■開幕:五十三連敗の

 仏門チャレンジャー

久遠の昔。

“親バカ仏”こと法蔵さん、胸の内ひとつ。

「どうしても、

 悪人と女の人も助けたい!!」


もう恋する乙女みたいな執念。

というか、親そのもの。

で、仏さま方に相談するんです。

「悪人も救える道、ないっすか?」

……五十三連続、門前払い。

オーディションで53落選。

アイドル志望でも折れる。

でも法蔵さん、やめない。

五十六億七千万年待って次に挑む。

スマホのバッテリーならとっくにゼロ。

人間の根性なら灰。

■ついに出会う“聞いてくれる仏”

五十四仏目、世自在王仏。

法蔵さん、泣きながら訴える。

「どうしても助けたいんです…

 見捨てられないんです…」


世自在王仏、とうとう涙。

「…聞かざるを得ぬ」


この瞬間、別に人間が

可愛いからじゃない。

(むしろ救う対象としては“最不向き”)

ではなぜ?

「その志、深くて広い」

「それほどまでに諦めない心、

 頭が下がる」


つまり――

法蔵の“しつこい愛”に仏が折れた

■面接開始:仏が逆質問

世自在王仏

「だがな、法蔵。まだ相談相手がおる。」

法蔵

「えっ、まだ仏まわり!? 

 もう無理です…!」

世自在王仏

「違う。お前自身や。覚悟は固いのか?

 途中で“しんどいからやめます”

 言うなら意味ない。」

つまり、

お前、本気で地獄まで

 付き合う気あるんか?


親ならわかる。あの瞬間です。

「この子、どこまでも面倒みる」

法蔵も腹を決めて言います。

「できなきゃ仏に戻らん」

「子が苦しむなら、

 共に地獄に堕ちる」


…ね?

これもう仏じゃなくてでしょ?

■世自在王仏、うなる

「海の水全部汲み取るほどの難儀で もお前ならやるやろ」


そして言う。

願いを述べよ


ここで法蔵、世界に宣言。

「十方三世の諸仏よ、聞いてください!」


これが四十八願の幕開け。いわば、

「悪人救済プロジェクト発足」



■まとめ:ここが面白い

・仏の世界でも“役所たらい回し”

・53回却下 → 56億年待機 → また却下

・世自在王仏は泣き落としで陥落

・親子ドラマより重い覚悟

これを現代風に言うなら…

「子ども、人生荒れ放題。

でも親、絶対見捨てへん」


そんなイメージ。

■何を言いたいか

念仏とは、

“救われたくて叫ぶ子の声”

じゃなく

“見捨てられぬ親の声”


南無阿弥陀仏は

私が言う声じゃない

仏が私に言わせてる声


だから信心とは、

疑いが溶ける瞬間


「ほんまに…私のこと、そこまで…?」

と胸に落ちたとき、

人生の“孤独の設定”が解除される。

■今日の一句

見放せば

楽なれどこそ

なお抱く


(法蔵の親心、ここに極まれり)