オリンピックでの男子サッカーの日韓戦にまで持ち込まれた
領土問題。最近はずいぶんと活発な議論が起きている。

歴史上何十年も解消されていない一筋縄ではいかない問題だから、
こういった場で主観的な意見を書くのはどうかと思うものの、
あまりにも多くの意見があるので書いてみる。

まず、私には領土問題を解決させる方法がある。
それは「両国間領土とする(どちらの領土でも良い事にする)」
という解決方法である。


そもそも領土問題というものは、何故に起こるのか?
答えは簡単で、その領土が自分の国の領土となれば、
「領空が広がる」「領海が広がる」のである。

これによって200海里条約上、漁業を営める領域が広がり、
また多くの旅客機を空に飛ばす事が出来るようになる。

日本が竹島を「竹島」と言い、尖閣諸島を「尖閣諸島」と言い、
北方4島を「択捉島」「国後島」「色丹島」「歯舞諸島」と言うのは、
こうした領空と領海の問題が大きく関わる。

まずはその事を前提条件として、国が領土を主張していると
考えてみよう。その上で、日本がとってきた立場はどうだったか?
外交上で言えば、弱者の立場に立ってきたと言える。

「実効支配」なる言葉にあるように、多くの日本人が

「竹島は日本の領土だ」
「尖閣諸島は日本の領土だ」
「北方4島は日本の領土だ」と主張をする最近だが、

「実際に島に住んでいる人間の大半は日本人ではない」
という、重い事実がのしかかっている様に思える。

私は日本人が「日本の領土だ」と主張をするのであれば、
その場所に日本人が多く住み、生活し、日々を営んでいるという様な、
「日本国の領土だと客観的に分かるような事実」が無いと、
少なくとも外交上は厳しいのではないかと感じる。

しかし事実としては、その様な痕跡があるように思えない。

では韓国や中国やロシアが、上に書いた日本名とは違う名前で
島に名前を付け、自国の領土だと主張をしているとして、
彼らがそれを主張する理由はどこにあるのだろうか?

それは今の日本と何ら変わらない理由であるように思える。

要するに「自国の国益を損ないたくない。主張したい。」だけである。


そこで再度登場願うが、「どちらのものでもある」方式というのは
ダメなのだろうか?

歴史上の侵略がどうであるとか、過去交わされた条約がどうであるとか、
そういった事が領土問題を難しくしているが、何の事は無い。

結局のところ、自分の領空や領海として利用が出来、
その場所で生活を出来るような状況であれば、お互いが納得出来る
様にすることは簡単に出来るのではないか。

それであるのならば、その場所を経済特区化でもして、
どちらの国にとっても魅力的な中立地にしてしまうのが、
最も平和的で、最も両国にとって利益にもなり、
しかも最速で問題が解消する手立てとなり得はしないのか?

上の考えは現実的に可能な方法であるように思える。
2国間で協力をして、島周辺の漁獲量などを算出する。
空を飛んでいる飛行機の数を算出する。

その上で、その数を按分する。ちょうど2等分するか、
あるいはどちらともが十分な量の漁獲や空の便の数を確保する。

その上で1年など年数を決めて、乱獲状態になった場合には、
2国間の協議の上で、上限漁獲を決める。

空の便は管制塔でコントロールするが、あまりにも事故に近い
様な状況が多ければ、その数の制限等も2国間で決める。

こうして領空と領海の問題を2国で協力し合って解消する。

これで後の問題は「実際に住んでいる人の問題」のみとなる。

そこについては以下の様にすれば良い。

島民には、2国のパスポートなり、どちらの国でも良いような
経済上、税制上等の措置を取る。

つまりは島民にどちらの国の人間として住むかを決めさせる。

その結果があまりに一国の方に偏るような結果であるならば、
それはその時には、領土を主張していたもう一方の国からすれば、
きわめて情けない気持ちになるだろうけれど。

私は上の制度を取ると、島民は日本以外の方を選択する事が
多いと思う。「実効支配されている」からそうなるだろう。

日本人は、もし領土を主張するならば、本来的には、
その結果を見てから主張をしなくてはいけない様に思う。

まあそれは置いておいて、私は「今現在住んでいる島民」にとって、
最も住みやすい様にする事が、どちらの領土になる場合でも
必要な事ではないのかとも思うし、それを「重要視」すれば良い
のではないかと考えている。

