マッチョ保守なのか、マゾ保守なのか、安倍信者なのかわかりませんが、「安倍総理の進める改憲・戦後レジーム脱却のためには、新自由主義を甘受するべきだ」という意見があるようですね。
前にも別の記事で書きましたが、格差や貧困は、国家が内部から崩壊していきかねない危険性をはらむものです。
なぜ、国を守るためには「格差が大きすぎる」といけないのか?
マッチョ保守の方は「余裕など無くてもいい。精神論で、苦しみを耐えて、国家建設にまい進すればいい」と考えているのでしょうか?「大東亜戦争の頃の精神が大事だ!」と主張するのでしょうか?
しかし、重要なことをお伝えしておきましょう。実は、大東亜戦争では、戦地でお芝居をやったりして、戦いの合間に「精神の回復」をすることがあったようですよ。
※参考文献:「戦争論」(小林よしのり)
そもそも、価値観(慣習)は変遷するものです。何十年もの前の価値観に「今すぐ」完全に戻るのは保守主義ではなく「反動主義」です。マゾ保守の人は、「江戸時代に戻れ!」とは言わないのに、「大東亜戦争の頃に戻れ!」とは主張するのですよね。
2.日本の労働環境の悪化
何でもかんでも、我慢一辺倒、精神論一辺倒では、国民は疲弊します。そして、このような状況をつくっている原因は、緊縮財政とグローバリズム、規制緩和です。
・緊縮財政:需要が無くなり、営業マンが達成不可能なノルマに苦しむ
・グローバリズム:韓国企業との競争で、日本企業の半導体などが苦境に陥っている
・規制緩和:タクシー台数の増加、大店法廃止による店舗増加などで、競争が激化
これに、合わせて永遠派遣や消費税10%、移民、女性の労働市場参入で、ますます過当競争で労働者は疲弊するでしょう。
むろん、すぐには解決困難な問題です。まずは、財政出動で需要を増やすべきでしょう。
3.「余裕」「心のゆとり」が判断力を鋭敏にし、能率も向上させる
雑談から、意外なアイデアが生まれます。雑談で、職場の雰囲気が良くなります。
社内イベント。朝の挨拶。保養所。こうした、古き良き日本企業の施策は、心のゆとり、余裕が、仕事に対するモチベーションを上げていた面もあるものと思います。
ブラック企業など、日本人は精神論で、眉間にシワをよせて、長時間残業の人ばかりです。これでは、能率が下がるばかりだと思います。
休日出勤はできる限り、減らすべきでしょう。
自然に癒されます。小鳥のさえずり。風が吹いた時の木々のささやき。小川や用水路のせせらぎ。人間は自然からパワーをもらえます。
子供がいらっしゃる方ならば、子供からもパワーをもらえます。
休日も働いたり、休日も資格の勉強ばかりでは、いつか疲弊して働けなくなるのかもしれません。
私は、何も「楽をするべき」だと主張しているのではありません。「余裕」「心のゆとり」があるほうが、判断力が鋭敏になり、能率も上がるし、「長く働くことができる」と言いたいのです。「楽」が目的ではなくて、あくまでも「能率」「長く働く」ための余裕なのです。
そして、「緊張して一生懸命働く」のと「心のゆとりを持つ」ことの、バランスが大事です。これも、別の記事で書いたとおり「中庸」の問題なのです。
4.登山家、野口健さんの体験
野口健さんの本を読んで、このブログ記事のインスピレーションを得ました。長いですが、文章をご紹介させていただきます。
※文の強調はブログ筆者
野口健「富士山を汚すのは誰か」 P.66~69
悲壮感をもち、精神的余裕のない隊ほどごみを多く捨てる。そして、悲壮感のある隊ほど、命も落としやすい。
(中略)
山では、してもいい無理と、してはいけない無理がある。切羽詰まって精神的な余裕のなくなった隊は、判断力が鈍る。命さえあれば、また挑戦できる。死んでしまったらそうはいかない。この世界からは、追い詰められたときに死ぬ確率が高いのだ。
ヨーロッパの登山家は、さすがに登山の歴史が長い国々だけあって、山の楽しみ方もうまいし、自己コントロールの仕方にも一日の長がある。彼らのメリハリのきいた過ごし方は、倣うべき点が多い。
とくに、ベースキャンプでのくつろぎ方がうまい。
ベースキャンプから上は、いつどんな危険が待っているかわからない。極度に緊張するし、肉体的にもきつい。ベースキャンプは、登山家にとって唯一落ち着ける場所となる。天候や自分の体調を見ながら、ベースキャンプまで降りてきて、四、五日ゆっくりくつろいで過ごす。そして体力と英気を養って、また登っていく。それだけに、短時間でくつろいで、心身両面を立て直せるような状態が望ましい。
ヨーロッパの登山家たちは、窮屈なテントは使わない。大きなドーム型のテントを張り、なかには絨毯を敷き、ソファセットを置き、液晶テレビを置いていたりする。カウンターを備えてバーコーナーまでつくっていたテントもある。
そして、ベースキャンプに戻ったら登山ウェアを脱いで、ラフなセーター姿などに着替え、ソファで映画を観たり、瓶ビールやワインを飲んだりする。
(中略)
自分の部屋に帰ったようなムードをつくりだすことで、緊張が解けてほっとくつろぐ時間を過ごすことができる。そして活力を取り戻して、また身を引き締めて緊張のエリアに向かっていく。極限状態のなかでのバランス調整の見事さに感心させられる。
その点、日本隊や韓国隊などは、ベースキャンプにいても、どこか修行のようなところがある。隊のなかでの上下関係も厳しいし、我慢することが当たり前というムードが強く、肉体的にも精神的にも、ゆるむ状況がない。どんどん追い込まれた気分になっていくのも道理だ。
(中略)
余裕は、視野の広がりに通じる。登山家にとって判断力の誤りは致命的だ。心に余裕があって、視野も広がれば、しなくていい無理をして命を落とすこともない。
これは登山家に限らず、何にでも言えることではないだろうか。