昨夜は上野の「木曽路」へ。

上野鈴木演芸場の隣のビルの地下です。

 

 

 

 

例の中国人に誘われて重い腰を持ち上げて出かけました。

しゃぶしゃぶに目が眩んだわけではないのです。

ヒマだったし、好奇心があった。

目的はなんだろう、と。

 

 

 

 

誘ってくれたSさんは、日本にある中国人商社の社員。10年くらい前に一度か二度会ったことがあるはずだけど、よくは覚えていない。名刺はある。一緒には仕事をしたことはない。同じ事業部の隣の部では取引はある。まもなく定年退職する私を会食に誘う理由は何なのか。彼がメールで書いていたのは、「経験豊富なダーさんと会食することで、いろいろと学びたい」と。

 

①当社の裏情報を入手したい

②私をヘッドハンティングする

③他意はない

 

結論としては、③でした。

びっくり。

 

 

先に店に来ていたSさんの顔を見ても思出せなかったけど、まあ、いいか、と。

 

Sさんは、遼寧省出身の47歳。22年前に日本に来て、日本の福岡県の大学院を出てから、今の会社に就職。日本語は得意だけど、それほど流暢ではない。話せば日本人ではないとはっきりわかるレベル。

「仕事ではほとんど中国語なので、日本語はあまり上達しないんです」と。

 

「北京語はできますが、広東語はわかりません。台湾語より日本語のほうが得意です」

 

奥さんも同じ都市出身の中国人女性。満州族。子供はいない。

(清朝時代の遼寧省は満州族中心だったが、19世紀半ばロシアの南下政策に対抗するために漢民族の入植を解禁した)

 

 

 

 

うちの会社の製品をいくつか取り扱っているので、共通の知り合いも何人もいた。20年近く関わっているので、既に退職した古い人のことも知っていて、おお、と思った。

 

彼は勉強熱心だけど、理科系ではなく、技術的なことでのスキルアップは諦めている様子。だけど、宅建の資格を取り、今は行政書士の資格を取ろうとしている。多くの中国人がビザの関係で行政書士にお世話になっているらしい。年に2回の忙しいピークがあるらしく、その時にバッと稼ぎたいらしい。真面目だけど、収入に関する執着は強い。

 

「中国はGDPが世界2位になったと言っても、貧乏人はたくさんいますよ。7億人くらいがまだ飛行機にも乗ったことがないんです。地方の若者の月収は5万から10万円程度。一方で湾岸部の大都市では100万円以上も珍しくないです」と。

 

「私は旧満州、北部出身。北部のほうが貧乏だし、高学歴は少ないです。大学に進学すれば、瀋陽に行くか、さらに南の北京や上海に行きます」

 

「20年前に上海で不動産を買った友人たちは、今は大金持ちです」

 

(久しぶりのしゃぶしゃぶ)

 

 

「ビジネスで弱肉強食は当たり前です。大量生産してコストダウンして、他社に勝つ。そして、プライス・リーダーになる。これは問題ない。しかし、中国は、大量生産して安値で市場崩壊して、他国のメーカーを倒産に追い込んでいます。これでは、中国が敵対視されるのは当たり前です」

 

「江沢民の時代には政府の悪口はある程度は許されました。しかし、今の習の悪口を言えばすぐに警察に捕まります」

 

 

(松茸とアワビの天婦羅)

 

 

「中国で最近、定年延長が発表されましたが、あれは年金の資金が不足しているからです。私は中国で年金を払っていませんから中国の年金はもらえません。日本の年金を何歳からもらえるのか。」

 

「故郷に母親が一人で住んでいます。父は私が子供の時に亡くなりました。私は一人っ子なので母の面倒を看なければいけません。以前は適当に出張にかこつけて会いに行っていましたが、今は上司が厳しい日本人なのでそれも難しくなりました。上司は〇〇(有名なメーカー)で役職定年になって転職してきました」

 

「母を日本に呼ぶのも難しいし、我々が中国に帰るべきなのか。なかなか難しいです」

 

<老人ホームのようなものはないんですか>と聞いたら

「私の故郷では、親をそういうところに入れるのは恥だという文化があるんです。子供も入れないし、親も入らない。親不孝な子供を持った親ということになってしまうのです」

 

これはきし麺。

 

 

「妻は嫉妬深いです。私が他の女性と話しているだけでも嫉妬するんです。だから大変です。内向的な性格で、日本語も苦手です。絵を描くのが好きで、今は浅草で似顔絵を描いています。似ている絵ではなくて、少しふざけてデフォルメした絵です」

 

スマホで「こんな絵です」と見せてもらいました。

 

 

 

 

すごいですよね。もちろん、プロです。

 

「時間がかかるとお客さんは嫌がるので、10分程度で描くんですよ」

 

最後はアイスクリームが出ました。

 

彼は飲むのも食べるのも控えめで、私が主に食べました。

お腹いっぱい。彼が私から会社の情報を盗み出そうということは一切なかった。私へのヘッドハンティングもなかったチュー ただ単に、旧交を温めましょうということだったみたいです。3時間の会食での会話で、私も徐々に彼のことを思い出しました。それにしても、彼はエネルギッシュだ。3時間、延々と話しました。

 

 

私が初めて中国に行ったのは1995年頃の1月末。すごく寒かった。北京経由で遼寧省の瀋陽に行ったんです。当時、瀋陽ではまだ蒸気機関車が走っていました。

「もう30年も前のこと。随分と変わったんでしょうね」

と言うと

「いえいえ、北部はあんまり変わっていないですよ」

と。

 

 

昨日は寒いくらいで、私は長袖のYシャツにジャケット姿で出かけました。雨も降りました。

 

 

我々はどうしても「アメリカ人は・・・」とか「中国人は・・・」とか、ついovergeneralization(十把一絡げに)してしまいますが、実際にアメリカ人、中国人に会って話すと、皆さん、人ぞれぞれです。当たり前のことなのでしょうけど、ついイメージが先入観となっています。

 

どこの国の人に限らず、皆、それぞれの人生を一生懸命生きているのだなぁと思います。

 

Imagine all the people living for today

Imagine there's no countries

It isn't hard to do

Nothing to kill or die for

 

 

Sさん、いい夜をありがとう!

しゃぶしゃぶご馳走様。