31日の夜。
除夜の鐘月に行きました~。
上の画像は、おしるこだったんですけど、食べちゃいました。
それと、赤大根のゆずの酢づけです。めっちゃ、おいしいんで、レシピ
get!しました。この、大根着色してないんで、赤いんですよ。
いつも、ダルクを支援してくれている方のご実家のお寺なんですが、
かれこれ、5年ぐらい、除夜の鐘つきは、お世話になってます。
普段は、田舎料理などを教わったり、色んな宮崎県内の事を教
えて下さっています。
王楽寺(おうらくじ)とは、宗派が天台宗(てんだいしゅう)
とであり、御開帳という国宝があるお寺でもあるのです。
なんとも、33年に1度、貴重な盛大なお祭りだったらしいです。
その本堂を本来は、開きますが、重要文化時になってから1年
に一度開く事になったらしいのです。
私が、58年生まれで、その西暦が、お賽銭箱に明記されてて
仲間が、知らせてくれたので、折角なので、写メを撮りました。
と、いことで、私が33歳の時に、盛大にお祝いなわけです。
絶対に行こうと思ってます!
下記は、お寺の詳細を載せましたので、読んでみてくださいね~。
宮崎市大字瓜生野の高台に在り竹篠山西方院王楽寺と称す。
天台宗比叡山延暦寺の末寺で天台宗の開祖伝教大師の開山
と伝えられるが一説には養老年間の創建とも伝われ千古の歴史
を有する界隈きっての古刹である。
竹篠山は天孫瓊瓊杵尊の御子彦火火出見尊御誕生の地と伝え
られ山上には尊ゆかりの高屋山陵(通称峯原古墳)を始め山腹に
は多くの横穴古墳が散在している歴史と伝説に富む由緒ある霊山
である。山の眺望豊けく眼下に大淀川、日向灘、宮崎市街を一望に
収めることが出来る。
日向神代史には「天孫瓊瓊杵尊、笠狭の宮に至りし時、この地朝
日直射し、夕日の照る国、正に王道楽土の地なりと宜べ給えり」とあ
り、その故事に因んで王楽寺と名付けたと伝えられている。
王楽寺は山嶽仏教の據点として又修験道の本山として栄え12支
院を擁していた。現在は地区民の管理となっているが久保観音堂、
竹原田薬師堂、平松弥勒堂は王楽寺の境外仏堂であった。こうして
竹篠山は王楽寺を中心に一山をなし一大伽藍の様相を呈していたが
慶長5年宮崎城の落城と共に衰微し今は王楽寺を残すのみである。
宮崎城は谷を隔て、王楽寺と指呼の間に在り当然王楽寺との交流
も深く天正8年宮崎城主となった上井覚兼の日記には竹篠山の西方
院、大門坊、本坊等に足繁く訪ね歌に、香に、又は酒肴談議に耽った
ことが記されている。
永い歴史の間に王楽寺は幾多の変遷を重ねてきている。文政13年
7月朔日大火災で焼失、明治4年12月27日廃仏毀釈の法難で廃寺、
明治16年12月24日再興され今日に至っている。
然し本尊薬師如来、日光菩薩、月光菩薩の三尊はいささかの毀損も
無し今向燦然として慈光に輝いている。(王楽寺のパンフレットより)