それ故、どんな結果になるにしても、その様に島そのものは
二国間領土として経済特区化し、経済状況を良くするべきである。
それによってその国から産業が生まれ、市場が活発化したら、
その結果を踏まえた上で、2国間にそこでの利益を按分する。

こうして、島そのものの利益、そして島がある事によって得られる
領海や領空の利益、その全てをお互いが享受出来る様になる。


いつまでも「これは自分の国の領土である」という主張、
「自国だけを優先したい」という主張を繰り返し、
結果どちらの国のものでもない様な「不毛地帯化」をし、
何らお互いにとって利益をもたらさない。
そしてお互いの国同士の仲を悪くし、しまいには低いレベルの
意見のみを主張しあっては、都度都度相手の話は聞かない。

そういった事を続けているのであれば、
両方のものにしてしまう方がよっぽど現実的だし、
よっぽどお互いにとっての利益になると思うんだがねぇ。


だいたい原発の問題でもそうなんだけど、たいがいの日本人が
現実的に考えてない。本当に解決をさせようと思ってその意見を
主張しようとしているのか?について、疑問を持たざるを得ない。

いい加減現実的に考える事をして、現実的に解決が出来る方向性、
道筋を立てていかなければダメだし、それをやらない状態を続ける
から、国力そのものが大きく低下をしてしまう。


主張も良いし、意見も良い。それをする事は良い。
だけど、主張も意見も「浅い」のはダメだ。
「浅い」のが相手にわかれば、相手からはより低く見られるだけ。
「日本の外交力の低さ」は、「浅い」からそうなる。
ただしそれには「外的な要因もある」事は後述する。


実際の領土問題で起きている事を見ていくと、
韓国の現職総理大臣は、領土問題については活発派で、
独島に上陸をして、独島だとハングルで書かれた石碑を建てた。

要人は天皇批判をしたし、それを良くないとした政府文書そのものも
返送をするような事もした。

しかしながら、そうした韓国の政府の対応は、韓国内にも批判が
ものすごく多くある。国際的な立場を弱くするだけだという意見である。

日本人が痛烈に上の様な活発な活動に対して批判をし、
「ここは竹島だ」と主張をするのも、気持ちとしては分かるけれど、
上の様に領土問題の根本的な部分を理解していない人が、
何故それが起こっているのかさえもわかっていない様な人が、

一時的な感情に流されて、反韓国に走るのは、
自分としてはいかがなものかな、と思う部分がある。
意見が「浅い」場合、逆に大きな反論を招くだけである。


例えばこの間、一部の日本人が尖閣諸島に上陸をして、
日の丸を掲げるような行動を取って、中国で反日デモが起きたけれど、
ああいった軽率な行動を取っているようでは、
少なくとも韓国の行動を批判は出来ないのではないかと感じる。


あの行動が起こったのを知った時、少なくとも私には、

勝手に島に上陸をして石碑を建てた のと、
勝手に島に上陸をして自国の国旗を掲げる のと、

やっている行動のレベルが変わるようには思えなかったのである。


ましてや、韓国の方は、それでもやっている人間が「首相」である。
影響力がある、政府の中心人物がやっている。
それには、それなりに大きな意味があるという事だ。

かたや日本の方はどうなのか?

別に国の方針に直接関わるわけではない様な「市議レベル」の人間が
そういった行動を取ったし、それによって国同士の関係が
本当におかしくなったとした時、そういった人間では全く責任が取れない、
そういった人間がそういった行動を取ったに過ぎないのだ。

比べると、まだ韓国の方がやっているものの方が
「まともな」行動にさえ見えてしまう。
ああいう事は「要人がやらないと意味が無い」と思うから。


日本人は、何故、尖閣諸島に行った人間を情状酌量にするのか?
ああいった行動をやって自国に大甘な裁定を下しているような国が、
一方では韓国を公然と批判できるのは何故なのか???

