人は、怒ってるときより、悲しいときより、
「ありがとう」が言えなくなったときが一番つらい。
心が硬くなって、言葉が出てこない。
でも、不思議なことに、「ありがとう」は言うよりも、
“思い出す”だけでも心がほどけていくんです。
■ 八っつぁん、商店街でのひと幕
熊さん:
「八っつぁん、なんだいその顔。機嫌悪ぃのか?」
八っつぁん:
「朝からついてねぇんだよ。財布落として、上司に怒鳴られて、電車で席譲ったら舌打ちされた。」
熊さん:
「おお、フルコースだな。」
八っつぁん:
「もう“ありがとう”の欠片も聞かねぇ日だよ。」
熊さん:
「……でもよ、財布拾ってくれた人が“ありがとう”って言ってくれたかもな。」
八っつぁん:
「え?」
熊さん:
「お前の落とした財布、拾って交番に届けた人だよ。きっと“助かってよかった”って思ってるさ。」
■ 「ありがとう」は行き交う
“ありがとう”って、不思議な言葉です。
言われるより、言うほうが心が楽になる。
でも、誰かに言われなくても、
「そう言ってくれてる人がいるかもしれない」と思い出すだけで、
硬くなってた心が、すこしずつ緩んでいく。
人は「言われないこと」に苦しむけど、
実は、“届いてないありがとう”がこの世には山ほどある。
■ 熊さんのひとこと
熊さん:
「八っつぁん、世の中な、“ありがとう”は風みたいなもんだ。」
八っつぁん:
「風?」
熊さん:
「見えなくても、ちゃんと吹いてる。
気づいたときに“ああ、ありがかった
な”って思えば、それでええのさ。」
■ 仏さまの「ありがとう」
仏教で「感謝」は“報恩”といいます。
恩に報いる、と書きます。
でも、恩返しすることが目的ではない。
“今、生かされていることに気づく”――
その気づきこそが、報恩なのです。
親鸞聖人は、
「如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし」
と詠まれましたが、
その“報いる”というのは、
「南無阿弥陀仏」と称えること。
つまり、「ありがとう」の心で名を呼ぶこと。
そこに、仏法の「報恩感謝」があるんです。
■ 心がほどける瞬間
誰かに裏切られたとき、
うまくいかない自分を責めるとき、
心は硬くなっていきます。
でも、「ありがとう」と口にしてみると、
ほんの一瞬でも、心があたたかくなる。
それは、“他人のため”じゃなく、
自分の心をほどくための言葉なんです。
■ 今夜のひとこと
ありがとうは、心の結び目を
ほどく手。
うまく笑えない日も、
誰もわかってくれない夜も、
「ありがとう」と小さくつぶやいてみましょう。
言葉に力が宿るのではなく、
その言葉を思い出せる“あなた”の中に、
もうすでにやさしさがあるから。
🍵 今夜もどうか、自分に向かって言ってみてください。
「今日もよう頑張ったな、ありがとう。」
それだけで、心は少しやわらかくなるのです。