依経段•釈迦章

如来所以興出世 唯説弥陀本願海
五濁悪時群生海 応信如来如実言

■【1】釈尊がこの世に来た理由、意外と一本釣り

仏法の世界ではよく

「釈尊は多くの教えを説かれた」

と言われます。

けど、親鸞聖人はズバッと言うわけです。

如来がこの世に現れはった

目的は――

ただ、阿弥陀さまの本願を

説くためや。


これ、落語流に言うと、

●弟子A

「師匠、なんでわざわざ人間界に

 来はったんで?」

●釈尊(師匠) 

「理由? 一個だけや。

 阿弥陀さんの本願、伝えに来たんや。」

●弟子A

「一個!? もっと色々あるんかと

 思てましたやん!」

……というくらい、目的が一つに絞られてる。

■【2】五濁世間? そんなん昔から“泥水のプール”みたいなもん

次の一句。


五濁悪時の群生海、

如来如実の言を信ずべし


「五濁悪時」と聞くと、“現代が最悪なんちゃう?”と錯覚しがちですが、釈尊当時からすでに“人間界は濁りがデフォルト”みたいなもんだったわけです。

落語風に言えば、

●釈尊

「いやぁ、この世は五濁真っ最中

 でねぇ。」

●弟子B

「え? 今もですか?」

●釈尊

「そら、ずっとや。」

つまり「今の世だけ悪い」のやない。

昔っから“泥水のプール”みたいな世界やった。

だから仏さんは、

「泥水の中で足バタバタしてても、沈むだけやで。

 せやから“浮き輪”渡しにきたんや。」


と言うわけです。

■【3】じゃあ、“浮き輪”とは何か

もちろん 弥陀の本願 です。

本願は、

「泳ぎを上達させて地獄回避する方法」

やなくて、溺れてる者をガバッと抱きかかえる救い。

落語で言うなら、

●釈尊

「ええか、泳ぎは教えへんで。」

●弟子C

「え? 教えないんです?」

●釈尊

「教えてる間に沈んでまうやろ。

 せやから“助けてもろて浮く”方法だけ

 言う。」

これが阿弥陀さまの本願。


■【4】如来如実の言を信ずべし

ここが法話の核心。


“如実”とは、

仏が“見たまま・感じたまま・ありのまま”を語るという意味。

つまり、

釈尊が「本願こそ救い」と

言うたら、それが事実や。

人間の推測や理屈とは別世界の

“如実の言(ことば)”や。


ということ。


親鸞聖人はこれを

「如来の直説」=救いの最終説明書

として受け止めた。

■【5】蓮夏一照のまとめ

今回のご文を一照流に要約すると――

🌟【一照的・二行まとめ】

釈尊が来た理由は、

「阿弥陀さんの本願はホンマやで」と伝えるため。


五濁まみれの世界やから、

理屈よりも如来の“ありのままの言葉”を信じよ、

という教え。

🌊【一照的・落語要約】

この世がどんだけ濁っとっても、

阿弥陀さんの本願だけは

澄みきった救いの海やで。


釈尊は、

わざわざ泥水に飛び込んで、

その海の入り口を教えに来たんや。