住職は24時間勤務 | 本光寺住職のダラブログ

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これからのお寺は変わらなければ。「人間ダラといわれて一人前」を掲げる住職の、御門徒さんとのふれあいブログ、略して「ダラブロ」

 住職という字は、寺に住む職業とも読めるので、門徒にとっていざと云う時に住職が寺に居ないのでは様になりません。それで、住職は寺の管理人のようなものだと、私は思っております。これは性分なのですかね、この春にも、北陸大谷高校の空手部の生徒が東京武道館で全日本選手権大会に出場するというので、居ても立ってもおれず深夜に車で応援に出掛け、その日の晩遅くに帰って来るといった始末です。どうしても、私は何日も寺を空けることができないのです。寺での24時間は、仕事とも云えるし、また生活そのものとも云えます。

ところで、私が寺にいて一番心配なことは火事です。この20年間に近所で火事騒ぎが再三あって、その度に火事の恐ろしさを経験しました。その中で、私が最も肝をつぶしたものに、平成2年4月8日午前1時過ぎに、寺に隣接する民家4軒が焼失する火事がありました。出火時、寺の隣の病院から聞こえる火災報知機のけたたましい音に目が覚め、障子の外が異状に明るいことに気が付き、障子を開けて外を見ると、その病院の隣の家から火の手が上がっているではないですか。強い南風(後の報道では風速20mだったそうですが)に煽られて、赤い火の粉が暗い空に、それも本堂の屋根の上まで届く程に高く舞って、寺全体に降り注いでいるのです。
梶
私は直ぐに外に飛び出し、女房は私の両親の居る寝室に走りました。しかし、その時には、まだ消防車のサイレンの音が聞こえていませんでしたので、境内に車が入れるようにと、先ず、寺の裏門の扉を開けようと南京錠に鍵を挿そうとするのですが、慌てていて中々入らないのです。でも、何とか開けて、その後出火した家の一番近くの寺の消火栓ボックスから口径20ミリのホースを引っ張り出し、筒先が跳ね回らないよう、ツツジの木に挟み、起動ボタンを押し放水を始めました。私はその時の異様な明るさを今でも忘れられません。
家事
まるで火の粉がぼた雪のように降り注いで、丸でライトを浴びているような明るさでした。放水しながら「もう駄目だ。寺が焼ける。これじゃ、きっと焼けて仕舞う。わしの代でこの寺が無くなる。ああ、早く、助けてくれ!」と、私は心中叫んでいました。その時でした。幾筋もの放水が見えたのは。それを見て「あっ、助かった!」と、思ったと同時に、一瞬にして回り一面が霧のように真っ白になりました。今、思い出しても、何台も来たであろう消防車のサイレンの音さえ記憶に全くない位ですから、余程動転していたのでしょう。
でも、もしこの日の晩に私が寺に居なかったなら、と思うとゾッとしてしまいます。

住職の口癖  説教ができても、自分の言葉で話す人は、案外と少ない。

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