安倍晋三は目前の状況に対して条件反射として動いているだけ | 真の国益を実現するブログ

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あらゆる面から安倍内閣の政策を厳しく評価し、独自の見解を述べていきます。

 今までは、安倍晋三を表立って批判してこなかった西部邁氏が『表現者』第71号誌上での「国民主義の復権とグローバリズムの終焉」と題された座談会において、安倍晋三を手厳しく批判しています。
 なお、この対談にはチャンネル桜代表取締役社長の水島聡氏、評論家の上島嘉郎氏と富岡幸一郎氏、そして西部邁氏の4名が参加しています。


 P48「安倍さん的なプラグマティズム(※)は、それはそれでいいいんですが、目前の状況に対しての条件反射として動いているだけのような気がします。」
(中略)
 「安倍さん的な目前の状況に対してのプラグマティズムは、必ずどこかでアメリカに絡めとられてしまいますよ。そういう曲がり角にきているんじゃないでしょうか。」

 P51「シュペングラーがいわゆる大衆のことを指して、大衆というものは、「踏みつけてくれ、でも命だけは助けてくれ」という連中だと。日本の安倍首相をはじめとするプラグマティストや、あるいは泥沼から出てくるものが、そういうものだとしたら、人間として道徳的にもどうしようもないという劣等さの中に自分自身を放り込むようなプラグマティズムで、戦後の日本人はずっとこうしてきたんです。安倍さんは少し違うかなと思っていましたけれど、結局は同じ轍だね。

 P56「僕はプーチンには教養があると思っていますが、教養がないとしたら安倍さんの方じゃないかと。 ともかく、安倍さんに少しでも、そうした両国が置かれていた立場に対する思いがあったとしたら、コーヒーブレイクのときでもいいので、そうした両国の類同性についての話題を出せばいいんです。そういう指導者がいない不幸ですね。目の前の北方領土がどうだ、ウィンウィンの関係だとか、あんな子どもの戯言みたいなことしか言えない指導者しか、日本人は持っていないということです。」


(※)安倍晋三を一種のプラグマティストと位置づけたのは西部氏ではなく水島氏です。西部氏は、一応話を合わせる形で「安倍さん的なプラグティズム」等々表現していると思われます。
 水島社長は、プラグマティズムに関して、「課題解決のため、主義主張に拘泥せず、情勢を分析把握し臨機応変に行動する立場」、一言で表現すると「単に生きのびるための哲学」と解釈しているように思えるのですが、本来は過激な哲学論理です。
 
『三省堂 大辞林』によると
 「一九世紀後半以降,アメリカを中心に展開された反形而上学的な哲学思想。デカルト以来の意識中心の立場を批判して,行動を重視し,思考・観念の真理性は環境に対する行動の結果の有効性から実験的検証を通じて帰納的に導かれるとする立場。」とあります。
(ここからは筆者の解釈です)
 つまり、プラグマティズムとは、極端に言えば、既存の哲学で演繹的に導き出されてきた命題なぞ意味をなさないとまで言っているのです。非常に過激な真理を追究する立場であり、単純に安倍晋三的な「長い物には巻かれよ」とは次元が違います。


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