容器がひびだらけであることからも知ることができる。これにより、深層の地下水にガラス固化体の放射能が溶けだすことになる。
 このガラス固化体を包む金属容器は地下水で腐食する。この金属容器を収納する坑道には粘土を詰めて、地下水を遮断することになっている。しかし、この粘 土は地震で液状化し、水分を押し出して固化する。そうすると、岩石で作られた坑道との間に透き間ができて、水の道ができる(図2)。


図2 粘土の液状化による地下水の通路

 このような人工バリヤでは、放射能は地下水に溶けて、地上に流れ出ることになる。核燃は、人間の能力を過信し、人工バリヤで1000年を保証する。そして、原子力委員会と安全委員会もこれを追認しているが、これは「エセ科学技術」である。この野蛮さは「高レベル」といってよい。
 そして、長い年月で記録や記憶を失えば掘り返しの危険がある。たとえば、この処分候補地の東濃は中央道にあり、将来、地下高速道路が建設されるに違いない。
 広大な乾燥した土地を持つアメリカでも、高レベルの放射能の地下処分をためらっている。その理由は、アメリカでは石油開発のため全国いたるところでボー リングが行われたが、その記録は一切失われている。たまたま、そのボーリングの穴が処分地の近くに存在した場合、そこから放射能が漏れ出てくることを恐れ ているのである。
 日本の場合は、各地で温泉探しのボーリングがなされている。温泉の湧きだしに失敗したときには、そのボーリングの記憶は失われる。後に詳しく述べるが、 この処分候補地の東濃は温泉地帯であって、あちこちで、核燃以外にもボーリングがなされており、将来も、温泉を求めてボーリングする危険性がある。

【確率の奇弁】

推進派は、天然バリヤや人工バリヤの安全性を主張する時に、しばしば『確率の奇弁』を利用する。これは、1よりも小さい数をたくさん掛けて、「小さな確率でしか起こらない」と主張する奇弁である。たとえば、0.01を3回掛ければ百万分の1である。しかし、その根拠はすべて、仮定、仮定、仮定…なのである。
 その仮定された道筋以外は、計算できないばかりか想像もつかないから「あり得ない」としてすべて消してしまい、計算可能な道筋だけ仮定して、ごく小さな値だけで危険性を表現する。
 たとえば、1999年のJCO事故で住民は被曝したが、そのようなことで事故が起こるとは考えていなかったの で、その危険性は仮定されておらず、この道筋での被曝線量の理論確率はゼロだった。そのため、JCO工場と人家の間に必要な無人地帯が設置されず、道路を 介して人家と接してもよいとJCO工場の設置が許可されたから、住民は大量被曝させられてしまったのであった。
 確率とは、経験した多数の事がらをまとめる時に使うことばである。たとえば、飛行機の墜落では確率は使える。飛行回数に対する墜落回数など、いろいろ表現はあるが、経験したことにはすべて意味がある。
 しかし、経験しない事がらへ確率論を適用することは奇弁である。そして、被害を受ける子孫にとって、その被害は事実なのであって、確率ではない。したがって、経験しないことは想像もできないから、これで未来に起こることの確率を論ずることはできないのである。
 祖先である我々にとって、そのような仮定した事態が起こる可能性の有無、またはその事態が起こる程度を論ずることはできても、その事態だけしか起こらないと断定し、その事態の確率だけで危険性を示すことは越権行為であり、また奇弁である。

1 高レべル放射能の処分資金の確保状況(経済産業省資源エネルギー庁による)