やっている行動が同レベルなのに、片方を賞賛し、片方を批判する。
それならば「公平なジャッジ」はしていないという事になるだろう。
違和感を覚えざるを得ない。


私は韓国人ではないし、日本人ではあるが、今回の一連の報道や
行動を客観的に見た時に、上のような理由もあって、
日本人の行動だけが正しくて、他が常軌を逸しているのだという、
そういう風にはとても捉えられないんだよ。


例えば、独島に石碑を建てたのは首相である。
択捉島や国後島などに視察に行くのも、プーチンだしメドベージェフだ。
つまりは自分の国に対して、それ相応に責任を持っている要人が
自分の領土と主張をしている所にちゃんと行っているわけだ。

日本はどうなのか?
竹島に総理大臣なり、天皇なりが行ったのか?
最悪、外務大臣は飛んで行ったのか?
択捉島には、国後島には、尖閣諸島にはどうだったか?

行ってはいないし、行って「ここはうちの領土だから行ったのだ」という
主張も一切行ってはいない。

そうなっている原因には、日本の政治力、外交力が極めて弱いという、
内側に弱さがあるという部分と、アメリカとの関係性という、
外側に弱さがあるという部分とが、複雑に絡んでいる様に思える。

日本が「実効支配をされ続けた」理由は、
「自国の外交力が弱い」のが第一の理由だが、
第二には「アメリカの存在」がある様に思える。


最近のアメリカは、非常に親中だし、親韓である。
理由は自国の抱えている状況、経済成長率の違い等、
日本よりも魅力があると判断をする理由が多くあるから。

日本の政府は「日米安保条約」を後ろ盾にして、アメリカに守られ、
それによって一定の外交力を得ていた部分もある。
ところが最近はそれは通用しない。

それは今回の竹島・独島の呼称問題、一連の尖閣の問題、
さらに今まで何度も取り上げられた北方領土問題もそうだが、
アメリカは日本の領土である方向の理論について、
「一定の理解を示す」けれど、他方を「遺憾だ」とか「敵だ」
という様な姿勢では捉えていない事からも明らかである。

ロシアとは冷戦状態であった過去があるから、
ロシアの主張を全て無視するわけにはいかない。
つまりは一目を置かざるを得ない。

中国には自国債との問題で、頭が上がらない、
のっぴきならない事情があるし、世界の生産工場相手に
敵対する様な行動は当然取れない。
つまりは一目置かざるを得ない。

韓国とは日本以上に活発に貿易関係・友好関係を強めてきた。
それが大陸間でつながる中国や北朝鮮への牽制になるからで、
今や日本以上のパートナーとなった韓国相手に、
敵対したり関係悪化する様な行動は、アメリカ側の外交上
取れない。つまりは一目置かざるを得ない。

上の様な、米ロ関係、米中関係、米韓関係が存在する以上、
日米安保理に今まで守られてきた日本政府からすると、
強気の主張は、他の3国の様には出来ないのだろう。

日米安保理そのものが無くなったわけではないけれど、
日本とアメリカの関係が過去からより強固になったのかどうか、
という事を考えると、それは強固にはなっていないだろう。

その最たる理由は、1年毎に総理大臣が変わり、外務大臣が
変わってしまうから、約束が果たされなさそうだという、
日本国内の情勢をアメリカが客観的に捉えているからだ。

だからアメリカは、日本ではなく、中国や韓国と活発に外交した。


上の様な外的要因も領土問題には当然加わるわけだが、
「竹島を返せ」と主張をするプラカードを掲げる日本人はいるし、
そういう主張をしている割には、上の外的要因1つも把握していない
日本人もいる。

そもそも何十年も解決をしてこなかったこの領土問題が、
お互いに現実的な歩み寄りと協議をする事も無い中で、
解決をみるなんて事は100%あり得ないのだ。

それなのに、韓国も日本も、お互いがお互いで主張をし合うばかり。
最初に強権的に主張をしてきたのは韓国かもしれないが、
日本人はそれに「お付き合い」をしてしまっている。

