どうもどうも、蓮夏一照でございます。

今日のテーマは──

「安楽国土、スペック高すぎ問題」

まず結論から申し上げますと、あの浄土、

“法蔵菩薩のガチ本気モード”でできてます。

手抜きゼロ。こだわり100%。

理想郷どころか“設計主の執念”が見える世界。

これを聞くだけで、私なんか

「そら帰らせてもらわんとアカンわ……」

と膝からガクッとなるわけです。


■安楽仏土は法蔵の願力の作品や

安楽仏土の依正は
 法蔵願力のなせるなり
 天上天下にたぐいなし
 大心力を帰命せよ


まず、冒頭にこうありますな。

安楽仏土の依正は

 法蔵願力のなせるなり


これ、訳すと──「あの国はな、法蔵菩薩が“本気で作った”国やで」です。

まぁ例えばあなたが本気でカレー作る時、

出汁から取って、スパイス量って、隠し味まで調整しますわな。

法蔵菩薩はそれの“宇宙スケール版”やってはる。

天上天下にたぐいなしとまで言われるんやから、そらもう、一般住宅と姫路城ぐらい差があります。


■浄土の荘厳、釈迦さんでも「語り尽くせへん」

安楽国土の荘厳は
 釈迦無碍のみことにて
 とくともつきじとのべたもう
 無称仏を帰命せよ


安楽国土の荘厳は

 釈迦無碍のみことにて

 とくともつきじ


釈迦如来がですよ?

あの釈迦がですよ?

「いや〜、あの国の良さ、ワシでも全部言われへんわ」って言ってはる。

噺家が「この笑いは言葉で説明できへん」って言うようなもん。

そこまでの国や、ということですわ。


■「往生するのは地球人だけやない!」

已今当の往生は
 この土の衆生のみならず
 十方仏土よりきたる
 無量無数不可計なり


十方仏土よりきたる

 無量無数不可計なり


これね、めっちゃ凄いこと言ってる。

簡単に言うと──往生してくるのはこの地球の人間だけやない。十方の仏世界から、わんさか人が集まってくる。

つまり浄土は、ディズニーランドで言うたら「世界中はもちろん、他のディズニーランドからも人が来る」みたいな場所。活気しかないんですわ。


■阿弥陀の名を聞いて“ほんまや”と感じたら…

阿弥陀仏の御名をきき
 歓喜讃仰せしむれば
 功徳の宝を具足して
 一念大利無上なり


功徳の宝を具足して

 一念大利無上なり


訳すと:

「うわ、これホンマやわ…」と腑に落ちた瞬間、とてつもない徳がザザーッと自分に流れ込む。これが“一念大利”。

努力ポイントでも経験値でもありません。

聞いて喜んだだけで、徳がつく。

ここ、浄土真宗の味わい深いところ。


■火の海を越えてでも、名号を聞けば不退や

たとい大千世界に

 みてらん火をもすぎゆきて…

 仏の御名をきくひとは

 ながく不退にかなうなり


これはもう、“阿弥陀さんの人気の高さ”の譬え話。

どれほど過酷な世界でも、

どれほど火が燃えさかる環境でも、

名号を聞けば不退転──

つまり、もう絶対に後戻りせん境地に入る。「この名前聞いた瞬間、人生の行き先きまるんや」という話。


■東方の仏さえ「阿弥陀さん最高やん」と言う理由

神力無極の阿弥陀は
 無量の諸仏ほめたまう
 東方恒沙の仏国より
 無数の菩薩ゆきたまう


神力無極の阿弥陀は

 無量の諸仏ほめたまう


どんだけ仏がいても、口を揃えて「阿弥陀さんすごいわ〜」と言う。

「いや、仏ってみんな完璧ちゃうん?」

と思いきや、その仏たちが“すごい”と言うほどにすごい。

だから、「あいつはまあまあやるで」じゃなくて「いや、あれはホンマにすごい」と言われる領域なんです。


■まとめ

安楽国の全ては、法蔵菩薩の大願力の結晶。

釈迦はそれを語り尽くせず、

十方の仏はそれを讃嘆し、

菩薩たちはそこへ向かい、

凡夫はその名を聞けば喜びが起きる。

その喜びこそが、

「一念の決定」=往生の確定。

だから、阿弥陀の名を聞き、“ああ、これが私を救う願いやったんか…”と心にスッと落ちるその刹那──

すでにあなたは、正定の道を歩き出しているのです。

浄土真宗の教えは難しそうで、実はめちゃくちゃシンプル。

「阿弥陀さんの本気を聞いたら、救いが動く」

それだけなんです。