「よし、今度こそ結果を出すぞ!」
「ちゃんとやらなきゃ!」
そう気合を入れたのに、
うまくいかない。
むしろ空回りして、
心だけが疲れていく。
頑張ってるのに、報われない。
そんなとき、誰の心にも一匹の
“空回りグマ”が棲んでいます。
■ 八っつぁんのジタバタ劇
八っつぁん:
「熊さんよ、オレは頑張ってんだよ!」
熊さん:
「見てりゃわかる。地面掘ってるな。」
八っつぁん:
「地面? 夢に向かって
走ってるんだよ!」
熊さん:
「いや、足踏みして穴ができてる。」
八っつぁん:
「……そりゃ空回りだな。」
熊さん:
「走るより、向き変える方が
早ぇ時もあるぞ。」
■ 「頑張る」は美徳。
でも、“向き”がズレると地獄。
頑張るって、美しい言葉ですよね。
でもね──
頑張りには
「方向」と「深呼吸」が要る。
方向を間違えると、
努力は自分をすり減らす刃になる。
深呼吸を忘れると、
息切れして何も見えなくなる。
頑張りすぎる人ほど、
「止まる」ことに罪悪感を感じる。
でも、“止まる”は“やめる”じゃない。
次の一歩を見つける時間です。
■ 仏教でいう「自力のつまずき」
親鸞聖人は、「自力」を
“迷いの根っこ”とされました。
つまり、
「自分の力で何とかしよう」
という思いが強すぎると、
結果が出ない時に、
「自分はダメだ」
と自分を責めてしまう。
でもね、
私たちは「結果の製造機」じゃない。
ただ縁の中で、
できることをしている存在なんです。
仏さまの目から見たら、
失敗してようが、空回りしてようが、
その姿そのものが尊い修行。
■ 空回りの正体
空回りの本質は
「期待の独り相撲」です。
他人の目、自分の理想、過去の成功──
それらを“正解”だと思い込んで、
そこに合わせようとして回っている。
でも、仏法の眼で見ると、
正解はいつも「今ここ」にある。
だから、空回りをやめる第一歩は、
「今の自分」に戻ること。
■ 熊さんのひとこと
熊さん:
「八っつぁん、車輪が空回り
すんのはな、地面にちゃんと
触れてねぇからだ。」
八っつぁん:
「……つまり?」
熊さん:
「焦る前に、今立ってる地面を
感じろってこった。」
焦ってるときほど、呼吸が浅くなる。
だからまず、深く息をして、
足の裏の“地面”を感じてください。
あなたは、ちゃんとこの世に
“接地”してる。
■ 親鸞の
「自然法爾(じねんほうに)」
「自然というは、もとよりしからしむということばなり。」
頑張ることも、休むことも、
うまくいかないことさえも、
すべては仏のはからいの中にある。
空回りしてるように見えても、
その摩擦で心が磨かれていく。
だから、今の自分を責めなくていい。
ただ、「ああ、今日もよう動いたな」
と笑ってください。
■ 今夜のひとこと
空回りしてるようで、
歯車はちゃんと噛み合ってる。
それは、すぐには見えないだけ。
焦らず、比べず、今の一息を大事に。
なんまんだぶ。
その一声が、空回りの音を静かに止め、
明日への向きをそっと変えてくれます。