依釈段•七祖総讃

印度西天之論家 中夏日域之高僧
顕大聖興世正意 明如来本誓応機

「印度・西天の論家、中夏・日域の高僧、

 大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、

 機に応ぜることを明かす。」

なんや、急に仏教用語のオンパレードやないか、と思われたあなた。

安心してください。今日は難しいことを言う日じゃありません。

…いや、言いますけどね。

そのぶん、こちらでやわらかく仕上げますので。


「昔の偉いさんは、実は“通訳さん”」

仏教の歴史を見てますとね、

インドの論師、中国の高僧、日本の名だたるお坊さん――

これがまあ、出るわ出るわ。

ただね、彼らが何してたかと言うと、

ざっくり言えば “阿弥陀さんの気持ちの通訳” なんですよ。

インドでは「龍樹、天親が翻訳」

中国では「曇鸞、道綽、善導が修正」

日本に来れば「源信、源空、そして親鸞聖人が総仕上げ」

まるでリレーですわ。

仏教界のオリンピックやったら、

この阿弥陀本願チーム、歴代金メダルです。

「機に応ずる」って、なんやねん問題

「機に応ずる」って、ほんまに仏教らしい言葉でね。

簡単に言うと、

“相手の事情にあわせて、仏さまが対応してくれる”

ということ。


たとえるなら――

・疲れ切った人には、

 阿弥陀さんが「もうええで、こっち来なさい」と肩貸してくれる。

・自力で頑張りたい人には、

 「ほな頑張ってみぃ。しんどなったら迎えに行くから」と見守ってくれる。

・やさぐれてる人には、

 「そのまんまでええ。わしがなんとかする」と言ってくれる。

この柔軟性。

阿弥陀仏、完全に“カウンセラー界の王”です。

大聖興世の正意

「釈尊がこの世に出られた“まことの理由”」

それを明らかにしたのが、歴代の論師・高僧でした。

それは一言で言えば――

🔹「すべての人に本願を届けるため」


親鸞聖人は、この七高僧によって

「大聖興世の正意は弥陀の本願を勧めんとなり」


とはっきり言われます。

つまり、釈尊がこの世に現れた理由は、

  • 戒律のため
  • 座禅のため
  • 行のため

ではなく、

🔸「阿弥陀さんの“約束”を

   みんなに知らせるため」

だったと。

仏教って、じつは“救済の一本線”

歴史を見ると複雑そうですが、

本当はめちゃくちゃシンプルです。

釈尊が種まきし、七高僧が水をやり、

親鸞が花を咲かせた。この一本の道を、

あとから見て「あー、全部つながってたんやな」と気づく。

たとえるなら――

「時代を超えたロングパスが、

 最後に親鸞のところへ

 通って ゴール

これが“本願念仏の歴史”というゲームですわ。


「機に応ずる」本願とは?

如来の本誓(本願)はいつも、

  • 強い人向け
  • 頭の良い人向け
  • 心が清らかな人向け

…ではありません。そうではなく、

◎「弱い・迷ってる・よう分からん

 私向け」

これが“機に応じる”という意味。

親鸞聖人が繰り返し言われたのは、

「本願は罪悪深重のわれらのためにこそ建てられた」


という一点です。


■最後の落語締め

つまりね、阿弥陀さんの本願ってのは、

高僧たちの研究や修行で磨かれたんじゃなくて、

“どうやって迷いのど真ん中にいる私に届くか”


それだけを考えてつくられた救いなんです。

歴代の論師・高僧がやってきたのは、

その“救済の一本道”に明かりを点け続けてくれたこと。

だから、私たちはただ、

その光に足を踏み入れるだけ。


■一句でまとめると

「本願の道は、昔の偉いさんらが掃除してくれた一本道。

 あとは歩くだけやで――というお誘い。」


――蓮夏一照