【地下処分は安い、というウソ】

高レベルのガラス固化体の地下処分に要する費用について、総合エネルギー調査会原子力部会は試算した(1999年)。その結果は、全体で約3兆円、電力kwhあたりでいうと約30銭であって、きわめて安いという。この費用はこれからの電気代に上乗せされる。
しかし、このように安い金額を提示しているのは、日本だけである。表1に示すように、日本を除く原発7大国は、高レベル放射能について、巨額の処分費用を積み立てている。最高はドイツであって、すでに4兆円を積み立てている。これを100万kw原発1基あたりで示すと1700億円である。この金額は原発建設費の半分を超える費用である。
ところが、日本はまだ1銭も積み立てていない。2001年度中には総額でわずか1000億円積み立てる予定である。2030年には3兆円積み立てるというが、それでも現在のドイツの半分にもならない。これで地下処分するというのだから、いいかげんさもほどほどにしてほしいものだ。
しかも、この問題に電力の自由化が関係する。電力の自由化によって、大口電力は電力代の安い電力会社を選べることになった。ところでこの自由化された電気代には、高レベル放射能の処分費用の30銭は加算されない。ということは、将来、すべての企業がこの自由化の方式を採用し、新電力会社から購入することになると、高レベル放射能の処分費用は、一般消費者の家庭電気代で、すべてを負担しなければならなくなる。
官庁も、一企業と考えられていて、産業経済省(エネ庁を含む)も、自由電力の安い電力料金の恩恵を受けて、高レベル放射能の処分費用の積み立てをしていない。
高レベル放射能は『負の遺産』、別のことばでいえば『不良資産』の代表というべきものであるが、それをどのように負担するのか、について、日本の政府は何の考えも持ち合わせていないのである。

【事故は有り得る、をまたも忘れた推進派】

 そして、高レベル放射能の搬入途中の事故がもっとも恐ろしい。特に、その容器からは、中性子線が多量漏れているので、人間が直接運転して地下に運ぴ込むことはできない。そこで無人運搬装置を使うことになるが、これは事故発生の可能性を高くする。
 JCO臨界事故の反省として、原子力関係者も「事故は有りうる」ことを認めたはずだった。しかし、この反省は本 気ではなかった。JCO事故1年後の2000年秋、原子力委員会も安全委員会も、搬入途中の事故の種類とそれぞれの対策を検討することなく、地下処分の安 全性を保証した。またも、原子力関係者はこの「事故は有り得る」ということばを忘れてしまったのである。
 本当のことをいうと、地下で事故が発生すれば、もはや対策不可能である。したがって、原子力委員会も安全委員会もこの問題を検討する気はない。したがって、事故に触れることなく、曰本にも「適地は有り得る」と安全宣言することになったのである。
 実は、反対派もだらしない。これまでも、推進派と反対派の間で、地下処分をめぐって討論会がもたれたことがあったが、その時の反対側の出席者から『事故』の議論がなされたことはなかった。
 予想外の事故で、放射能は漏れ放題となった場合、為す術なく苦しむ子孫を想像もしないごう慢さが、原子力関係者に存在する。『劇毒犯罪取り締まり法』の早期成立が望まれる。

【地上保管こそ現実的方法】

 放射能の残された対策は、自然減衰を待つという消極的方法だけである。固体の放射能の安全を確保するには、水と一切接触させないことが原則である。この 条件は、地上ならぱ、屋根さえふき替えれば達成できて、長期間保管は可能である。また事故があっても、放射能を別の建物へ移動もできる。'とりあえず、原発の格納容器を改造して、その中に高レベル放射能を保管する。その後に本格的な貯蔵庫を建設することになる。
 日本よりも天然バリヤ条件のよいフランスで、政府は、「貯蔵を続けるべきか、処分すべきか、十分に議論して、議会が判断する」という報告書を議会に提出した(1990年)。また、OECD/NEA報告書(1995年)には、「将来において、他の選択肢(貯蔵など)が採用されることを排除しないこと」とある。
 しかし、日本では、このような議論が一切無視されている。日本の推進派は、地下処分一辺倒であって、思い込んだら一途の「かたい頭」の持ち主ばかりである。
 ただちに、原発廃止の手続きを始めるとともに、地下処分につぎ込んできた人員、予算を、地上保管の研究にもまったく同じだけ投入して、テロ攻撃にも耐える施設の設計をすべきであろう。私は、反対派のひとりとして、このエネ庁主催のシンポジウム(名古屋・01.9.8)において、『高レベル放射能の地上保管』を正式に提案した。
 放射能は劇毒なのだから、可能な限り移動しない方がよい。その意味でも放射能は原発など発生地で保管すべきである。地元が利益を求めて誘致した以上、地元責任は当然