その辺を考えると、日本政府はずいぶんとまともで、冷静で、
上の様な事をちゃんと考えながら、事にあたっている様に見える。

日本国民の方が、冷静さを欠いて、感情的になるシーンの方が
多くなっている様に思える。

いずれにしても、現実的に考えてもらって、
お互いが利益につながる方向性を模索して、
平和的に解決をするのが「日本流のやり方」の様に思う。

そうなる事を心から願う。

日本の社会がずっと「浮上」していない。


これは景気の面についてもそう、

人間としてのレベルもそう、

政治家のレベルについてもそう。


先に述べた様に、主原因になっているのは、

「全体的に無責任である」様に感じる部分が大きい。


「誰かがやってくれるから適当でも良い」

「他もやっているんだから自分もやっても良い」

「自分が快適だったら他は関係ない」

「他に迷惑をかけても自分の快適が優先である」


他社との関係を持ち出しては、自分を良く見せる事に終始する。



自分を良く見せたところで「本質を見ている人」はいるもので、

そういった類の人から見たら「その場だけ良く見せているに過ぎない」

という事は、すぐにバレるものだ。



私自身が本質を見える人間とは言わないが、

会社経営者という事もあって、「人を見る事」には敏感だ。


私が学生やまだ一企業の社員だった頃から、

こんなに日本人全体のレベルは低かったのだろうか?


日本人には「恥」の文化というものがあると聞いたが、

そういったものというのはどこに行ったのか?



