ココのところ会議体に必ず「具申書」を持ち込んでいます。

 

 これは、「私よりも(かなり)年上の方々は、口頭で説得するよりも、文章で渡したほうが説得される」と感じたからなんですが、これまで3案件ほどこれで、意思を理解していただいています。

 

 これ、論文と同じなんですけれども、「伝聞は基本的に書かない」「事実を客観的かつ具体的に書く」「論拠・出典を明確にする」だけで、今までの労力はなんだったの?というほど話が通るようになります。

 

 これは、言葉の力よりも文章の力が勝る場面だなぁ……と。

 

 逆にこれが、年齢が下がったり、学歴が高くない方々を相手にする場合や、本を読むのが嫌いな人達には逆効果になり今度は「言葉の力のほうが勝る」場面になります。

 

 こうした言葉の力と文章の力を上手く使い分けていけば、無駄な労力を避けて、効率よく時間を使っていかれるなぁ……と感じたのが今回の理事会でした。

 

 私はどちらかというと文章の力が有利な世界の住人で、物事を理詰めで考えますし、感情論や過去への憧憬で未来を放置するタイプではないです。

 

 私の場合は、文章の力というか「漢字の表意文字としての力を信じている」という方が正しいかもしれません。

 

 今話題の「トリチウム」、これ日本語というか漢字で表記すると「三重水素」です。

 

 トリチウムと言われると「なにそれ?」と思う人も多いと思いますが、「三重水素」と表記したり呼称したりすると「なんとなく意味が通じる」と思います。

 

 勿論、通常の軽水素(1H)と重水素(2H)と比較すると、不安定かつ、放射性同位体となっているため、意味は大きく違います。といっても毒性も極めて小さく、現在の基準では人体に影響はありません。

 

 カタカナ語の正体不明の怪しげな物体のようなニュアンスから、少なくとも知っている(正体不明ではない)物質に変わっていませんか?

 

 こうした言葉の力は茶道でも大きく、同じ音でも違う漢字をアテたりすることが行われている訳です。

 

 古帛紗と小帛紗なんかはいい例ですね。

 

 ちなみに袱紗と帛紗では同じ「ふくさ」と読みますが、大きさが違っていたりします。

 

 茶盌と茶碗は物も違います。

 茶碗は「陶磁器」という意味の日本語であり、それが「ご飯茶碗」や「湯呑茶碗」という使われ方をしている訳です。

 

 それに対して「茶盌」は「茶道で用いる茶わん」にしか用いません。

 

 こうした言葉の力、あなたはどう思われますか?