あの人が出世した。
あの人のSNSがキラキラしてる。
あの人の“いいね”が多い。
──はい、出ました。「嫉妬の火」。
心のどこかでボッとつく、
あの小さな炎。
やっかいなのは、
放っておくと燃え広がることです。
■ 八っつぁんのボヤ騒ぎ
八っつぁん:
「熊さんよ、あの隣の若い衆、
最近“褒められた”
らしいんだよ。」
熊さん:
「いいことじゃねぇか。」
八っつぁん:
「なんかムカつく。」
熊さん:
「お前んとこ、
心の台所で火事だな。」
八っつぁん:
「水をかける方法を
教えてくれ。」
熊さん:
「ほっとけ。燃えるほどの
薪(まき)も無い。」
■ 嫉妬の火は「自分の願い」が
燃えてる
嫉妬ってね、根っこは
**「自分もそうなりたい」**
という願いなんです。
だから悪ではない。
むしろ、人間らしい反応。
問題は、「自分を責めて」
「相手を敵にする」こと。
嫉妬は、
“他人を見てるようで、
実は自分を見ている”。
つまり、「自分の可能性」に
火がついた瞬間なんです。
■ 嫉妬が燃える構造
① 比べる
② 負けた気がする
③ 自分を下げる
④ 相手がまぶしく見える
⑤ 焼け焦げる
このループから抜けるには、
“比べる視点”を外すこと。
仏教でいう「縁起」の世界には、
「勝ち負け」も「上か下」もない。
ただ、すべてのものが
因縁で今ここにあるだけ。
だから、あの人が光ってるのは、
自分の灯りが消えたからではない。
夜空の星と同じで、それぞれが
自分の光を放ってるだけ。
■ 親鸞聖人の光
親鸞聖人ならこう言わるでしょう。
「煩悩具足の凡夫なれば、
いかなる善もなき身なり。」
この言葉、嫉妬にも効きます。
「嫉妬してる私」が悪いんじゃない。
それもまた、救いの対象。
つまり──
「嫉妬してる私」が見捨てられていない。
だから、嫉妬の火を消すよりも、
まず「燃えてる自分をそのまま照らす」。
それが念仏の光です。
■ 小さくするには
火を無理に消そうとすると、
逆に勢いづく。
大事なのは、酸素を減らすこと。
嫉妬の酸素は「比較」。
だからこう言ってみましょう。
「あの人はあの人、私は私。」
短いけれど、ものすごい消火力。
これを10回つぶやくと、
不思議と煙が引いていきます。
■ 今夜のひとこと
嫉妬は、心が「生きてる証拠」。
でも、燃やす薪は
もう置かなくていい。
人の光に焦がれるより、
自分の灯りを少しずつ整えよう。
そして、静かにひと声。
なんまんだぶ。
嫉妬の火も、その声の中で、
ただ温かな灯りに変わっていきます。