ぶっこみ駆け込み、そしてさようなら
3月も終わりだというのにあの仕事とこの仕事をどうにかしなければ…と思っていたのにぶっこみ案件入ってきた。仕事も、PTAもあーあ、今日はパソコン持ち帰りたくなかったのにな。あーあ、おうちカーブスやらないとだったのにな。あーあ。…と、思っていた昨日。今日、前のめりで頑張りまくったらなんとかひとつ終わりました🙆♂️PTAの方も、ペアの方が色々考えてくれた(いや、本来その人の仕事だけど!)すごくホッとした今日はパソコン持ち帰らず(家にもあるし)というか、首が痛い!デザイン仕事で前屈みが続いたせいである。デザイン仕事があと3,4つ…大丈夫、今までもなんとかしてきたしたぶんね。若い人が1人辞めるのだけど、その人が辞めたらめっちゃ困る!!!までに育てられなかったことが悔やまれる。困るの…かな?という程度でしかないから本人も手ごたえを感じないまま辞めるのだろう。わたしが言うのもなんだけど木を見て森を見ずみたいな子で、何度もそこじゃねぇし!!と心の中で突っ込んでいた。でも、本人は大真面目に木の話ばかりするものだからとても困ったしびれをきらして森の話をするとあ、そうなんですね、と素直に退散するがお尻を拭こうとはせずそのままなかったようにする子だった。次は森を見てもらえるかなと思えば、また同じようなことを繰り返すのでああ、理解できないんだ子は。やったかやらないかでしかなくて、中身のないスタンプラリーを繰り返すしか興味がないんだ。その労働がどんな作用をするか、どうあるべきかなんてなんの価値もないのだ、この子は。という認識で他の若い人の世話をしているうちにだんだん相手をしなくなり、仕事もほとんど任せなかった。(そもそも会社に来たがらないので任せる仕事が限られていた。)なんだかんだやる気もないのに出社しない言い訳が続いた後、辞めると言い出してホッとした。残念なことは、先にも言ったけど「◯◯さんがいなくなると困るなぁ!」という言葉が誰からも聞こえてこないこと。自分がそういう人と働いていた、という事実。たった1年でもキラリと光る部分を見つけられなかった。あったとしても他の至らぬ部分が多すぎて消えて見えなくなってしまっていた。結局は「続けること」でしか磨かれないものがあるけれど、続けられるのも才能なのだよ、たぶんね