三重県はあるときは近畿地方、またあるときは中部地方、またまたあるときは東海地方です。三重県は紀伊半島にあるのですが、この紀伊半島もあいまいな半島です。いったいどこからどこまで紀伊半島なのか、いろいろな説があります。まずは三つの説です。
1 紀伊半島を形から言えば、
紀伊半島は形から言えば東の端は名古屋市です。西の端は大阪市なのですが、二つの都市をどう結ぶか。三重県・大阪府・奈良県・和歌山県が紀伊半島になります。中には京都府南部や滋賀県の南部をいれる人もあります。
2 科学的に言えば、
地質学的には紀伊半島の中央部にある中央号造線で区切る方法です。要するに中央構造線より南を紀伊半島とする説です。これなら科学的に説明ができそうですね。この地質図を見ると中央構造線より南は活断層が少ないのが分かります。それが紀伊半島ができたメカニズムですが、これは後で説明します。ところで、この中央構造線なのですが、左右に年間5mmずれています。これってかなりの距離です。1万年もすれば50mもずれていきます。そうなればいったいどんな地形になっているのでしょう。
3 紀伊半島は法律で言えば、
半島振興法という法律があり、その範囲が決まっています。これなら確定でしょう。三重県の松阪市、奈良県の吉野郡より南、和歌山県は和歌山市を除く南部です。国が法律で決めているので、紀伊半島の定義としては間違いなし。
もともと本州という島は、バナナ状の形で能登半島も紀伊半島も別のメカニズムでできた半島です。能登半島は令和6年の地震のように2000年毎に繰り返す地震で隆起してできた半島です。それでは紀伊半島はどんなメカニズムでできたのでしょうか。これは室生カルデラ噴火と熊野カルデラ噴火という地球規模の大噴火でできた半島です。紀伊半島南部はまさしく溶岩の固まりで、各所にカルデラ噴火の跡があります。熊野灘の海岸線には巨大な柱状節理があります。活断層が少ないのはこのためです。
では、紀伊半島の範囲ですが、どれが正しいかと言えば、全部正しいようではっきりさせたいのですが、あいまいもこな結論となりました。
ついでに三重県なのですが、関西ではありません。関西は京都府、大阪府、奈良県、和歌山県、滋賀県、兵庫県の二府四県です。ということで、三重県は近畿地方で、またあるときは中部地方で、またまたあるときは東海地方です。
映画「翔んで埼玉Ⅱ」で舞台は関西なのですが、三重県人が出てきます。関西人はすべて拉致されるのですが、三重県人はこっそり逃げて助かりました。なので、やはり三重県人は関西人ではありません。それでも、関東に行くと、「おたく、関西?」って聞かれます。「ちゃうわ!」と答えると、ドン引き! 言葉ものりもやはり関西です。
伊勢言葉は関西のイントネーションです。トラ柄のタオルを首に巻いて軽トラックを運転しているおじさんはやはりタイガーズファン。ヒョウ柄のおばちゃんは、「兄ちゃん、アメちゃんやろか」と懐から飴を出してきます。これはもはや・・・。
こうしてみると、三重県はどこにでも所属するので変幻自在のカメレオンみたいな県です。
三重県は古くから美し国(うましくに)と呼ばれていました。特に志摩半島から潮岬までの熊野灘の海岸はリアス式海岸が含まれ海の幸が豊富です。黒潮躍る熊野灘と言われるように波が高くて魚介類は筋肉が締まって美味しくなります。伊勢エビやアワビ、サザエ、、鯛、海苔などいうことなし。そして、カルデラ噴火でできた紀伊山地は山が深く、松茸や椎茸などのキノコ類、そして、お茶の生産が盛んです。南の方では年中蜜柑が採れる地域があります。海の幸も山の幸もいいとこどり。首都圏からも近く、東京駅から伊勢神宮のある伊勢市まで最短で4時間もかかりません。

