腹の立つ夜って、ありますよね。
誰かの一言に刺されて、
グッと堪えたのに、帰り道で思い出し、
あの時こう
言い返せばよかった…!
と、見えない相手とエア喧嘩。
最終ラウンドはだいたい風呂場です。
湯気の中で
正義を振りかざしてる自分がいる。
……ところで、
湯船は裁判所じゃありません。
でも、気持ちはわかります。
怒りは、夜になると肩に乗ってくる。
■ 怒りの正体
怒るときって、だいたい
- バカにされたくない
- 侮られたくない
- わかってほしい
つまり、自分を守りたい。
怒りって、
「戦闘態勢になった心」なんですね。
でもね、腹が立ってるとき、
実は一番しんどいのは“怒ってる本人”。
相手はとっくに寝てます。
こっちは寝られません。負けです。
■ 江戸っ子の噺ならこうです
八っつぁんがね、
長屋で怒ってるわけですよ。
「大家のやつ、なんだあの言い方は!
明日言うてやるんだ、
倍にして返してやる!」
そこへ隣の熊さんが来て、ふっと笑う。
「八っつぁん、倍にして返したら
あすは向こうも倍返しだ。
その次は倍返しの倍返し。」
「……気づいたら、
二人で無限地獄だな」
「そうよ。
怒りはエスカレーターで、
降りたいのに勝手に上がっていく。」
「どうすれば止まるんだい?」
「乗らなきゃいい。」
八っつぁん、ぽかん。
私たちと同じです。
■ 仏さまの視点はとてもシンプル
腹が立ったら、
まず“立った”と気づくこと
怒りを消そうとしない。
押し込めようともしない。
「ああ、いま怒ってるな」
とだけ、そっと見つめる。
それが自分に戻る始まり。
そして、ふっと胸の中で、
なんまんだぶ……
と称えてみる。
不思議です。
怒りが消えるんじゃない。
「怒りに振り回される力」
が抜けるのです。
怒りを“扱う”のではなく、
怒りを“抱きしめてくれる力”が働く。
■ 今夜のためのひとこと
正義の剣は、
夜の独り舞台では抜かない。
戦わなくていい時ほど、
人は戦いの形を取りたくなる。
そんな夜はこうつぶやけば十分です。
「まあええか。
今日はもう、寝よ。」
そこで、なんまんだぶ。
■ おやすみ前の灯り
誰かに勝つ夜より、
怒りがそっと静まる夜のほうが、
人は優しくなれる。
怒りの火が消えたあとに残る
その温かさこそ、
ご本願の灯りなのかもしれません。