き、気づけば1月も終わりに近い。
新年の抱負でもブログに書くか、なんてぼーっと考えてたらもうこんな時間。
業界くんから数えて・・・はいいとして。
いい歳して。

好きな音楽を好きなように!

なんて思い立ったのもあり、僕のバンド、The Bassonsのアルバムが完成したこともあり。
Vocalistとしてはほぼ本名のRei Wordup(和田礼)という名前にしました。

Wordupってのはファンクをやるなら避けては通れない、ってワケでもないが避けない方が絶対ベターな存在、CAMEOの名曲Word Upがワーダッなのでグッドかと。
赤いファウルキャップは着用しませんが・・・



クー!カッケー!
猥雑にしてダンサブルな名曲である。
かつて大所帯ファンクバンドだったCAMEOが80年代に一気にスリム化を図り、3人になって放った大ヒットですね。
んで、THE BASSONSも3人編成、僕とBASSのノンタン、ドラムの山ちゃんです。
WE ARE THE BASSONS、マスタリングも終わり・・・
3月16日に新しいFUNK LABEL、HOT GATEから発売になります。
このHOT GATE、僕も出資してるんですけど。
アメリカのイカれたファンク親父の知人のマーシャル・チャンドラーってヤツの思いつきで。
サイケで変な音楽としてのファンクをなんとかしたいね、と六本木で話してたのがきっかけです。
んで、現在僕は鎖GROUPのメンバーなので日本での販売は鎖に手伝ってもらう形になります。







HOT GATE、LABEL LOGOはこんな感じ。
アツいですね~
GET FUNKY!

ってなわけで好きにFUNKYにやってくよ~!
なんて軽いアピールもあって、TWITTERとかINSTAのアカウント名も本名に近いRei Wordupにしたところ・・・なんと!
フォロワーが雪崩の如く去って行ったのですね。100人とかは余裕で。
これは興味深い、というか、DARTHREIDERとしての認知度なんですかね?
やってる事、やる事は変わらないんですが・・・DARKSIDE OF THE FORCE、実感!

先日読了した細野晴臣録音術、これは素晴らしい本だったんですが。
細野さんが泰安洋行を出した際、周りの人間がさーっといなくなったのを実感した、という件があり。
それこそ300m先まで逃げていくのが見えたよ!なんて笑いながら語っていました。
その結果、泰安洋行という自信作を完成させた満足感を完全に独り占め出来たと。
自分の好きなことをやりきれば充実出来る、というお話だと思います。

さておき。当然HIPHOPのMCとしてはDARTHREIDERなので、そこもほぼ変わらないんですが。
とにかく楽しくFUNKYにやってこうぜ!ってコトですね。

好きなことをやる時間すら足りないのに、イヤなことなどやってるヒマはあるのか?

これは先日他界したデヴィッド・ボウイの訃報を聞いたときに思ったことで。
その時は頭の中でSPACE ODDITYが鳴っていたんですが、なんせ死の直前の、自身の誕生日に、異様に充実した新作BLACKSTARを出していて。
新作を聴いて、この人は老いてますます盛んだ!なんて思った矢先の訃報・・・
本当にびっくりした、というか、生きるというコトをアートにしてしまう生き様に感動を覚えざるを得なかった。
その後、イーグルスのグレン・フライも67歳で他界。
中学、高校時代に聴きまくってた人たちが世を去る、そんな年齢になってきたわけでもある。

で、考えたのは・・・

そもRei Wordupとは何者か?

日曜日に沖縄の友人のDJトクメイが高円寺の薬酒BARでDJフクタケさんとふたり会というパーティーでひたすら80Sをかけてて。

これがかかりました。



レイ・パーカーJRのゴーストバスターズのテーマ!

僕の人生で初めて「買ってもらった」音楽がこれで。
レコード屋でテープを買ってもらった。この映画自体が大好きだったのもあり、ノリノリのタイトル曲も欲しくなったのだ。

ロンドン在住時、7歳の頃の記憶だ。

ロンドンにいた頃に「買ってもらった」記憶があるのは、あと10歳のときのマイケル・ジャクソンの「BAD」。これもテープ。
一番好きだったのはB面収録の「Dirty Diana」って曲だったなあ。

で、これはMUSIC VIDEOも大流行していて。
子供たちでみんなで真似してた。公園とかで振り付きで踊ったり、それこそ改札飛び越えるぞ!ってのりで地下鉄の駅でわーって。
80年代半ばのロンドンではMUSIC VIDEOがテレビでがんがんかかるようになっていて。
POP CULTUREが、いわゆるお茶の間にガツンと降りて来ていた。

買ってもらった記憶は上記の2本が印象深いけど、テレビで観て好きだったものもたくさんあった。

一番グッと来てたのはマドンナで・・・



このPapa don't preachは毎日のようにやってて、口ずさんでた。
いまや娘をもつ父親なわけで、聴き直すと曲の意味がまた変わって聴こえてくるな・・・

これと、同じくTrue Blue収録の・・・



La Isla Bonita!