地震や原発で、

あるいは女子W杯や今開催されているオリンピックで、


日本人は度々「ナショナリズム」にかられて自国の為に時間を使うが、

なぜそれが、自らの生活レベルにまで落としこめないのだろうか。


私が見る限り、相変わらず今日も、いつもと変わらず、

電車の中ではスマホをいじる事を優先し、周りを見ていない人間

がいるし、そしてそれが「スタンダード」になっている。



「スタンダード」の尺度そのものが、低質そのものになっていれば、

当然「守られるべき尺度」も、きわめてユルくなる。


「ユルふわ」は女子の髪の毛だけで十分。

社会制度や常識の尺度まで「ユルふわ」にする必要性は一切ない。



何故そういった事を「老婆心よろしく」「昔の頑固オヤジよろしく」書くか、

と問えば、それは「昔のもの=ダサい、古い、かっこ悪い」という、

いつからか生まれてしまった偏見を、少しでも正したいからだ。


そして、上の様な「ユルふわな社会」の形成に、

情報メディアの発展、デジタル化といったものも一役かんでいるからだ。



私は情報の受発信を行うホームページというものを日々制作している。


だから、デジタルのメディアがその情報量の増加をする度に、

それについていけないまま、流されている人間の数も増加している

という事実について、懸念を覚える。



多くの日本人は「スマホを操作している」と思っている様だが、

それは違う。


多くの日本人は「スマホに操作されている」のだ。


ITを活用する動きというものは無くならないし、より便利になるだろう。

しかしその度に、人間そのものが何もしなくて良くなっていっている

事実を認識した方が良い。



今や「ガラパゴス携帯」とまで言われる旧型の携帯電話が全盛の頃

「親指族」という言葉があった事を覚えているだろうか。


それが今は「人差し指族」である。


「親指族」時代に出来た事は、

「電話をする事」と「メールをする事」ぐらいだったが、


「人差し指族」時代には、写真も撮れるしゲームも出来るし、

多くの人とより早くつながる事が出来るフィールドが増えている。


一般にこれは「デジタル化」「進化」と言われるが、

大事な事実は「それによって人間そのものが進化したわけではない」

という事実だ。



私は速やかにやるべき課題として「情報教育」があると思っていて、

それは自分の会社が社会の為に絶対になすべき事だとも思っているが、

その最たる理由は「上の様な勘違いを是正する事」である。



どんなに情報化が進もうが、デジタル化が進もうが、

人間の心臓は1つしか無い。

ゲームの様に復活をするわけではない。


ところが多くの時間をゲームに費やし、バーチャルに身を置くと、

そうした「当たり前の事実」までもが、蝕まれる様な事も普通にある。


私は凶悪事件やいじめといった類のものは、

上の事と何の因果関係も無いとは思わない。


つまりは「人間」という、存在そのものが「軽んじられる」のだ。


「ゲームを長くやったから」みたいな短絡的なこじつけは

ナンセンスだが、ゲームをやる時間だけが長くなれば、

その時間で教育されるべき「倫理観」とか「道徳観」の醸成といった

時間が、皆無に近くなるという事にはなる。



自分の年齢は32歳なのだが、この年齢が「はざま」だと思っている。


アナログの時代を幼少期、学生時代に過ごし、

社会人になってからデジタル化をした最後の世代である。


アナログの時代を知る世代ほど、

「スマホがある」という事が当たり前にはなっていない。

つまりは「昔からそうだったわけではない」事を知っている。


実はそういった認識は極めて大事な事だ。


「あるのが当たり前」が基準になっているから、


「女性専用車両」という響きには違和感を感じない。

「スマートフォン」という響きには違和感を感じない。

「プロフ」という響きには違和感を感じない。

「Facebook」という響きには違和感を感じない。

「ホームページ」という響きには違和感を感じない。

「インターネット」という響きには違和感を感じない。


上に挙げたもの、全部昔は無かったんですよ。


今学生時代の世代だと、おそらくそういった事実1つが信じられない

事のように思えるだろうけど、本当に無かったんですよ。


「原子力発電所」だって、20年計画でここまで来たもので、

昔からあったものでは無いんだから。


「無い」から良い、「ある」からダメだと言うつもりは全く無い。

だけど「最初からあるものでは無かった」という事は

知っておいた方が良い。



そして「どうして出来たのか」まで考えてみた方が良い。


「より便利になる為に」という尺度で基本的には動いてきて、

数多くの人の努力があって、今の社会がある。


それは多くの反発を受けている原子力を含むエネルギーの問題

についても同じ。


「何故そうなったのか」を、考えない人間が多過ぎる。


だから例えば原子力の問題について言えば、

いつまで経っても「具体的な対案」が出ないし、考えない。

感情に流されて「それは反対だ」と叫ぶ事に終始する。


私が多くの日本人に対して言いたい事は、

「頭があるんだから、人間なんだから、もう少し考えろ!」という事。


理性をもって考える事が出来ないのであれば、

それは人間ではなく、ただの「動物」である。

オリに入れて、保護する必要性も生じてしまうだろう。


だからいじめの加害者については、自分は「動物」だと思っている。

「考える頭が無い動物」は、オリに入れられるべきだし、

危害ばかり加える動物が「射殺」されるように、

「オイタが過ぎる、人間の度を超えた動物」と化した人間については、

「射殺」しなくてはならない。


そういったペナルティーがある事を分からせなければ、

気付かないなんて、本当はそういう事実そのものがレベルの低さを

象徴しているわけなんだが、


残念ながら考えられないのであれば、そういう事実を作って、

「そうなることへの恐怖から抑制する」必要性も出てきてしまうだろう。


そういう風にしなくては、弱者が生きていけないからだ。


弱者救済を声高に叫ぶのであれば、

それぐらいの事はやる必要性があるという事だ。



申し訳ないが、中学生という年齢は「言い訳出来ない年齢」だ。

「自分では考えられなかったんです。」とは言えない年齢である。

社会に存在する責任1つも、小学生よりも大きいわけだ。


わずか5・6年もすれば、社会人になる様な存在だ。

社会に存在する責任は、中学生にもあるし、

それは物心ついた、幼稚園時代からあると、自分は思っている。


そういう「社会的責任は中学生でもある」事自体が、

中学生のうちで認識されてい無さ過ぎるのではないだろうか?


申し訳ないが、携帯をいじっている暇があったら、

そういう責任を負っている「社会の一員である」という事を

考える時間を、今回の事件をきっかけに作って欲しい。


そういう「考える時間」が作れれば、

それは無念で死んでいった同級生へのせめてもの弔いになるだろう。

今週は月曜日からずっと缶詰め状態で制作作業。

そのおかげでようやくとゴールが見え始める。


もちろんゴールは新たな制作のスタートでもあるんだが、

一旦ゴールをしなくては、次の制作のスタートが切れないのだ。


そうやって部屋の外に出れば、いつの間にか猛暑だし、

いつの間にか8月にも入っているというね。


光陰矢のごとしとはよく言ったものだ。


来週は8月6日・7日・8日と栃木を含む遠征続き。

今週とは毛色の違う一週間となるが、それを越えたらお盆だな。

相当にまじめ過ぎる、かつ辛辣過ぎる文章を書いた後の記事。


皆さんは今ブームのこんな本、知ってますか?