3 高レベル放射能の処分候補地(東濃地区)



である。また反対派もそれを阻止できなかった以上、仕方がないことである。その代わり、国はこの保管庫の安全のために十分な技術と資材を投入しなければならない。
 これまで、原発や再処理工場の受け入れにあたって、国は放射能搬出の約束をしたが、これは大ウソである。騙した国の責任は当然大きいが、信じたふりをし て「エサを食った」地元政治家に責任がある。本当にこの約東を信じたのなら「大バカ者」で、このような政治家を選んだ住民にも責任がある。

【核燃・瑞浪研究所計画】

 すでに述べたように、核燃は、岐阜県東濃の中央高速道の瑞浪IC付近に研究所を設立し、『研究』と称して、地下 処分の『適地を探す事業』を始めた。この候補地は、当初、土岐市にある旧動燃のウラン鉱山跡地であった。これに、その隣接地の瑞浪市の正馬様洞という所を 加えて約5平方キロの土地を確保し、そこに研究所を建設し、この研究所敷地内に1000メートルの縦穴を掘る予定だった(図3A、ボーリングAN1付近)。
 ところが、付近住民の抵抗にあって、取り付け道路が建設できず、この候補地Aを「適地」として指定することに失敗してしまった。

4 高レベル放射能処分候補地の下流は名古屋市など、被災人口は400万人



 そこで、すこしでも『甘い汁』を欲しい瑞浪市長は、瑞浪市有地を核燃に提供して、研究所を約1キロ東へずらせて建設させることにした(図3B、ボーリングDH2付近〉。これにより、核燃はボーリングDH10からDH12までの約20平方キロの候補地Bを、「適地宣言」できることになった。もっとも、候補地Aも核燃はあきらめておらず、研究所を2カ所に分けて両方を維持しようとしている。つまりどちらかで「適地宣言」できればよいというのであろう。
 この候補地Aと候補地Bは、図に示された場所以外には、核燃は深いボーリングをしておらず、『純潔無垢』で適地 宣言ができると考えているようである。ボーリングすると、仮に埋めもどしても、完全には不可能だから、それが地下水の通り道になって、処分地不適格になっ てしまうからである。
 核燃の「研究」の役割はこの「適地宣言」までである。この「適地宣言」された土地で、原環機構が処分事業を引き継げぱよいのである。そして、高レベル放射能関係の核燃の職員を大量に雇いいれれば、核燃の技術をそのまま受け継ぐこともできる。
 この手順が、そのまま進めば、日本の原発の放射能という「お骨」の99%が、岐阜県東濃の瑞浪・土岐地域に埋葬できることになる。
 だが、ここは、図3で示したように、左から鬼岩、明世(あけよ)、高砂、白狐、釜戸と5つの温泉が並んでいる。 また、核燃のボーリングAN1でも、温泉が湧きだしたという。漏れた放射能が温泉水に混入し、地上に漏れだして、セシウム137温泉となる恐怖の可能性が ある。核燃が、この温泉の存在を知らない訳がない。しかし、この温泉については、まったく無視しているのである。
 すでに述べた核燃の報告書『第2次とりまとめ』で、地下処分した放射能が地上に流れ出て、住民に被曝させる道筋が述べられている。これを核燃は、放射能水は断層を伝わって、浅い滞水層に溶けだし、住民の掘った井戸から地表に漏れ出す、として図5Aのようにまとめている。

