本光寺住職のダラブログ

これからのお寺は変わらなければ。「人間ダラといわれて一人前」を掲げる住職の、御門徒さんとのふれあいブログ、略して「ダラブロ」


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 今年の3月27日、ドイツのカウフボイレン・マルティンスフィンケン合唱団のコンサートが本光寺の本堂で開かれました。男女30人のこの混声合唱団のハーモニーは聴いている者をうっとりとさせるほどすばらしいものでした。

賛美歌1

 これが何故に寺で、というと、彼らがあえて場所を日本の寺の本堂という木造建築の下でしたかったのだそうです。私は実際その場に居て、賛美歌やドイツの牧歌曲などを聴いていても、寺だからだという違和感は全くなく、いや、それどころか返って古い建物と歌声が心地よい調和をもたらして呉れました。恐らく、本堂を満堂に埋め尽くした多くの人たちも、同様の心境だったのではないでしょうか。

賛美歌

 ところが、この日の演奏会の広告チラシを事前に見た一部の人たちの間で「寺で賛美歌とは、如何なものか」と、眉をしかめている人がいたようなのです。事実、寺にも匿名の人からそのような趣旨の電話があったくらいです。

 ところで、キリスト教といえば賛美歌ですが、真宗にも仏教讃歌というものがあります。これは西本願寺第22代門主鏡如上人が大正時代に賛美歌を真似た宗教曲をいち早く儀式に取り入れたのが始まりで、以来、今日では真宗大谷派でも数多くの仏教讃歌が作られ愛唱されています。また、従来のお経の節にしても、大谷派では基になったものが天台声明ともいわれ、これまた、6、7世紀のローマ・カトリック教会のグレゴリオ聖歌と通ずるものを感じさせてくれます。このグレゴリオ聖歌は一般的な賛美歌のイメージとは違い、単声で無伴奏の、素朴な原始的な趣の歌なのです。だから、単調なお経と似ている点もあって、もしかしたら真宗声明のルーツを辿ればグレゴリオ聖歌に行き着くのかも知れません。

 話は変わりますが、近頃人からよく「葬式などで真宗の坊主らのお経は不協和音のようで、聞きづらい」と言われます。確かに、私も時折余所の坊さんと一緒に勤める時など、相手が音痴なのか音が合わなくて、とてもやり辛いことがあります。それに、今日の葬式では読経の声と司会者の焼香の呼び出しの大きな声が入り混じり、もうじっくりとお経の響きに浸る雰囲気ではなくなりました。その上、多くの会葬者は呼び出される我が名の確認に余念がなく、自分の焼香が終われば、隣の者とコソコソと私語を交わすといった始末です。葬式は立派な音楽法要の筈なのにね。

 今、ふと思ったのですが、例えば、キリスト教会での葬式の最中、不揃いな声で賛美歌を歌ったり、また、仏式のように司会者が会葬者の名前の呼び出しをすることなど許されるのでしょうか。

住職の口癖 一旦身に付けた声明と作法は、もう人は奪えない。

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