■今回のテーマ
悪の根っこは“疑い”でござい
…ってお話。
泥棒でも、人殺しでもない。
「ほんま助けてくれんの?」
この疑いの眼差しこそ、地獄の入口——。
■地獄の受付カウンター
地獄の受付にて。
職員「はい次の方〜。
罪状をお願いします」
Aさん「…殺人です」
職員「係の者がご案内します(スッ)」
Bさん「飲酒運転で人轢きました…」
職員「あぁ、ではこちらへ(ススッ)」
Cさん「ええと…親孝行ちゃんと…
掃除もして…ご近所さんにも
挨拶して…」
職員「はい結構です、で罪は?」
Cさん「……阿弥陀さまの本願、
ちょっと疑ってました」
職員「お客様、それ一番重いです。
特別室へどうぞ」
Cさん「えっ?なんで!?」
職員「無量永劫の慈悲を疑うって、
それ親の愛を踏みにじるタイプ
ですから。重罪です」
Cさん「聞いてない!!」
職員「だから“聞け”言うてるんです」
■親鸞さんの“聞け”はガチ
親鸞聖人曰く:
仏の願いの起こりから
成り上がりまで
全部まるごと聞いて、
疑うところなくなる。
それが“聞く”だ。
買い物レビューちゃうんです。
「本当に救われる?星いくつ?」
…みたいな態度では浄土は遠い(笑)
■法然上人が言うには
迷いの世界に戻るのは、
疑いが原因
救われて静かな境地に
入るのは、信心が原因
つまり、
- 嘘ついたから地獄?
- 怒ったから地獄?
違う。
本気で愛されてるのに
「ほんま?」って言う心が、
迷いを続けさせる
恋愛でもそうでしょう。
「絶対好きやで」
「ほんま?…証拠は?」
これ、別れます(笑)
■もうちょい噛み砕くと
仏さまはこう言ってる。
「お前を助ける。決めたんだわ」
それに対して凡夫↓
「いやいや、私なんか…」
「まだ心が整ってないし…」
「もっと修行してから…」
これ、謙虚に見えて
“あなたの決意より
私の心の方が正しい”
って言ってる。
そら怒られますわ(笑)
■現代風にすると
阿弥陀さま=プロポーズ済み
凡夫=ずっと婚約破棄気味
仏「迎えに来たで」
凡夫「いや、ワイなんか…ほんま?」
仏「しつこいな、ええ言うてるやろ」
凡夫「もっと自分磨きしてから…」
仏「磨いてもピカらへんのやから来い」
凡夫「うっ…(核心つかれた)」
■今日の一句
すがる前
試す心が
迷い道
■おわりに
疑い尽きたら、涙が出る。
「こんな私を、見捨てんのやな」
その一点が決まったら、
娑婆は宿題
仏は担任
卒業は確定
あとは
“はい”と聞こえた分だけ、
人生が軽くなる
今日も一声、
南無阿弥陀仏🪷