5A 核燃の考える放射能の漏れだし


 しかし、温泉が存在する場合は、核燃のいう漏れだしのほか、温泉水に溶けて直接地表に現れたり、温泉ボーリングで汲み上げたりする場合と、温泉水が地表には直接現れないで浅い滞水層に混ざり、それが河川へ流れだす、という図5Bのような漏れだし経路を考える必要がある。この場合、被曝は極端に増大することになる。

図5B 温泉のある場合の漏れだし


【放射能漏れの影響範囲は広大、被災人口は400万人】

 このことを東濃処分場候補地に当てはめると図4で示される広い範囲が高レベル放射能の影響を受ける。この場合2 通りの影響がある。鬼岩のように、温泉水が分水嶺の北側にある場合、可児川や深沢などを経て木曾川へ流れだすことになる。木曾川は、御嵩町や可児市を経 て、名古屋市の上水道の水源(100%)となり、下流の犬山や尾西で取水されている。
 明世や白狐のように、温泉水が分水嶺の南側にある場合、瑞浪市や土岐市を経て、土岐川に注ぐが、これは愛知県に入って庄内川と名前を変え、名古屋市内を流れる。庄内川とその分水の新川は暴れ川で、2000年の大水害は記憶に新しい。
 このように、放射能が漏れ出した場合、その被災人口は名古屋市200万人、その他200万人、合計400万人という途方もない災害をもたらす。日本の原子力関係者は、このような非常識な場所に高レベル放射能の埋葬所を建設しようとしている。
 したがって、下流の名古屋市、愛知県と岐阜県の各市町は、当然地元である。しかし、これまで、何も知らされていない。もちろん、下流の水田は使い物にならない。

【まったく無意味な核燃研究所】

すでに述べたように、この核燃研究所の目的は、この東濃地区が、高レベル放射能の地層処分地として「適地」であることを宣言することである。しかし、この地に多数の温泉が存在するから、「適地」であると、とても宣言できる場所ではない、
 では、何の研究をするのであろうか。この研究所で得られた「知識」を本格的な処分地に応用するため、というかも知れない。しかし、それもだめである。こ の地の温泉は、実は冷泉であって、流水による放射能の冷却効果が抜群だからである。本格的な処分地の場合、深層に流動性の地下水があってはならない。その ため冷却能力が少ないことを前提にして設計しなければならない。したがって、この東濃地区の研究では、条件が合わないから、別の場所での参考にはならない のである。
 この核燃の研究所では、「適地宣言」もできず、高レベル放射能の地層処分の参考にもならない。そのような研究のために、巨大な国費が消費されることになる。原子力関係者は一体何を考えているのだろうか。

