熊さん:
「八っつぁん、顔に“お人好し”って書いてあるぞ。」
八っつぁん:
「うるせぇな……。断れねぇ性分なんだよ。人に頼まれると、つい“いいよ”って言っちまう。」
熊さん:
「で、あとで後悔するんだろ?」
八っつぁん:
「そうそう。しかも、“なんで自分ばっかり”って落ち込む。やっぱオレ、優しすぎんのかなぁ。」
熊さん:
「それ、優しいんじゃねぇ。“痛みを見逃せねぇ”だけだ。」
■ 優しい人の“弱点”
本当に優しい人は、他人の気持ちを想像しすぎる。
「これを言ったら傷つけるかな」
「断ったら悪いかな」
そうやって、気づけば自分がすり減っている。
でも、それは「弱さ」ではない。
痛みに気づける力なんです。
他人の涙に気づく人は、自分の涙にも敏感だからこそ、
世の中の冷たさが人よりも痛く感じるだけ。
■ 八っつぁん、ついに爆発
八っつぁん:
「熊さん、オレ、もう人の頼みは聞かねぇ! 今日から“冷たい八”って呼んでくれ!」
熊さん:
「いいじゃねぇか。でもな、“冷たくする”より、“あたたかさを守る”方が大事だぞ。」
八っつぁん:
「どういう意味だい?」
熊さん:
「氷は冷たいけど、自分を守るために固まってるだけだ。本当は中に、水の優しさが眠ってる。」
■ 傷つくのは、命が生きてる証拠
親鸞聖人は「煩悩成就の凡夫」と仰った。
怒りも迷いも、ぜんぶ人間としての証。
優しい人が傷つくのは、
“他人の苦しみを感じられる心”を持っているから。
それは、仏の心の芽なんです。
阿弥陀さまは、そんな“痛みを知る心”に
「よう気づいてくれた」と手を差し伸べてくださる。
優しさは、たとえ傷だらけでも尊い。
■ 熊さんのしめくくり
熊さん:
「八っつぁん、優しい人ってのはな、風鈴みたいなもんだ。」
八っつぁん:
「風鈴?」
熊さん:
「風が吹けば鳴く。痛みが来ても鳴く。うるさくない、その音が、誰かを救うんだ。」
■ 今夜のひとこと
優しさとは、痛みを感じる力。
だから、傷つくことを恥じなくていい。
むしろ、それは“仏心の種”が動いている証拠。
八っつぁん:
「でも熊さん、傷だらけになっちまったらどうすりゃいい?」
熊さん:
「南無阿弥陀仏をつぶやけ。仏さまがその傷を光に変えてくれる。」
🌾 優しい人が生きづらい世の中だからこそ、
今日も一声、お念仏を。
その声の中で、あなたの優しさは磨かれていく。