最近、腹が立ったこと、ありましたか?

電車で押されたとき。

仕事で理不尽な言葉を投げられたとき。

家に帰ったら、子どもが

リモコンを冷蔵庫に入れていたとき。

(これは我が家の実録です)

怒りって、突然来ますよね。

予告なしで、

いきなり胸の中にドンと座る。

「仏教って

 怒りをなくせって言うんでしょ?」

そんな声、よく聞きます。

でもね、怒りって“悪いだけの感情”

ではないと思うのです。


■ 怒りは爆弾じゃない。

 エアバッグなんです

車がぶつかったら、

エアバッグが膨らむ。

怒りも似ています。

心が衝撃を受けた時、

私を守るためにふくらむもの。


つまり、腹が立つというのは

まだ自分の心が

生きているという証


無感情で無反応になったら、

それはむしろ危ない。

怒りは、人間のあかしです。


■ 問題は「膨らんだまま」なこと

エアバッグが膨らみっぱなしで走る車、

危ないですよね。

怒りも同じ。

膨らませっぱなしだと、

「見るべき景色」が見えなくなる。

ここで、ひとつの合言葉。

“いったん、息を戻す”


たとえば、そっと声に出さずに

「……南無阿弥陀仏」

と心の中でつぶやく。

空気が少し抜けて、

視界が戻ってくる。

怒りゼロを目指す必要はありません。

人間ですもの。

怒りを“戻せる”だけで、

すでにありがたいこと。

■ 親鸞聖人が教えてくれた「戻る道」

親鸞聖人も、腹が立つことは

あったはずです。

ただ、

立ちっぱなしに

ならない道をくださった。


「怒る心が起きるのは凡夫。

 でも、そのあと“気づける”のは、

 本願のおかげ」

そう受け取れば、少し楽になりませんか。

怒る自分は悪でも、失敗でもない。

人間である証。

そして、気づけたときが

お念仏の出番です。


■ 実践の三段階

  1. 「ムッ」とする
     →心が生きてるサイン
  2. 「……南無阿弥陀仏」
     →空気を抜く
  3. 「よし、もう一歩」
     →仏と一緒に再スタート

これで十分。

完璧じゃなくていい。

道の上にいれば、それで良いのです。


■ 和歌風に

怒りとは

生きてる心の

ふくらみよ

そっと抜いては

また歩き出す


■ 今日のまとめ

・怒っていい

・腹立つ私はダメじゃない

・怒りは生きてるサイン

・戻るときに「南無阿弥陀仏」

怒りは敵じゃない。

“柔らかくなるための入口”です。

どうぞ今日も、

心の中でひとつ、お念仏を。


風が通り、また歩けます。