原論 日本は、なぜガラス固化体の処分をあせるのか、核兵器開発以外では、その理由を説明できない

 「なにを考えているのか、分からない」、といえば、再処理して高レべルのガラス固化体を発生させること自体が、意味不明である。使用済み燃料には、いわゆる原子力の5つの壁のうち、最初の2つの壁(酸化物ペレット、被覆管)が残されていて、放射能の漏れだしを防いでいる。したがって、地層処分するにせよ、地上保管するにせよ、ガラス固化体よりは、使用済み燃料の方が扱いが楽である。
 再処理の目的は、プルトニウムを取り出して、これを利用することである。しかし、このプルトニウムを燃料にして使うには、高速炉でも軽水炉でも高額の費 用が必要となる。なぜ、このような無駄をしてまで、プルトニウムを使いたいのだろうか。原子力推進派の諸君たちも、この理由が説明できなくて、目を白黒さ せ、信じこんだ「お経のような文句」を繰り返し唱えるばかりである。
 要するに、なぜだか分からないが、自分よりも賢い人達が、「再処理して、プルトニウムを利用する」、と言っているから、それが正しいと信ずるのだ、ということらしい。
 「賢い人が何を考えているのか」。実は、高速炉『もんじゅ』から得られるプルトニウムには、核兵器材料としての価値があるという事実に注目しなければならない。プルトニウムには、プルトニウム239の同位体濃度によって、軍用プルトニウムとそうでない普通の物の2種類がある。日本の原子力は、当初から、軍事利用を狙って進められてきた、という現実から、目を背けてはいけない。
 すでに廃炉になった日本最初の『東海原発』は黒鉛炉で、この炉心の周辺部分から原爆に使えるプルトニウムが得られるのである。この原子炉はイギリス製で あったが、アメリカが介入して、その使用済み燃料を日本が使えないように、イギリスで再処理することにしてしまった。イギリスは、日本の原子炉で作った使 用済み燃料を再処理して、軍用プルトニウムを得て、それで原爆を作っていたのである。
 日本は、その後アメリカの軽水炉を買うことになったが、これから得られる普通のプルトニウムでは原爆はできない。しかし、この普通のプルトニウムを高速炉の燃料にすると、その炉心を包むブランケット(毛布)燃料から、軍用プルトニウムが生産できるので、この普通のプルトニウムを得るための再処理工場が東海村に建設された。
 そして、日本は、高速炉『もんじゅ』を建設した。この場合、正常に運転できれば、毎年60キロの軍用プルトニウムを生産できる。これで、毎年30発の原爆が製造できる。
 旧動燃は、この『もんじゅ』の使用済みブランケット燃料から軍用プルトニウムを抽出する工場を、東海再処理工場に隣接して建設した。これには『リサイクル機器試験施設(RETF)』と、意味不明の名前がつけられ、軍事工場であるという実態が隠されている。
 この軍事工場は、アメリカ政府の了承のもとに建設されている。そればかりか、その心臓部の技術である遠心抽出器は、アメリカの軍事工場から買い受けた。
 この遠心抽出器はその大きさが10センチ程度と小さい。その理由は、軍用プルトニウムは臨界になりやすいので、東海村にあるような通常の再処理工場では再処理できない。そこでアメリカの軍事技術を、旧動燃は騰入したという訳である。
 アメリカが、従来の方針を変更して、日本を核武装させてもよいとする理由は、中国、インド、パキスタンの核開発である。これを抑えるのに、日本の核を利用したいのである。アジアの核戦争にアメリカは巻き込まれたくない、と考えれば納得できる。
 『もんじゅ』の使用済み燃料の再処理の結果生ずるのは、高レベル放射能のガラス固化体である。これは、使用済み燃料とは違って、やっかいな代物であり、目の前から消してしまいたい、という訳で、核燃はその『埋葬地』を探しているという訳である。
 さて、原子力関係者が尊敬する「賢い人」とは誰のことか。これが問題である。

結論 原発を利用した愚かな祖先であった、と心から子孫に詫ぴて、残した放射能を厳重に管理するよう、くれぐれもお願いしよう詫びるのが嫌だから、「埋めてしまおう」は最悪である。

(編集後記)通信の前回発行は昨年10月でした。長期休刊をお詫びします。今後も不定期刊となりますが、可能な限り発行するつもりですので、投稿をお待ちします(槌田)。

発行所 核開発に反対する物理研究者の会
           横浜市緑区寺山町524
会費(通信) 実費相当6号分1000円
口座番号 『核開発反対の会』00160-3-615391



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10年前の提言です。末尾情報等は現在とちがうかも知れませんので、ご確認下さい。

http://www.env01.net/ss03/ss03038.htm


槌田敦さんは「核開発に反対する会」の代表で(連絡先;たんぽぽ舎)

市民と共に活動、通信を発行しています。

最近のお薦め図書は『原子力に未来はなかった』亜紀書房¥1500+税

槌田敦著

スリーマイル島16時間、

チェルノブイリ6日間、

いまだ「福島」を止められない…

日本の原発、

ほんとうにこのままで、いいですか?


安全性、高コスト、廃棄物の処理…全てが未解決のまま、2011年3月11日、

私たちは福島を迎えた。

70年代から科学者として反原発を唱えてきた著者が、

いま福島第一原発の事故について語る。

反原発の思想的支柱・名著『石油と原子力に未来はあるか』のリニューアル版。