あの時、あんなこと言わなきゃよかった。

あの時、もっとちゃんとできたはずだ。

あの時、あの人を傷つけたかもしれない──。

夜になると、

そんな“過去の上映会”がはじまる。

しかも、字幕なし・エンドレス再生。

これが眠れない夜の正体です。

■ 八っつぁんの寝不足相談

八っつぁん:

「熊さんよ、夜になると

 昔のことばっかり

 思い出すんだ。

 恥ずかしいこととか、

 バカなこととか。」


熊さん:

「いいじゃねぇか、

 寝ながら反省会だ。」


八っつぁん:

「笑いごとじゃねぇよ。

 あの時、あの一言さえ

 言わなきゃ……って思うと、

 胸が痛くて眠れねぇ。」


熊さん:

「ほう。そりゃ“後悔”じゃなくて

 “誠実”の証拠だな。」


八っつぁん:

「誠実?オレが?」


熊さん:

「そうさ。気にしてるって

 ことは、あの時の自分を

 ちゃんと見てるってことだ。」


■ “後悔”は過去から届いた手紙

実はね、「後悔」って悪者じゃない。

あれは、過去の自分が“今の自分”に

送った手紙なんです。

「おい、あの時は精一杯だったけど、

 今ならもう少し優しくなれるな」

──そんな気づきを運んでくれる。

でも、問題は我々がその手紙を読んで、

いつまでも机の上に置いたまま

「なんでこんな手紙よこしたんだ!」

って怒ってること。読むだけ読んで、

そっと封を閉じればいい。

それが「学び」ってやつです。

■ 親鸞聖人に学ぶ

「過去の受けとめ方」

親鸞聖人は、こう言われた。

「善悪のふたつ、総じてもって

 存知せざるなり。」


つまり──

“私が善いとか悪いとか

判断していること自体が浅はかだ”

ということ。あの時の自分も、

その時にしかできなかった判断

で生きていた。今の私が

“あの時の私”を裁いても仕方がない。

だって、あの時はそれが精一杯

だったのだから。

だから仏の眼から見れば、

「愚か」も「尊い」も、

同じ“いのちのはたらき”。

■ 後悔の夜にできること

眠れない夜に、過去の自分が浮かんだら、

こんな風に語りかけてください。

「お前も、よくがんばったな。」


「何やってんだ」と責めるより、

「よくそこまで生き抜いたな」

とねぎらう。

過去の自分は、もう取り戻せない

けれど、今の自分が“抱きしめてやる”

ことはできる。

それが懺悔であり、慈悲のはじまり。

■ 眠れない夜の念仏

「過去は消せないけれど、

 照らすことはできる。」


なんまんだぶ、とひと声。

それは懐中電灯みたいに、暗闇の過去を

やわらかく照らしてくれる。

明るくはならないけれど、

「もう怖くない」と思える光です。

■ 今夜のひとこと

後悔とは、失敗の証じゃない。

“もう一度、生きたい”という

命の証。


眠れない夜こそ、

仏さまがそっと近くに来てくださる時間。


「泣いてるのは

 わかっておるよ。」

「大丈夫、

 もうひとりじゃない。」


そう聞こえたら、そっと目を閉じて──

なんまんだぶ。


その一声が、過去と今をやさしくつなぐ灯りになります。