その名も「地獄」の本だって。


テレビでもたびたび取り上げられているのだが、

「地獄」の本が、今幼児に読ませる本として大人気らしい。


この本がブームである事に対して、番組出演者の一人だった

マツコ・デラックスさんがこんな事を言っていたなぁ。


「なんか、幼児教育をこんな本で済ませるなんて安直ね」


全くの的確な指摘、私も全くの同意見だった。



「地獄」の本、内容は、端々間違っているかもしれないが、

私の記憶をたどって書いてみると、大体こんな話。


悪い事をして死んだ主人公が、

えんま大王に「オマエは今回は地獄行きにはしないが、

次生きた時にも悪い事をしたら、こんな場所に行く事になる。

今回は地獄を見ておけ。」と言い渡されて、

様々な地獄を見て歩くという内容。


体を切り刻まれて、料理の様にされる地獄であるとか、

火あぶりにされている地獄であるとか、子供に見せるのには

強烈と言わざるを得ない様な、極めて残酷な内容。


しかもポイントは、こういうひどい仕打ちを

「地獄にいる悪人は、死ねない霊の状態だからされ続ける」

という点。そんな事がずっと描かれる。


主人公は、こんな怖いところに、地獄には絶対に行きたくない。

だから絶対に現世では改心して暮らそうと心に誓った。


そんな様な内容だったはずだ。



これを幼稚園や保育園で読み聞かせているらしい。

幼児は泣く子も多いらしいが、その後決まって

「悪い事をしないようにしようと思った」となるらしい。



私はこの話を聞いて、よっぽど家庭教育というものは、

機能不全状態に近い状態になっているんだろうな、と感じた。


つまりは地獄の本ぐらい見せないと、親は子供を叱れない。

親が自分の責任で子に叱るのではなくて、

本を使って間接的にそれをやるのである。


善悪判断の能力を養う事を、この地獄の本に求め過ぎている

事で、実生活では何も教えていないのではないだろうかという、

すごく不安になる部分があるんだよね。



もちろん「地獄」の本は、私もオススメだ。


何でもかんでも「暴力表現はダメ」とか「性的描写はダメ」とか、

規制ばかりをする方向で、その結果として


「体を叩かれる痛みも知らない子供が増えた」し、

「性に対しても正しい知識無く、好奇心でやみくもにやる子供が

増えた」わけだから、こういう「地獄」の本の様な、


世の中には悪い事をする人間も多く居て、

かつそういう人間は、死後地獄に落ちる、

どんなに悪い人間が多くても、自分は正しく生きなさい!

という、スカッと分かりやすい本は幼い時から読むべきである。



でもね、やっぱりその一方で、こういう本がウケている事に

一抹の不安と違和感を抱く事もまた、事実なんだな。

日本の教育、一体どうなっていくんだろうな………。

大津いじめ自殺問題について、

私は「加害者自身と加害者の親」が完全悪だと言った。


しかし誤解をしないで頂きたいのは、だからといって

「学校や教育委員会に責任が無いという事では無い」という事。


加害者の親がPTAの会長をしていた事など、

「問題にしづらい立場」であったという意味で、

加害者本人や親並の悪さでは無いとは思うが、


しかしね、加害者の親がPTAの会長をしている

という前提があったからと言って、いじめは看過されて良いのか?

といったら、それは全く違うだろう。


ましてや学校や教育委員会というのは、

「教育のプロ」となっているセクションである。


やっぱり昔に比べて質が低下をしている感は否めないね。


こういった一連の問題にしても、政治の世界の問題にしても、

原発関連の問題にしても、共通をする事があるんだが、


それは、

「責任を取らない日本人だらけだね」って事。



「いじめが自殺の要因の一因でしか無い」事は、

裁判では論点になるらしい。


だからなのか、学校側や教育委員会側の発表では、

「いじめはあり、自殺となった一因と考える」という発表だ。


あなたたち教育者は、いじめが自殺の一因であれば、

いじめは見過ごして良いとでも言うのか???


