茶道を、さまざまな理由で辞めてしまった人、離れてしまった人がいます。

 

 経済的な問題。

 

 距離的な問題。

 

 家庭的な問題。

 

 人間関係的な問題。

 

 そして【流儀を強制される問題】。

 

 正直にいいますと、上の4つについては「どうしようもない」と私は考えます。それは、それぞれが、乗り越えるべき問題だからです。

 

 経済的にどうにもならないなら、収入を増やすか、支出を見直すかで、月謝を捻出すべきです。月5~1万円というのは、そんなに高額でしょうか。

 

 私にはちょっと分かりません。

 

 次に距離的な問題。

 これは、ウチに浜松から毎月いらっしゃるお弟子さんがおりますし、京都に毎月通われている方もいますから(北海道や九州から通う方もいるんです)、経済的な問題と合わせて、近くの先生にするとか、リモート稽古にするとか(それでも年に何回かは行かないと駄目でしょうが)、工夫のしようはあると考えます。

 

 家庭的な問題は、それこそ口を挟めません。

 

 人間関係的な問題については、先生との相性ってのもありますが、車中の人間関係が面倒というのもあったりします。

 

 これは、先生に相談するしかないですが、まぁ、往々にして解決しないものだと思います。

 

 しかし、【流儀を強制される問題】については、絶対に無くならないだろうなぁ……と感じる部分です。

 

 実はこれで辞めてしまう人、意外といらっしゃいます。

 

 というのは「そもそも茶道に流派があることを知らないで入る人が多い」ということもこれに拍車が掛かります。

 

 私の場合は、流儀にこだわらないです。

 

 これはなぜかといいますと、もう十年近く前のことになりますが、護国寺で行われる「柳営茶会」で、慈光院の尾関和尚と同席させていただいたことがございました。

 

 その時待合で尾関和尚が皆さんに問われました。

 

「皆はんはお家元はんの茶を目指してはるんですか?それとも利休はんの茶を目指してはるんですか?」と。

 

 一同絶句で、誰も返事をすることができなかったのですね。

 

 私が私の茶を!と思い至ったのは、この尾関和尚の問いかけがあったればこそです。

 

 私は「織部の茶」という「利休」でも「千家」でもない茶風が好きです。

 ですが、織部流を習いたい訳ではありません。

 

 私は私の茶風を見つけるために習っている。

 その基本の軸を都流茶道に置いているだけなのです。

 

 多分ですが、三千家や江戸千家を習っていたら、最終的に他流に移っていたのではないか?と感じます。

 

 そういう懐の広さを都流茶道に感じています。