自分の事はさておき | 本光寺住職のダラブログ

本光寺住職のダラブログ

これからのお寺は変わらなければ。「人間ダラといわれて一人前」を掲げる住職の、御門徒さんとのふれあいブログ、略して「ダラブロ」

 今年の夏は毎日うだるような暑さが続き、外出するにも億劫になるくらいです。こう暑いと我々が門徒宅へお参りに行っても、大概の家には仏間にクーラーが無く、然も我々の服装は和服なので、その度毎に汗だくになってしまいます。
殊にお葬式の時などは七條袈裟といって厚い毛布のような物をきつく体に巻きつけて、何本もの紐で雁字がらめに縛られている訳ですから、勤行中は汗が顔や頭から玉汗となって流れます。

 以前、このように汗しぶってお葬式を勤めていましたら、私の座っている真横辺りから心地よい風が送られてくるのです。私はそれが何かと、横目でチラリと見ると、一人の知らない婆さんが私の直ぐ脇まで来て、「お大層じゃ、お大層じゃ~」と小声でつぶやきながら自分の小さな扇子で私の顔の辺りを煽ってくれているじゃないですか。私はこうゆうの弱いんですよね。でも、私は何となく照れ臭いながらもそのかすかな、その微風がその時とても有難かったし、その婆さんの気遣いに胸が詰まる思いでした。

 しかし、このようなことは稀な話で、その反対に或るお葬式では私が曲録(きょくろく:導師専用の朱塗りの椅子)に座ると、斜め前に私たちに向けて扇風機が廻っています。<中々ここの人はよく気が付くな。これは有難い>と、感心していると、にわかにそこへ何者かが平然とその扇風機を自分の座っている場所に持ち運んでいきます。<えーい、なんて余計なことを!>と心の中で叫んでも、到底相手には気付く筈もありません。ここは我慢だと自分に言い聞かせながら諦めていると、後の方で「こっちにも風を廻せま」と、声が聞こえます。どうも私を始めみんなで、‘風’の取り合いをしていたようです。

 さて、今回のテーマで私にとって忘れられない人物がいます。名を竹内鉄孝といって、年齢は私と約40歳違いでした。話すと、べらんめえ口調で威勢がよく多少荒っぽかったが、さっぱりとした気性の人でした。長年、大林組で隧道工事専門に仕事をしていた経歴を活かし昭和63年の会館建設の折も建設実行委員長を務めてもらい、凡そ1年の工事期間、ほぼ毎日寺に通い、時には何日も寺で寝泊りしてまで、丸で現場監督のようでした。彼はよく「ワシは珪肺病だから、肺炎になったらお陀仏なんじゃ」と言っていましたが、皮肉にもこの工事が無事完成した半年後、肺炎を患い亡くなりました。爾来、私が無理をさせて、私が死なせてしまったように思えてならず、毎年欠かさず旧盆の14日早朝、家族で墓参りをして、墓前で一言「竹内さん、ご免ね」と言って詫びることにしています。

住職の口癖  住職が私腹を肥やすと、寺は滅びる。

バナー
人気blogランキングに参加しています、クリックお願いします。