あのね、その考え、教育者失格の考えだからさ、

そんな考えするんだったら、全員教育者を辞めてくれないか。


対面が守られれば良いという話じゃあないんだよ、分かるか!

教育者であれば、教育者らしく、潔く責任を取ってくれ。



こういう「責任を取らない日本人だらけ」は、

今回の問題にとどまらないよ。


一時よりも大飯原発が再稼働をした事で「ホッと」した感が

ある電力会社側だが、代替エネルギーの研究はどうしたのか?


原子力を今後0にしていく為に、どういう措置を取っていくのか

という事を、マスコミなり、我々に示した電力会社はあるのか???


そういう事を国が決定するまでやらないという姿勢、

性根が腐っているんじゃないかと思うね。


あなたたちは考えなきゃならないんだよ、分かるか!


電力会社各社が何らそういった事を考えずに、

値上げ幅が少なくなれば、利益が少なくなるだのなんだの

ほざいているというのは、完全に感覚がズレていると思う。


電力会社各社よ、エネルギーのインフラに関わる会社なら、

原子力発電の稼働計画も含めて、もう少し考えてくれ。


そういう責任を全うするからこそ、高額な給料なんじゃないのか?

認識の甘さ、甘過ぎてヘドが出るレベルなり。


消費税には断固反対だと言って最近離党をした政治家がいたが、

党内での責任も果たせず、裁判の決着に対しての責任も果たせず、

そういった全ての責任を果たしてこなかった人に、

だれが支持をし続けるんだろうか???


利権はな、責任を取るからこそ享受出来るんだよ。

そこを大いに勘違いしてしまっているんじゃないかな。


むしろ政治家には、過去にいい加減にしてきた15年ほど分の責任を

一心に取ってもらって、15年とは言わないまでも、それ相応の期間を

「無給で」働いてもらうのが筋なんじゃないかと思うが。


どのみち無給でも働く様な政治家はいないだろう。

そういう志が無い様な政治家だから、見透かされてしまうんだろう。

国民も全く期待をしないのだろう。だから国を形成していけないのだろう。

これも情けなさ過ぎて、ヘドが出るレベルなり。



私は以前、公の場にいるのであれば、人の事を考えた行動を取れ!

