要するに知的なぞかけをやりたいのだ。

 

なぞかけ自体ももともとかなりロジカルなものだ。

音と音が一致した時、太古の昔から人は快感を覚えてきたのだろう。

「太鼓だけに音が決め手」な。

 

人間自体元来のサプライズ好きという存在だから

かなり昔から駄洒落はかなり重宝されてきた。

西洋でも「闇夜に騎士が立っている」という

nightとknightの笑いは好まれたと本で読んだことがあるけど、

これは人間なんてみんな同じという証左だろう。

 

飛躍するがそこから平和の可能性も感じてしまう。

 

ロジカルな笑いは

「なんだ人間はみんな一緒だよね」

という共感を呼ぶものと思いたい。


人は一致するものに、スタイリッシュさを感じるのだろう。

「なぞかけ」も「モノマネ」も笑いの根本は同じだ。

 

俺が籠池さんに似ていると言われているのも含めて

音もフォルムも似たもの同士を求めるのは

パズルを解くような欠落部分の一致につながる爽快感があるのかもしれない。

 

洋の東西を問わないのだ。

肉じゃがもポトフも似たもの同士、いや煮たもの同士か。
 

音ではなく、

そのさらなるステージともいうべき思考的相似形を見出すと

これまた人はもっとときめくものだ。

 

昨日のぜんじろうさんとの会話にはそれがあった。

まるで日頃の考え方を披瀝する「答え合わせ」のようなひとときだった。

 

要するに「知的なぞかけ」をやりたいのだ。

 

キャラで笑わせようとする笑いは「感情」で、

ロジカルな笑いは「理性」だと思う。

 

極論すれば片や「戦争」、片や「平和」だ。

 

そんな中で談志が落語人生の後半から

「イリュージョン」

という方向性を明示し、

落語のイリュージョン化を展開したのは、

やはり意味があったはずだ。

 

そして最後に

「江戸の風」

と言い残して去って行った意味をいま噛みしめつつ、

今日もPHP文庫の原稿を書く。

 

もっと語りたかったな。

 

しかし、頭のいい人はおしなべて男女に限らずセクシーだ。

 

 

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