午後、リビングで夫とテレビを観ていたら、急にガタガタと家が揺れだした。


地震! ずいぶん大きいわ、わたしはテーブルの下にもぐった。


しばらくしたら揺れが少し収まった。 ガラス越しに外を見ると、向かいのマンションから若い男性が、


揺れるたびに外へ出てきていた。 何度も何度も揺れが繰り返されたのだ。


我が家のすぐ外に出ると、孫が通う小学校が見える。


学校はどうなったかと、その方向を見ると、運動場の真ん中に全員集まっている様子。


やがて、ぼつぼつと子供を迎えに行く保護者が我が家の前を通るので、夫が迎えに行った。


孫は、上靴だけを持って帰ってきた。 ランドセルなどは教室に置いたままだった。


それからずっとテレビをつけていた。


夕方のニュースで、宮城県の海岸に百以上の遺体が浮かんでいるようだと言う。


え? 嘘でしょ。そんなこと、ありえない。 何かと見間違えてるのよね。 そう思った。


でもその数字は、実際に起こったことの、何百分の一だったのだ。


被害を受けなかったわたしたちも、計画停電を経験したり、スーパーに物が不足したり、


多かれ少なかれ、影響はあった。


神戸に住む高校時代の友人から飲料水を送ってきた。我が家も被害を受けたと思ってのこと。


ありがたいと素直に思い、涙が出た。


友人の1人が石巻の出身なので、様子を聞きたかったが、連絡をする勇気を持てなかった。


実家は高台にあって、津波の被害は受けなかったが、家の中がメチャクチャになり、


避難所と家を行ったりきたりしていたそう。そんなことも、あとから聞いた。


美しいリアス式の海岸線の、かつては集落があったところが、今は更地が広がるばかりと言う。


あの大震災から3年。 もう3年か、まだ3年か。 どちらとも言えるし、どちらとも言えない。


3年の間に、わたしの気の持ち方とか、価値観とか、物に対するこだわりとか、


そういったものが少しでも変わっていれば、震災によるところが大きいと思う。 


今後もずっと、わたしは被災した街や人々から、気持ちを離すことなどできないにちがいない。


明日は祈りの日。