あやしい宗教学 宗教の原初形態は祈りと呪術か? 呪いの藁人形と橋姫の恐怖 げにおそろしき執念 | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

宗教学者の脇本平也センセの『宗教学入門』の第三章は「科学・呪術・宗教』であります。

 

 

先回、ヴィレンドルフのヴィーナスアルテミスという女神像やラスコーなどの洞窟壁画について考えてみましたが、これらに対し、古代の人々が豊饒の祈りを捧げていたのであろうと想像されております。

 

して、この祈りは現代の我々が、例えば神社仏閣に詣でて祈願する態度と全く同じものでしょう。その対象こそ異なれ、神や仏、その仏も日本では言うなれば神と等しい存在のように思いますが、そういった超自然的存在の力にあやかりたいということでしょう。

 

そして、この「あやかりたい」というのは受け身的なもので、消極的なものとも考えられますが、これが呪術となりますと、積極的というか、人間の側からその超自然的な力を手に入れ、用いるということになるように思います。

 

 

 

祈りというものから、一歩手前に出るわけです。

 

今回は、その一つの例として橋姫伝承を取り上げてみます。

 

 

 

あの、呪いの藁人形ですよ。

 

 

 

男が、付き合っている女性の部屋に初めて行った時に、そこにあったらドン引きするものですよ。

 

 

だいじょうぶ。最近は使ってないから

 

 

 

って、使ったことがあるんかい!?

 

んで、もしオレが、浮気なんかしたら・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、京都は宇治川に架かる橋に宇治橋があります。

 

 

時は平安時代、ある公卿の娘が、自分の男が他の女のもとに行ったことで猛烈な嫉妬心を抱き、貴船大明神(貴船神社)に詣で「どうか、私を行きながら鬼にしてください。妬ましいと思う女を取り殺したいのです」と申し上げます。

 

 

すると、貴船大明神が示現して「ならば、姿を作り変えて、宇治川の川瀬に行き、21日間浸かりなさい」と告げます。

 

 

そこで娘は、長い髪を5つに分け松脂を塗って巻き上げ、額には朱を施し体には赤土を塗り、頭には鉄輪を被り、松明(たいまつ)3杷に火を付け、そのうちの一つを口にくわえ、夜更けに大路を走りだすと、頭から五つの炎が燃えあがり、そのあまりにもすさまじい姿に、たまたま、これに出くわした方はみなショックで死んでしまったのだとか。

 

 

 

 

 

 

 

そして、まずは、憎い女。そして男、さらには双方の親族とエスカレートして、次々に殺してゆき、しまいには誰構わずというんですから、これはもう怖い鬼女です。

 

 

なお、この貴船神社には古くから、丑の年、丑の月、丑の日の、丑の刻に参詣すると、心願成就するという伝承があったとされます。

 

 

アホウの一念、岩をもうがつ」なんて言葉がありましたが、いっそ、げに恐ろしき女の執念、いや、怨念というべきか。

 

 

しかし、そんな女に手を貸す(?)という神様もねえ。