世の中にはこんな人がいます。
- 朝起きて「今日こそ完璧に!」
- 昼すぎ「ちょっとズレたかも…」
- 夜「明日こそ……今度こそ……」
そして気づけば枕元に
“罪悪感”と“ため息”が正座している。
完璧を目標にする人ほど、
夜に反省会が長い。
■ 落語的・反省会風景
八っつぁん:
「今日、声のトーンを間違えた気がする……」
熊さん:
「知らんわ」
八っつぁん:
「LINEの返信…スタンプで済ませたの後悔してる……」
熊さん:
「大丈夫だ、スタンプにも心は宿る」
八っつぁん:
「でも“ちゃんと”文章返した方が……」
熊さん:
「その“ちゃんと”って、誰のルールだい?」
八っつぁん:
「……わし」
熊さん:
「じゃあわしが“許す”って言っとく」
……ちゃんと疲れるより、
ゆるく生き延びる方が利口です。
■ “ちゃんとしなきゃ”の正体
実はこれ、仏教でいうと我執に近い。
「こうあるべき自分」
「こう見られたい自分」
その“理想の自分”に、今の自分が
追いつけない罪悪感を感じる。
だから苦しい。
真宗で言えば、
その「ちゃんとせねば」の
自力こそ縛りの根っこ
というところ。
■ 処方箋:ちゃんと →
ちゃんとじゃなくて“ちゃん?”
「ちゃんとやらなきゃ」
という日も、もちろんある。
でもね、
“ちゃんと”じゃなくて“ちゃん?”でいい。
- 「ちゃんと返さなきゃ」→「ちゃん?いや今日は既読で生存報告」
- 「ちゃんと笑わなきゃ」→「ちゃん?無理、口角デマです」
- 「ちゃんと頑張らなきゃ」→「ちゃん?生きてるだけで十分」
「?」ひとつ付けるだけで、
呼吸が戻ります。
■ 法話のひとしずく
親鸞聖人は
「自分の力で完璧になれる」
なんて思っていない。
だから、
“できない”私のまま抱かれる世界を
教えてくださった。
「ちゃんとできません」
「今日も尻もちつきました」
その報告こそ、道の歩み。
念仏は
**“完璧な人の合格報告”**じゃなくて、
“転んだ人のただいま”。
■ 今夜のひとこと
「ちゃんと」は時々でいい。
だいたいは
“まあ、ええか”でよい。
“ちゃんとしなきゃ病”の特効薬は、
自分にツッコミ入れる余裕と
「南無阿弥陀仏」の深呼吸。
今日もおつかれさま。
ちゃんと生きて、ちゃんと疲れて、ちゃんとここまで来ました。
……十分、ちゃんとです。