第15章
最近、わたしのところへ相談に来た若いお坊さんが、開口一番こう言いました。
「先生、ぼく昨日、悟った気がするんです」
はい出ました。
悟り“気がする”シリーズ。
夜中のラーメン屋で
「おれ、このまま社長になれる気がする!」
と言う若者と同じ匂いがします(笑)。
しかもその彼、続けてこう言うんですね。
「なんか…胸のあたりがスーッとして、
心が軽くなり、なんかこう…光に包まれて…
あ、これ悟ったわ、と」
いやぁ、それは多分、
お風呂上がりの血行やと思いますよ と返しておきました(笑)。
■ さて、“即身成仏”って本気で言うたらアカン話
歎異抄十五条には、まずこう書かれています。
「煩悩だらけのこの身のまま悟る」なんて、とんでもない勘違いやで。
“即身成仏”は密教の教え、
“六根清浄”は法華経の世界。
どっちも 超一流アスリートみたいな修行者の話。
いわば「オリンピック選手の筋トレ法」を
運動不足のサラリーマンが真似して
腰やるようなもの。
凡夫の私らとは、土俵が違う。
■ 真宗の悟りは「いまはじまり、来生ひらく」
じゃあ浄土真宗はどうか?
親鸞聖人はハッキリこう言う。
悟りは今生で開くんやない。
来生(浄土)で開くんや。
これが“他力往生”。
“易行”“下根のつとめ”と言われるわけです。
わたしらに“悟れる力”はない。
だから阿弥陀が手をつっこんで
丸ごと救い出してくれる。
それが「他力」。
つまり真宗の悟りは、
● 今生:信心が定まる(心命終)
● 来生:悟りが開く(身命終)
という二段構え。
“いま悟った気がする”は、
気のせい で終わって正解なのです(笑)。
■ 親鸞さんはこう言うてはる
「信心が定まるときを
待ちえてぞ、
弥陀の心光摂護して、
ながく生死をへだてける」
これは、
“信心を得た瞬間、もう六道輪廻には戻らん。
けど悟りは浄土で開くんやで”
という意味。
だから、
● 今生で悟った!
● すでに仏や!
なんて言い出すのは、
真宗から見れば 完全に思い違い なのです。
■ 落語風にたとえるとこんな感じ
船に乗れない水泳初心者がこう言う。
「船に乗らんでもええんです。
もう泳げる“気がする”んで」
ドボーン。
溺れます(笑)。
観念成就の悟りは“泳ぎ”。
真宗の救いは“船”。
阿弥陀如来の“願いの船”に乗るからこそ、
海を渡れるわけで、
自分で泳げる“気がする”のは危険なんです。
■ ⭐今夜の一照・ひと言
まとめ
真宗の悟りは
「今じゃなく、浄土でひらく」。
今は“悟る身”になるのであって、
“悟ったふり”になるんやない。
つまり、
・即身成仏はオリンピック選手の話
・真宗は、凡夫でも乗れる救いの船
・信心をいただいた瞬間から、悟りへまっすぐ進む
・ゴール(悟り)は浄土で開く
これが親鸞聖人の言われる「来生開覚」。
■ 最後に
“悟った気がする”若者には
もう一言だけ伝えました。
「悟りは“気がする”やない。
如来が“させる”んや。」
そう言うと、
「あ、わたしまだ全然悟ってませんね…」
と元気に帰っていきました。
――うん、それは悟りの第一歩(笑)。