と、満員電車での事例を挙げて、指摘をした。


それぞれの立場が、それぞれの立場で責任を取らず、

個人主義、利己主義的ないい加減な行動しか取らず、

そういった事を「日常茶飯事」にして生きていると、


国というのは、社会というのは、世の中というのは、

良くはならないもんだよなぁ。


誰も責任取らないもんな。



中学生の責任は、学生らしく、快活に勉学に励めば良い。

それをひたすらに一心にするように心がけていれば、

少なくとも人を傷つけたりする可能性は少なくなるし、

傷つけたときにも、傷つけた事に対する非礼を詫びるだろう。


教育者の責任は、今の教育者が思うよりも、はるかに重い責任はある。

人間を育てなくちゃいけないからだ。


人間を育てると言うのは、学習指導要綱で定められたものを、

その年齢の子供に対して、教えていくという事ではない。

それは手段でしか無い。


そういう教え方でいじめは防げたのか? 防げなかったではないか。


だからこそ教育者は、教育者自身が「教える側」としての、

礼儀、素養、人間性を持っていなくちゃいけない。

今回の学校関係者や教育委員会には、そういった要素が欠けている。


電力会社の責任は、エネルギーの未来を考える事にある。

自社の利益が減る事を主張している場合では無い。

それとは別の、奉仕の精神、お役立ち精神が必要不可欠だ。

電力会社には「使って頂いている」というサービス業的な発想が無い。


政治家の責任は、国を良くしていく事にある。

自らが起こした問題に対しての責任も取れない様な人間が、

政治家をやってはいけない。資格無しである。


国を良くしていく事を優先しない政治家が多過ぎて、

国はどんどん凋落の一途だ。消費税を多くしたからといって、

その事が解決をするわけではない。


国家予算が確保されたとしても、それを使う側がコンプライアンス

も守らないで、いい加減に垂れ流しているんだから、それじゃダメ。

つまりは、予算を使う側が「官僚」であるからダメ。


消費税増税は手段であって、根本問題を解決はしない。

何故その膨大な予算が必要になったのかを考えれば、

多くの利権が存在するわけだから、理由は明らかだろう。


官僚・お役所をきれいさっぱり精算する事、まずはそこから。

事業仕分けぐらいでひるまずにやらないとダメ。

ひるまないで国を良くする為に動いてもらいたいものだ。


そういう「本当に国の為になる仕事」を優先してやるべきで、

自分のところの会にお金を蓄えさせる為に政治家をやるならば、

その政治家は今からでも遅くは無い。即行で無給にしよう。


無給にすれば、金の為に政治家をやらなくなるから。



負うべき責任は負わないとダメだし、

責任を負うからこそ、社会に存在をして良い事になるわけだ。


被害者となり自殺をしてしまった子には、

本当はそんな責任を果たしていく、輝ける未来があった。


それを閉ざしてしまったのだから、加害生徒は被害者と

同様の状況になってもらわなくてはダメだ。

つまりは死刑という事。


加害生徒は、命というものを「重い」「尊いもの」と考えていない。

ならば自らの命も軽いのだから、簡単に差し出してみろ!


他人の命が自らの命よりも「軽い」という様な事は無いんだぞ!

自分だけが「特別」でも「エライ」わけでも、無いんだぞ!


それは「勘違い」で済まされる話では無い。済ましてはいけない。

だから「我が身をもって」罪を償うべきである。


自分の身が同じ状況にさらされた時、ようやくと

自分がした事の「重さ」は理解をするだろう。


私は中学生にもなって、その事一つ頭で考えられないなんて、

信じられないし、信じたくは無いし、同じ日本人とも思いたくは無い。


ふざけるな!!!!! である。



しかしまあ、ここまで責任を取らない日本人だらけだと、

本当に「世も末や」って思ってしまう。


人間なんだし「頭がある」んだから、もう少し考えようよ。

そうじゃないと、本当に危ないんじゃないかと思うよ。



最後に。


「因果応報」という言葉がある。


悪い事をすれば、自らに悪い事が返ってくる、

良い事をすれば、自らに良い事が返ってくる、


まあ簡単に言えば、そんな言葉だ。



「目には目を 歯には歯を」という言葉がある。


同等の立場にある人間の一方が不利益を被った時には、

相手側も同害報復(同じ不利益をこうむる様な報復)を

負うべきである、というハンムラビ法典という法典の教えだ。


「無限の報復」はしてはいけないという、戒めの為の言葉で、

もともとは「目には目で、歯には歯で」という言葉だったらしい。


まあ噛み砕いて言えば、被害を受けた側は、その被害と

同様の被害を被害を与えた側に負わせる事が出来る、

そんな様な意味だ。


この2つの言葉を、責任を負わない人の全てに送りたいと思う。


基本は「因果応報」なり。自らは徹底的に善に生きる。

しかし生命に危険が及ぶような時、それほどの甚大な被害の場合

には「目には目を、歯には歯を」の精神で、牙をむかないといけない。


やられたらやり返す必要性も時にはある。

そうじゃないと「喰われて」しまう。



例えば、被害者に自殺の練習をさせたのならば、

その練習を加害者にもやってもらおう。

私が教師ならばそういう事をするね。


それで教員資格が無くなろうが関係ないでしょ。

そこでそういう事1つしていたら、自殺はしていなかったかも

しれない。加害生徒も、罪の重さを理解したかもしれない。


そうやってその強要が、いかに被害生徒を精神的に追い詰めた事に

つながる行為であったのかを、身をもって分からせよう。


残念ながら、頭で分からないような奴には、

身をもって分からせるしかないのである。


加害生徒がそういう目に遭う事をかばう様なバカな親がいたら、

私はこう言うだろう。オタクの息子さんを犯罪者にはしたくないし、

そういう風には育ってほしくないからそうしたんだ、と。


因果応報である。悪い事をしたら、悪い事が返ってくる。

その事を理解させるのである。


体罰禁止だなんて、綺麗事言って、

罪の無い方の弱者が死んじゃう様な社会は要らんだろが!!!