■「手放せ」って言われても

 無理なんです


よく本に書いてありますね。

執着を手放しましょう


いやいや、

手放せたらとっくにやってますがな。

家も、家族も、仕事も、プライドも、

思い出も。

ぜんぶ「大切だ」と思ってきたから、

握ってきた。

それをいきなり、

はい、ポイ!


…ってできるなら、

仏弟子どころか仙人です。

人間はそもそも、

離れられない生きものなんです。


■ 離れられないから、苦しい

好きな人に執着して苦しむ。

評価に執着して疲れる。

昔の自分に執着して、

今の自分が嫌になる。

そんなとき、

心の中で小さな叫びが出ます。

「わかってるけど、

 手放せない!」


そう。

その「わかってるけど」が、

人間らしさ。

そこを恥じなくていい。

真宗の道は、

「手放せた人」の道ではありません。

手放せないまま抱かれていく道です。


■ 執着が“ゆるむ”瞬間

面白いことに、

必死で握ってた手も、

ふとしたときに、少しゆるむんです。

たとえば──

・ふと風が気持ちよかったとき

・子どもの寝顔を見たとき

・夕焼けが妙に沁みたとき

・誰かが「大丈夫ですよ」って言ってくれたとき

そういう一瞬、心がほどける。

執着は、切れるんじゃない。

少しずつ、ゆるむんです。

■ 念仏は「ゆるむための呼吸」

南無阿弥陀仏って、

戦闘の掛け声じゃありません。

気張って叫ぶものじゃなく

ふぅっと息を抜くようなもの。

なんまんだぶ……


吐く息みたいでしょ。

この声が出るとき、

握りしめてた心が、ちょっとゆるむ。

「もう頑張らなくていいよ」

って背中を撫でてくれる声でもあります。

■ 親鸞聖人は

“手放せなかった人”の味方

親鸞聖人が言われた道は、

切れぬ心を切れと言う道ではない


・仏になれと言われたら苦しい

・善い人になれと言われても無理

・手放せと言われても手が震える

そんな凡夫に向かって

そのまま来い

そのまま抱く


と、阿弥陀さまは言ってくださる。

この道は「変われた人」の道じゃない。

変われなかった私が、

抱かれて変わりゆく道です。

■ 今日の一句

握った手

そのままいいよと

風が言う

ほどけていけば

花ひらくなり

■ ゆるいまとめ

・執着は悪じゃない

・手放せないのは人間らしさ

・ゆるむ瞬間を味わう

・念仏は心がほどける呼吸

焦らなくていい。

私たちの手は、いつか自然にゆるむ。

その間、阿弥陀さまが

ずっと握ってくださってますから。

今日も一声。

ゆるっと、ね。


なんまんだぶ