4年前出した「絵手紙本」は、
長野のローカルエリアでの販売がほぼ中心だったせいか、
中央マスコミからは無反応で、あっても冷淡な対応だった。
唯一志の輔師匠だけ、すぐ電話で、
「お前。面白いよ。これ!
俺は地井武男さんに絵手紙を勧められていたけど、そっちの方はお前に譲るわ。
極めろよ」
とのことだった。
月一の長野のラジオの電話出演のコーナーも、
一度終了後即電話を寄越して下さったっけ。
「いま聞いてたぞ!面白い着眼点だな」と。
その前日松本での独演会でこれからゴルフに向かう車中からだった。
ゴルフ狂なのだ。
「どんなローカルの仕事でも、誰が聴いているかわからないが、
必ず誰かは聴いてくれている」。
ずっと以来肝に銘じている。
きっと誰かは見ているんだ。
ここやらTwitterでくだらないことを書くのもきっと誰かが見ていると信じているから。
後ろ盾など何もない自分にとっての「貧者の核兵器」みたいなものか。
本当の出会いはこれからだ。
やっと運が上がって来た。
「大事なことはすべて立川談志に教わった」を出して以来か。
不遇の時って大事だなあ。
あの時があるから今がある。
覚悟は不遇の時にしか固められない。
今度のNHKラジオ第二も、「屋外生落語」ではありませんからご心配なく。
清原も、ベッキーも、SMAPも、「きっと誰かが見ていた」からこうなったのだし、
今後もさらにその一挙手一投足を「きっと誰かが見ている」のだ。
「きっと誰かが見ている」。
これは犯罪への抑止力でもあり、未来の可能性を予感させもする素晴らしい言葉だ。
天下の大師匠 談志 の
無茶振りに耐えつづけた9年半で手に入れた、
”笑う”コミュニケーション術