ううん、いま観てもこの時期のマドンナは激ヤバ、激マブですな!
当時9歳だった僕もこのマドンナの可愛さに釘付けだったんですけど、同時に漂う色気をすでに意識してか?買って欲しいとは頼めなかったのです。
そう意識してたとは思わないけど、エロアイテムである、と潜在的に知っていたというか。

サマンサ・フォックスなんてのもまさにそれで・・・観てないふりをする系。

で、綺麗?なのか?え、この人ってなんなの?って思ったのが。



ボーイ・ジョージでしたね。声は綺麗な男性声。見た目は完全に女性・・・
一体これは?と当時不思議に思ったものです。
でも、このKarma Chameleonことカーマは気まぐれ(って邦題は大分後で知った)もとにかくかかりまくってたし、ボーイ・ジョージもテレビや雑誌で良く見る人だった。
で、当時の結論としては、「いろんな人がいるよな~」ってことで、こういう認識を持てたのは大事だと思う。

当時、僕が住んでたのはロンドン郊外のユダヤ人地区でシナゴーグとかもあった。
遊んでた子は大体ユダヤ人だったんだけど、実はアラブ系の家族もいて。
一緒に遊んでたんだけど、中東の状況が悪くなったタイミングでケンカとかになって・・・
気づけばアラブ系の一家は引っ越していった。
これは、DARTHREIDER/「NO拘束」収録の「A DAY OF A DREAMERS LIFE」で歌ってる出来事。
1番でこの近所のこと。2番でロンドンで組んでた地元のサッカーチームのことを歌ってる。

当時学校では、イスラエル出身のガビーって女の子がイスラエル万歳!みたいに言ってたのも覚えてるな。

学校にはいろんな人種のコがいて。
イギリス人、インド人、ジャマイカ人、インドネシア人、ベネズエイラ人、ケニア人、ポーランド人などと多彩だった。
子供なんでみんなと遊ぶ。
結果、いろんな文化や考え方があるのを自然に理解してたと思う。
友達の家にいくと、食事の前に祈りの時間とかあって。それも家ごとに違ってた。

で、日本人は僕だけだった。
当時のロンドンには日本人はたくさんいたし、日本人コミュニティーもあったんだけど。
ほとんどの家庭は帰国後に勉強に遅れないように・・・と子供を日本人学校に行かせてた。
日本人同士なので日本語で話し、日本語の勉強をする。
日本人学校は小学校4年からだったのか、3年までは何人か日本人もいたんだけど、途中から一人だけになったのを覚えてる。

現地校で一人だけ日本人だったので、遊ぶ、というか普通に生きていくためにも英語が必要で、そんな理由もあってあっという間に話せるようになったと思う。

後年予備校で、ニューヨークに7年住んでたけど日本人学校行ってたから一切英語は話せない、というヤツに会った。これは親の責任だろ!と思ったな~。それで受験で英語で苦労してるんだから勿体ない話。

この時期の思い出もたくさんあるけど、音楽の話に絞ろうと思う。
あ、ピアノをいつも弾いてたイラン人のネイディーンは可愛かったな~。

学校近くのスーパーにスティーヴィー・ワンダーがいた!ってクラスの女の子が興奮して言ったのを聞いて、みんなでスーパーまで走って行ったこともあった。
スーパーには当然スティーヴィーはいなくて、その女の子だけが本当にいた!って泣きながら主張してたね。

10歳まではロンドンにいた。
いまでもパッと思いつくヒット曲はもうひとつあって。
これは、サビのフレーズだけずっと覚えてたけど誰の曲か忘れてて。
30歳くらいになってから判明したんだけど・・・



PET SHOP BOYSのOPPORTUNITIES。
ギドラのスター誕生と同テーマで、漫画サンクチュアリのムードもまとってますね。
LETS MAKE LOTS OF MONEY!
ってとこだけ頭にこびりついてたんだけど、誰の曲なんだろう?って長年わからなくて。

そしたら、D.LさんがPET SHOP BOYSのサンプルを何かでトライしてて、そんな話をしたきっかけで80Sのこの辺りを聴いてたら発見!
子供の頃の記憶が甦る快感を覚えたものです。

具体的な曲名とかアーティスト名は覚えてなくても、この時期のヒット曲は普通に日常で流れてて、なんとなくは聴いていたと思う。
曲として鮮烈だったのは毎週のサッカー番組のテーマ曲とかかな?MATCH OF THE DAYだっけ?

で、ビートルズは古典としてこれまたいつでも流れてて。
僕が一番最初に記憶してるビートルズの曲はイエロー・サブマリンだったな。

こんなカラオケ用ビデオがありました。



あとはシー・ラヴズ・ユーとかの初期のものが記憶にあるけど、そんなイメージなんですごいアーティスト!ってよりは昔のひとたち、みたいに思ってましたね。

80年代のイギリス、こうしたPOP MUSICが華やかに流行ってて、あとはBMXとBREAKDANCEも流行ってた。ちょっと年上のお兄ちゃんたちはBMXで飛んだり跳ねたりして、公園でヘッドスピンしたりしてた。これがSTREET CULTUREの世界的ブームで、かかってた音楽は大抵HIPHOPだってことには全く気付いていないんだけどね、当時は。

実は2月7日にInter FMのGuest Loungeに生出演するんですが。
ここでも当時のUK話を披露する予定。

いろいろなきっかけで昔話になりましたが。
この後、日本に帰国してからの話はいずれ!