いつもながらの脈絡のない文章です。

 

昨夜は久しぶりに夢を見た。目の前でどんどんと子猫が生まれてきて、その子猫たちがあっという間に成長していくのです。速い!どうしよう!?と思う間もなく目が覚めました。夢はいつも不思議です。

 

今日は在宅勤務。最近あまり会社には行っていませんが、あちこちでいろいろな人と話をして、しみじみと「人生」を感じています。

 

 

先日、カラオケ居酒屋でテーブル席の70代後半の人が軍歌を歌ったんです。そしたら、その歌が終わった後でカウンターに座っていた男性が立ち上がり、「皆さん、私は昭和20年8月15日に満州で生まれたんです。両親が私を連れて命からがら日本へ帰ってきました。船で舞鶴に戻ってきたんです」と。

 

さらに満州生まれのその隣には昭和19年生まれの男性がにこやかに座ってお酒を飲んでいました。この人の生まれはどこか知りませんが、生まれた時には日本中がB29の爆撃を受けていたのですよね。B29は長距離飛行が可能な爆撃機。サイパン陥落で米軍は、サイパンからB29を飛ばして、昭和19年に日本への爆撃を開始した。原爆を落としたのもB29だ。彼が、物心ついたころは、周囲は廃墟だった。

 

昭和19年生まれなんて聞くと「ああ、戦中か。随分昔だな」と思いますが、考えてみたら私の父は昭和2年(1927年)生まれ、母は昭和9年(1934年)生まれだった。戦前派だった。そんなことは両親の生前は考えなかったのだけど。父がもし生きていれば今97歳。1945年の終戦時、彼は18歳だった。ぎりぎり戦争に行かずに済んだのでしょう。父が特攻などに召集されて出撃していれば、今、私はこうして存在はしていない。

 

そもそも父は広島生まれなんです。時計屋の息子だった。7人兄弟姉妹の末っ子。当時時計屋は繁盛していて、祖父は知人の保証人になったりもしていたんだけど、1929年に世界大恐慌が起こって大変なことになった。知人は倒産し、支払い不能になり、父の両親は子供たちを連れて夜逃げして、横浜まで逃げ来たらしい。だけど、もし、そういうことがなく、ずっと広島市内に住んでいたら、やはりその後の原爆投下で、今の私は存在していなかったことになる。

 

今、少子高齢化で、若者世代にすると老人たちへの年金負担が重くて、「年寄りなんか、みんな死んじゃえばいいのに!」と思ってい人もいるみたいだ。気持ちはわかる。しかし、今の日本をここまで発展させてきたのは、これら老人なのだ。よって、極めて「恩知らず」の考えと言うことになる。なかなか他人から受けた恩って、理解するには時間がかかる。直接的な親切はわかりやすいけど、親の恩だとか、恩師の恩とか、人生レベルとなってくると、わかってくるのはかなり後だ。

 

 

 

テニス仲間のUさん(53歳)は、真っ黒に日焼けしてナイスガイ。マラソンも走るし、テニスもやる。酒は強いし、歌も上手い。鹿児島出身。そんな彼から先日、聞いたのは、

「高校時代は母と二人暮らしでした。父は東京で単身赴任だった。私は鹿児島の高校を卒業して、上京して、父とずっと暮らしていたんです。大学時代もその後も。炊事洗濯はすべて私の仕事でした。だから、料理だって普通にできますよ。鹿児島は上下関係が非常に厳しくて、私が父に逆らうなんて絶対無理でした。父は大酒飲みで、口も悪くて大変でした」と。

 

彼は父の単身赴任終了で、やっと一人になれたようです。そして結婚。でも、確かになんでも親切に器用にやってくれるので、皆が助かっています。「なんでも」っていうのは、パソコン、ネット関係を始め、様々な連絡、コート予約、居酒屋予約、その他イベント企画など。彼のお父さんは怖かったかもしれないけど、そのおかげで息子は立派に育っている。彼は小さな商社の取締役です。ときどきフランス、スペイン、イタリアあたりに出張している。

 

 

テニス仲間のSさん59歳は、コンピューター・システムの構築?のような仕事。山形出身。今まで、ずっと長期出張の連続だったようです。大体、6か月くらいの出張が標準で、日本全国あちこちに行って来たらしい。だから、結婚しても、子供が出来ても、いつも父親は家庭には不在だった。とても温厚な人ですけど、それ以上に過去の空白を埋めるように奥さんや娘さんには優しくしているようです。「嫁」や「娘」が彼のボスのような感じ。というか、奥さんにも娘さんにも愛されているようで、素晴らしい。

「長期出張中、現地妻もいたんじゃないですか?」なんて聞いたりもしたんですが、「毎日夜9時ころまで仕事してましたから、それどころじゃなかったです」と。

 

 

 

先日、ゴルフを一緒にやったKさん61歳が、私に聞きました。

「初対面でこんな話は失礼ですけど、奥さんと二人の時間が長いと困ることはないですか? 私は妻が家庭科の教師で、あまり忙しくないのか、結構家にいるんです。私もフルに働いていないので、結構、一緒にいる時間が長い。家事も分担してやっているんですけど、妻がいろいろとうるさいんです」と。

私が「学校の先生っていうのは、いつも相手にしているのが生徒なんで、ついつい上から目線でしゃべっちゃうんですよね。口調もそうなるみたい」

と言ったら

「そうなんですよ。それだけじゃなくて、採点したがるんですよ。勘弁して欲しいなぁって感じです」

「先生は採点するのも仕事ですからね」と私。

 

 

 

昨日一緒にゴルフをしたT子65歳とは数年間、家が近所だったことがある。歩いて30秒くらい。彼女の母親は床屋をやっていて、ちょうど私が学生時代、そこで髪を刈ってもらっていました。もう45年も前のことですけど。

昨日、私がT子に「お母さん、元気?」と聞いたら

「元気、元気。かなりボケてきちゃったけど」

「何歳になるんだっけ?」

「88歳。この間、米寿のお祝いをやったの」

「そうか」

「いろいろなことを忘れちゃうんだけど、ダー君のことは今でも覚えているのよ」

「へえ」

「今日もダー君とゴルフするのって言ったら、あらそう、よろしくねって」

 

T子のお母さんの記憶の中では、いまでも私は二十歳の青年だろう。私の知っているT子のお母さんもまだ43歳だ。

 

 

 

 

こちらは昨日のゴルフ場で買ったボール・マーカー。

2個買って、1個はT子にあげた。

 

 

 

昨日使った私のパター。

 

 

 

どこかでぶつけて、フェースが凹んでしまい、補修用パテで埋めています。

打つときには、ここに当たらないようにしていますが、微妙です。

だめですよね、こんなパターでは。

 

 

 

 

あと1本は、メンバーコースに置いてあります。

また、もう1本あるんですが、古くてグリップがボロボロ。

 

新しいパター、買う必要がありそうです。