おじいちゃんと呼ばれて | 本光寺住職のダラブログ

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これからのお寺は変わらなければ。「人間ダラといわれて一人前」を掲げる住職の、御門徒さんとのふれあいブログ、略して「ダラブロ」

 昨年の秋、大谷幼稚園 の運動会に行った時、ここの幼稚園に通っている子供の父親と木陰で話をしていたら、そこに、父母会の役員らしき女性が駆け寄って来て、「これから、おじいちゃんの競技が始まりますから、どうぞ、参加して下さい」と言うのです。どうも、おじいちゃんとは私のことらしい。<まさか、私の外見はおじいちゃんに見られるような、風貌なのだろうか>と、それは正直いって受け難い言葉でした。
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自分では、私もまだまだ新たに子供の一人や二人は持てると思っていましたので、何とも寂しい気持でした。

私の身体は知らず知らずのうちに、今も着々と老化が進んでいるのでしょうね。老化と云えば、この頃めっきり物忘れが甚だしくなって、今思い付いたことが数秒後には忘れているのです。いつか、電話中にメモを取ったその紙を何処に置いたのかを忘れ、女房に「何処へやった!」と女房の所為にして、こんな些細なことで口喧嘩をする始末です。
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ところで、先達て、今更ながら子供の記憶力の優れていることに驚かされたことがありました。それは室山さんという家にお参りに行った時のこと。玄関に入ると、子供が元気な声ではしゃいでいる様子。この家には保育園に通っている女の子が三人いて、私が座敷に居ても駆け回ったり、転げまわったりしてはしゃいでいます。おばあちゃんが「ほれ、ほれ、静かになさい」と言っても収まりません。

 それでも、私はこの騒がしい中、勤め始めることにしました。「帰命無量寿如来」と称えると、なんと、この子供たちが大きな声を上げて「ナムプカチギコ…」と私に合わせてついてくるではありませんか。それも座ってではなく、相変わらず走り回りながら、然も、本も見ている気配もありません。到頭、この正信偈の1句7字、120句を最後まで、丸で歌を歌うように称えるのです。私はびっくりしました。

勤めが終わって「皆、すごいね。誰に教わったの?」と聞くと、三人が口を揃えて「おばあちゃん!」と答えました。これを脇で聞いていたおばあちゃんが得意気に「私は毎日この子たちと一緒に正信偈さまを上げとるもんやから、いつの間にか覚えてしまって」と嬉しそうです。

私は物忘れが甚だしくなり、頭の中が鮮明で無くなってみて、私も子供の頃はあの子たちと同様の脳みそが備わって活発に働いていたであろうと思うと、その恩恵の不思議さを痛感します。

住職の口癖  声明のことを、どんなに講釈できても、声が出なきゃ話にならん。

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