前提の違い、背景の違い | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

前提の違い、背景の違い

「もったいない」という思いが、支配的な中、
あえて、「捨てる」ことに焦点を当てている断捨離。

「今、私たちのできること」キャンペーンが圧倒的な中、
あえて、「何もしない選択」なんて、メルマガに書く私。
<前号ご参照下さい>

どうも、あまのじゃくらしい。

そして、このあまのじゃくの意見に、
やはり、真逆の感想がそれぞれ寄せられる。

なんて、陳腐な意見!」と、お叱りも頂戴するし、
一方、こんなコメントを下さる方も。

---------------------(ここから)

「今朝、配信されたメルマガの「何もしないという選択」に、
いたく共感いたしました。
今、日本は「自分にできることを精一杯」を合言葉のように、
支援の輪が広がっています。
そんな動きの中、
誤解を恐れずに「何もしない」を発言する勇気に
まず拍手を送りたい。
この復興には長い時間が掛かります。
支援を長く続けることこそが大切です。
支援の波に乗り遅れまいと焦って行動し、
安易な一体感に安心したり自己満足で終わらせない為に、
今一度自分自身の心を断捨離する必要がありますね。
有難うございました。」

(ここまで)---------------------

そして、この「反発」と「共感」という、
真逆な反応を見るたびに、いつも思う。

人は、同じモノ<あるいは、コト・ヒト>を
見ているにもかかわらず、
どうして、こんなふうに、
正反対の反応がおきるものなのかと。

我が著作『断捨離』のブックレビューもそう。
方や、絶賛、方や、酷評。
そう、同じ、本を読んでいるにもかかわらず、
まるで、違う本を読んでいるかのよう。

だとしたら、私たちは、自身の「前提と背景」を、
実は、それぞれが、それぞれに
映し出しているだけなのではないのかな。

対象となったモノ・コト・ヒト・・・
自分がどんな反応、感想を持つのか、
賛成なのか反対なのか、気に入ったのか、気に入らないのか、
価値を見出すのか、無価値と結論づけるのか。

対象物を判断しているようで、
実は、自分を判定しているのですね、知らず知らず。

そうであるならば、私たちは、他者の表面上の反応に拘泥することなく、
人それぞれがもつ「前提と背景」に、想像力を働かせる方が、面白い。

そう、思うのだけど、いかがでしょう。

・・・と、この思いにも、いろんな反応があるのでしょうね、きっと。