皆さん、インドの大乗仏教と聞くと、
なんかこう——大河ドラマの向こう側で、
偉い僧侶たちが眉間に皺寄せて難しい巻物読んでる……
そんな光景が浮かびません?
ところがどっこい。
今回の主役・龍樹菩薩(ナーガールジュナ)、この人は違う。
インド発の“伝説級マジシャン兼論破王”
くらいのスケールなんです。
●龍樹は「西をほめて念仏すすめた人」
本師龍樹菩薩は
智度十住毘婆娑等
つくりておおく西をほめ
すすめて念仏せしめたり
親鸞聖人はこう歌います。
「西をほめ、念仏すすめたり」
インドで“西をほめる”と言えば、そりゃもう“西方極楽”のこと。
つまり龍樹菩薩、インドの時代にすでに、「極楽往生はええでぇ〜!」と宣伝してたんです。
「インドで最初に“阿弥陀さん推し”になったインフルエンサー」
みたいなもん。
●釈迦の“公式予告”つきの人物
南天竺に比丘あらん
龍樹菩薩となづくべし
有無の邪見を破すべしと
世尊はかねてときたまう
和讃に出てきます。
「龍樹菩薩あらん。
有無の邪見を破るべし、
と釈尊が予告してた」
「釈迦さんが、後輩に“未来のスター”の伏線を張ってた」
って話。
どんだけ期待されてたんや、龍樹。
●龍樹が作ったのは「難行と易行の地図」
本師龍樹菩薩は
大乗無上の法をとき
歓喜地を証してぞ
ひとえに念仏すすめける
龍樹大士世にいでて
難行易行のみちおしえ
流転輪回のわれらをば
弘誓のふねにのせたまう
龍樹は、「苦行や瞑想で頑張り抜く“難行”」と「仏の力に任せる“易行”」を明確に分けました。
そして“易行=念仏”をすすめた。
「しんどい山道を汗だくで登るんやなくて、阿弥陀さんの観光バスに乗りや!エアコンもゴザ座席も完備やで!」って案内したようなもの。
それが和讃の
「弘誓のふねにのせたまう」
という一行に凝縮されてます。
●龍樹の教えと“本願を心にかける”
本師龍樹菩薩の
おしえをつたえきかんひと
本願こころにかけしめて
つねに弥陀を称すべし
親鸞聖人は言う。
「龍樹の教えを聞く人は本願を心にかけてつねに名号称すべし」
つまり、
「龍樹の結論は念仏一本。しかもその念仏は“本願”そのもの。」
「龍樹さんは世界的哲学者やのに、最後に弟子に教えたのは
“ほな、阿弥陀さん頼んどき!”
これ一本。」
……すごいシンプル!
●不退転に入る最短ルートは「名号」
不退のくらいすみやかに
えんとおもわんひとはみな
恭敬の心に執持して
弥陀の名号称すべし
和讃にはこうあります。
「不退のくらいすみやかにえんと思わば恭敬して名号称せよ」
「不退転」というのは
“もう仏になるの確定”という悟りのステータス。つまり龍樹は、
●念仏こそ最短で最大の道
●むずかしい理屈より、名号を敬って称えること
と教えた。
●龍樹が親鸞に遺した“ライン”
龍樹の思想は難解で深淵。
しかし親鸞聖人はその核心だけをつかんでおられました。それは、
「念仏は、仏が衆生を救うために起こした願いの結果であり、称える者の上に“必ず働く”」
という一点。
龍樹は「難行」の道を知り尽くしたからこそ、「易行」を本物として示した。
親鸞聖人はその系譜に立ち、
日本で“念仏一つ”を明かされた。
そして、
この和讃を読む私たちもまた、
その“救いの系譜”の中にいます。
■最後に一照より
今日も迷いの中で肩を落とすあなたへ。
龍樹菩薩はこう言っているように思えるんです。
「あんたは、阿弥陀さんに乗せられた船の中やで。落ちそうで落ちへんから、安心して座ってな」
その船が「弘誓のふね」。
あなたの念仏は、その船を動かす“エンジンの音”です。
また一緒に、次の高僧の章も歩んでいきましょう。