ここ数年、

誕生日のブログは

感傷的な内容だった

気がするので

今回はやめようと思います。

 

だから、心——に就いて一言。

 

心が綺麗だとか、汚いだとか

よくいいますが、

そういうものは、

確かにある気がします。

 

でも心が綺麗か否かは、

その人を計る上で

さほど

重要ではないとも、思います。

 

大事なのは

その人が持っているロジック(論理)です。

 

そしてそのロジックが

秀逸かデタラメかも

実はどうだってよく

 

重視すべきは、

どれだけロジックが美しいか

否かなのだと思います。

 

心の綺麗さ、汚さは

ほぼ先天的なもので

——美形かブスかと同じように

自分でどうにもやれません。

 

されど、ロジックを美しくするか

美しくしないかは、

覚悟と采配で

どうとでもやれるのだと思います。

 

或いは、

美しくするべきか

ロジックの美醜は

どうでもいいから

効率よく

生き抜くのを優先するか——を

決定すること。

 

仮令、稚拙なロジックであれ

ロジックの美しさを尊重する人が

好きです。

 

なんだかんだ綺麗事を言ったって

現実問題、生きていく為には……

と、生活を尊重する

大義名分を用い、

ロジックの身だしなみが

おろそかになるは仕方なき

と主張する人は嫌いです。

 

僕の考えは間違っているのかも

しれないのですが、

僕は美しいロジックを

持っていたいですし、

それにしか関心がありません。

 

男性の中には、

狙った女性とセックス出来る

公算が高いなら

土下座でも何でもする

とうそぶく種類の人達がいます。

 

吐きそうになります。

 

卑しいとは思いませんが、

そのロジックを

クレバーなものと

誇っていることに

嘔吐感を抱くのです。

 

自分だけの

ものとして抱えているなら

構わないですが

自分以外の誰かにも

適応させようとするなら、

反発せずにはおれません。

 

思想とか哲学という

大袈裟なもの、

スタイルという

垢抜けたものでも

ないでしょうが、

ロジックは

その人の品性を決定する

ものでしょうし、

僕は自分のそれを大事にするよう

貴方のそれに

美しさを憶えるならば

大事に扱いたいです。

 

こんなことを書くのですし、

恐らく僕の心は汚いのです。

 

でも……そこそこに

僕のロジックは綺麗だと自負します。

屁理屈と疎んじられようと

それを美しいと感じるなら

屁理屈を通します。

 

貴方の屁理屈だって通します。

 

セックスの為に

土下座をする男性は、

「上の口は嫌がっていても

下の口は正直だぜ」と

しょーもないセリフを口にします。

 

それならば

人体は60%体液であるので

分泌物は何の確信にもならぬ

と、言い張ります。

 

ロジックは簡単に変容したり

捨てられるものでもあります。

僕も何度も曲げました。

でもそれを所持、整えるのを

無理があるので

止めねばならぬ訳ではない。

 

釣り合わぬので身の丈に合った

ロジックを——と妥協するのは

ブスなので

フリルは控えると同じ道理になる。

 

悲しくなるくらいにどんなフリルも

似合わなくたって

この世界には何処かに

そこそこ似合うフリルがあるかもしれない。

ロジックの数と同じだけ

フリルの種類もある筈です。

 

2021.01.31 T.Nova et