依釈段•七祖総讃
印度西天之論家 中夏日域之高僧
顕大聖興世正意 明如来本誓応機
「印度・西天の論家、中夏・日域の高僧、
大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、
機に応ぜることを明かす。」
なんや、急に仏教用語のオンパレードやないか、と思われたあなた。
安心してください。今日は難しいことを言う日じゃありません。
…いや、言いますけどね。
そのぶん、こちらでやわらかく仕上げますので。
■「昔の偉いさんは、実は“通訳さん”」
仏教の歴史を見てますとね、
インドの論師、中国の高僧、日本の名だたるお坊さん――
これがまあ、出るわ出るわ。
ただね、彼らが何してたかと言うと、
ざっくり言えば “阿弥陀さんの気持ちの通訳” なんですよ。
インドでは「龍樹、天親が翻訳」
中国では「曇鸞、道綽、善導が修正」
日本に来れば「源信、源空、そして親鸞聖人が総仕上げ」
まるでリレーですわ。
仏教界のオリンピックやったら、
この阿弥陀本願チーム、歴代金メダルです。
■「機に応ずる」って、なんやねん問題
「機に応ずる」って、ほんまに仏教らしい言葉でね。
簡単に言うと、
“相手の事情にあわせて、仏さまが対応してくれる”
ということ。
たとえるなら――
・疲れ切った人には、
阿弥陀さんが「もうええで、こっち来なさい」と肩貸してくれる。
・自力で頑張りたい人には、
「ほな頑張ってみぃ。しんどなったら迎えに行くから」と見守ってくれる。
・やさぐれてる人には、
「そのまんまでええ。わしがなんとかする」と言ってくれる。
この柔軟性。
阿弥陀仏、完全に“カウンセラー界の王”です。
■大聖興世の正意
「釈尊がこの世に出られた“まことの理由”」
それを明らかにしたのが、歴代の論師・高僧でした。
それは一言で言えば――
🔹「すべての人に本願を届けるため」
親鸞聖人は、この七高僧によって
「大聖興世の正意は弥陀の本願を勧めんとなり」
とはっきり言われます。
つまり、釈尊がこの世に現れた理由は、
- 戒律のため
- 座禅のため
- 行のため
ではなく、
🔸「阿弥陀さんの“約束”を
みんなに知らせるため」
だったと。
■仏教って、じつは“救済の一本線”
歴史を見ると複雑そうですが、
本当はめちゃくちゃシンプルです。
釈尊が種まきし、七高僧が水をやり、
親鸞が花を咲かせた。この一本の道を、
あとから見て「あー、全部つながってたんやな」と気づく。
たとえるなら――
「時代を超えたロングパスが、
最後に親鸞のところへ
通って ゴール
これが“本願念仏の歴史”というゲームですわ。
■「機に応ずる」本願とは?
如来の本誓(本願)はいつも、
- 強い人向け
- 頭の良い人向け
- 心が清らかな人向け
…ではありません。そうではなく、
◎「弱い・迷ってる・よう分からん
私向け」
これが“機に応じる”という意味。
親鸞聖人が繰り返し言われたのは、
「本願は罪悪深重のわれらのためにこそ建てられた」
という一点です。
■最後の落語締め
つまりね、阿弥陀さんの本願ってのは、
高僧たちの研究や修行で磨かれたんじゃなくて、
“どうやって迷いのど真ん中にいる私に届くか”
それだけを考えてつくられた救いなんです。
歴代の論師・高僧がやってきたのは、
その“救済の一本道”に明かりを点け続けてくれたこと。
だから、私たちはただ、
その光に足を踏み入れるだけ。
■一句でまとめると
「本願の道は、昔の偉いさんらが掃除してくれた一本道。
あとは歩くだけやで――というお誘い。」
――蓮夏一照