人から
「しっかりしてるよね」
と言われると、ちょっと嬉しい。
でもそのあと、
ひそかに胃がキュッとなるとき、
ありません?
「しっかりしてなきゃ」
「崩れたらダメだ」
そう思うほど、肩に力が入る。
呼吸が浅くなる。
知らないうちに、笑顔が硬くなる。
でも、ほんとうは──
人間は、そんなに強くありません。
むしろ、弱いのが”標準装備”。
■ 「弱くて当たり前」の話
昔、知り合いのおじいさんが
言ってました。
“真面目に生きようとする人ほど、心が折れやすい”
そう言ったあと、
畳を撫でながらぼそり。
“折れたら、
そこに風が通るんや”
なるほどねぇ、
と今になってわかります。
強い人は、風を跳ね返します。
弱さは、風を通してくれます。
その風が、やさしさになり、
気づきになり、
人を包むぬくもりになっていく。
だから、折れた私も、ダメじゃない。
■ がんばろうとするから、苦しくなる
人はつい「もっと強くならなきゃ」
と上を見ます。比べます。焦ります。
でも、親鸞聖人は
逆の道を示されました。
“強くなれん私でよし”
強いから仏に抱かれるのではない。
弱いからこそ抱かれる。
南無阿弥陀仏の道は、
強くなる修行ではなく、
弱さをそのまま抱かれる道です。
■ 「頼る」のは負けじゃない
弱音を言うと、
「迷惑かな」と思う。
助けてもらうと、
「情けない」と感じる。
でも、よく考えてみると──
人は助けられてしか、
生きてこれなかったはずです。
赤ん坊のとき、
誰に抱かれてましたか?
若いとき、
誰に励まされましたか?
病気したとき、
誰が手を握ってくれましたか?
弱さは、つながりの入口。
頼ることは、負けじゃありません。
人間の道です。
■ 念仏は「立ち上がる息」
弱って座り込むとき、
心の底から声が出ます。
「……なんまんだぶ」
それは気合じゃない。叫びでもない。
立ち上がるための小さな息。
自力で踏ん張るんじゃなく、
抱かれながら立ち上がる、あの感覚。
強くなるためじゃなく、
弱いまま歩くためのお念仏。
これが、真宗の「ご利益」です。
■ 今日の一句(やさしいやつ)
折れてなお
風のぬくもり
胸に満ち
弱さを抱いて
また、歩き出す
■ ゆるいまとめ
・強さはゴールじゃない
・弱さは恥じゃない
・倒れたら風が通る
・立ち上がる息が南無阿弥陀仏
今日、ちょっと疲れたら
胸の中で一声だけ。
なんまんだぶ
ちゃんと届いてます。
弱いままで、いきましょうね。